【展覧会概要】※展覧会概要の下に取材記事を掲載しています
写真は目の前に見えているもののみならず、その場所に潜む見えない何かをとらえています。雄大なランドスケープや身近な街の風景、何気ない日常生活の一場面をとらえた写真が、その場所の歴史的、社会的な背景や、そこに流れてきた膨大な時間、記憶の痕跡を想起させます。「見えるもの」と「見えないもの」とは、写真のみならず、芸術における根源的なテーマでもあります。
本展はそうした写真の見えないものをとらえる力に着目し、前橋をはじめとする群馬全域、さらに広域にわたるエリアを作家それぞれが独自の視点でとらえ、多様な手法を用いて表現した最新作を含めて構成しています。見過ごされているものや、場所が内包するものへと眼差しが向けられていくことで、見慣れた自然や街、日常の風景の中に潜在的な景色が現れてきます。
【展覧会を鑑賞して】
「見えるもの」と「見えないもの」というワードに興味を抱き、写真においてのそれらは何なのかと考えながら鑑賞した。群馬県前橋市近郊で撮影した写真もあり、知っている地名があるとその写真との距離を近く感じた。6人の作家は写真を撮るだけではなく、写真を通しての表現方法を作品として展示している。そのため作家一人ひとりの作品に特徴があり、大いに楽しむことができた。
壁にずらりと並ぶどこか見慣れた風景の写真は、下道基行 シリーズ〈bridge〉。bridgeとは田んぼや畑の用水路にかけてある板切れなどを指している。見慣れた風景とは、普段気に留めることのない日常的な風景だ。日付が記されているので、辿っていくと季節の移ろいが分かる。しかしこれだけ並ぶと、今度散歩の時に気にかけて観察してみようという気持ちになる。下道氏の作品のコンセプトは、ワークショップの記録映像「MOTサテライト2017秋むすぶ風景」をみるとより理解が深まるだろう。
村越としや〈神鳴り、山を赤く染める〉は、モノクロで非常に暗い写真だった。そのため何が写っているのか目を凝らして鑑賞しなければならない。すると真っ暗な風景の中に景色がみえてくる。それは不思議と目でみる風景よりも、一層美しく思えた。
石塚元太良 シリーズ<GS_>。廃業したガソリンスタンドの写真が壁一面に並ぶ。このシリーズは群馬県内でスタートしたという。それぞれ同じような角度で撮影しているが、雪景色だったり緑が生い茂っていたりして、同じような写真だけれど各々に特徴がある。青空を背景に佇む朽ち果てたガソリンスタンドは、廃墟の不気味さはなく、清々しい明るい風景だった。
西野壮平はモノクロ写真をコラージュして、独自の地図をつくっている。<Diorama Map Tokyo 2014>はタイトル通り東京の地図だが、各エリアに合った人物の写真がコラージュしてあり、小さな発見がたくさんあって楽しい。文字ではなく写真で場所を示すという方法が非常におもしろかった。
片山真理の作品は、2014〜15年にかけて前橋市の商店街やスタジオで撮影した作品。<アツミレコード><鈴木薬局眼鏡部 #002>などクスッと笑ってしまう作品もあり、1枚1枚に物語を感じた。
鈴木のぞみの作品は立体的だ。前橋市内の取り壊される直前の理容室兼自宅の窓ガラス、鏡、時計などに写真を焼き付けている。窓ガラスには窓越しからみえた風景を直接焼き付けている。取り壊された場所にあった物に、そこからみえた景色を焼き付ける思い出の二重構造のような作品だ。建物は無いけれど、そこにあった物はまだ生きているように感じた。
『萩原朔太郎大全2022 -朔太郎と写真-』も同時開催。前橋市の今と昔をなぞるのも楽しいが、朔太郎がなぜ写真を撮るのかという理由を知ると、写真の見方が変わるだろう。アーティストトークなどイベントもあるので、ぜひ足を運んでいただきたい。