20帖はあろうかというリビングには大開口の窓があり、そこから望む景色に視界を遮るような建物もなかった。不動産関係のキャッチコピーでよく見かける「開放感溢れる」とはこういった空間のことを言うのだろう。しかし、私の興味を最も惹いたのはそのような物件的特徴ではなく彼女の本棚だった。おそらくオーダーメイドと思われる横3m縦1.7mほどの本棚には、写真集、画集、雑誌、単行本などが隙間なく詰まっていた。
私は他人の本棚はもとより、自分の本棚を眺めることも好き好む人間だ。本棚にはその人のセンスや思想が色濃く反映されるため、知り合ったばかりの人の家にお邪魔する時などは特に本棚をチェックするし、その人物の深みを本の冊数やラインナップで推し量るところがある。
彼女はどうやらファッションが好きなようで、ざっと見ても蔵書の大半がファッション関係だった。デヴィッド・ベイリー『BIRTH OF THE COOL』、ヘルムート・ニュートン『BIG NUDES』、ユルゲン・テラー『Juergen Teller』、マーク・ボスウィック『SYNTHETIC VOICES』、パメラ・ハンソン『Girls』など、有名どころの写真集をはじめ、『i-D Magazine』『DAZED&CONFUSED』『SLEAZENATION』『PURPLE FASHION』といったゴリゴリのファッション・カルチャー誌のバックナンバーも並んでいた。正直言ってファッション好きのいかにもなチョイスだと思ったが、単行本のコーナーはそれらとは毛色が違い、中でもとある一角には思わず目が留まった。右から林文浩『外道伝』、吉永嘉明『自殺されちゃった僕』、中島らも『アマニタパンセリナ』。それらは私自身が過去に多分に影響を受けた本だった。
「奇太郎さん? 大丈夫ですか?」
「いや、昔、めっちゃ影響受けた本が並んでたから。こういうの好きなんや?」
「好きです。そこにあるのは本好きの友達に教えてもらったんですよね」
「へー、その人、絶対話し合いそう」
「この人です。結構年上なんですけど仲良くしてもらってて」
「えっ……」
彼女が差し出したスマホの画面に映っていたのは、私が20代半ばに付き合っていた綾子(仮名)だった。我が目を疑った……とはもう思わない。私の人生はなぜかこのようなにわかには信じがたい偶然が頻発する。
綾子とは私が実話誌の編集者をしていた時にとある現場で出会った。綾子も彼女と同じくAV女優で、そしてソープ嬢だった。綾子のことでまず思い出されるのはスマホを握りしめて、時には壁や床に叩きつけて、泣いている姿である。綾子には2ちゃんねる(現5ちゃんねる)にスレッドが立っており、そこに書き込まれた誹謗中傷を見ていつも泣いていた。綾子が言うにはそれらの誹謗中傷は同じダクション(AV事務所のこと)に所属する女が書いているとのことだったが、それも一理あると思った。なぜなら綾子は『水原マナミ』のように知名度がある単体女優ではなく、形式上名前があるだけの企画女優に過ぎなかったからだ。綾子のような無名の女優にスレッドを立て、雑誌やV(AVのこと)のほぼ全ての仕事に対して、いちいちいちゃもんをつけるAVファンがいるとは私にも思えなかった。そして、誹謗中傷を見た後にソープの仕事が入っている時はいつものように「もう死ぬ」と言って、包丁を持って暴れたり、幹線道路に飛び出したりした。私が過去のインタビューで「複雑な女の子と付き合っていた時期」と言ったのはこの時のことだ。
当時の私は毎月のようにAV女優と仕事をしていた。読者のためを思えば、美人でスタイルの良い女優をブッキングするべきなのだが、そのような上玉を抱えるダクションは総じて強面だった。自分自身が熱を入れて作ることが出来ないエロページのために怖い思いをするなんてまっぴらごめんだ。私にとって重要だったのはダクションの担当者が優しいかどうかだけで、女がブスだろうがデブだろうがどうでもよかった。そんな私が掴んで離さなかったのが『P』というダクションのYさんだった。
Yさんは見た目はチャラかったがとても穏やかな人だった。私が作るエロページの仕事は全てYさんに振っていたし、年が近く同じ関西人ということもあり、公私ともに仲良くさせてもらっていた。そういった私とYさんの関係を知っていた綾子からある日、「高校からの友達でVの仕事したいってコがいるんだけど、奇太郎くんが仲良い『P』に入れないかな? うちの事務所は厳しいからオススメできなくて」と相談を持ちかけられた。すぐにYさんにその旨を伝えると、綾子の友達の早希ちゃん(仮名)は『P』に所属することになった。それから2ヶ月ほどが過ぎ、Yさんと渋谷の『山家』に呑みに行った時、乾杯後にYさんが鞄の中から厚みのある茶封筒を取り出した。「これ渡しとくわ」と差し出された封筒の中には、私の月収分ほどのピン札が入っていた。
「なんですかこれ?」
「早希ちゃん紹介してくれた謝礼よ」
「いやいや、ただ紹介しただけやからこんなん受け取れないですよ。しかもめっちゃ入ってるじゃないですか」
「いや、変な意味じゃなくて、紹介してくれた人全員に渡してるから」
そうしてYさんからスカウトマンという仕事の説明を受けた。YさんのダクションではVに女性が出演した場合、ギャラの50%を女優、残りの50%をダクションとスカウトマンで折半するという。
「奇太郎くんは『めっちゃ』って言うけど、X(当時の超人気AV女優)見つけた人なんて、スカウトバックだけで都内にマンション買ってるよ」
翌日、すぐに早希ちゃんに連絡を入れた。
「早希ちゃん久しぶり。どう仕事慣れた? 困ったことあったらいつでも連絡してよ」
「初めは緊張したんですけどもう慣れました。Yさんも優しいし何も困ってないです。私、今めっちゃ稼いでますよ。奇太郎さんいいところ紹介してくれて本当にありがとうございます」
こちらの心配をよそに感謝されてしまった。早希ちゃんが『P』で稼ぐようになったことは、すぐに綾子の友人たちの間で広まった。そして次々に綾子から『P』に入りたいという女のコを紹介され、Yさんに繋ぎ、半年ほど経つと私は月に100万円以上の金を受け取るようになっていた。
私はそのあぶく銭を体の穴から入れるあらゆるものと、日本全国の美術館、博物館、遺跡、祭りを中心とした伝統文化を観るための旅費に使った。リスクを背負って見聞きしたこれら全てをいかに自分の仕事に落とし込むか。当時の私は創作の名のもとに、なしをありにして心底納得いくものを作ることを目指し、常に新しい自分が見たいという思いに取り憑かれていた。
それだけに自分の仕事が評価されないのは何よりも苦しかった。相手にされないだけならまだしも、私の仕事は社内外で悪評が轟いていた。ある時は出入りのカメラマンに、「お前は自分のこと面白いと思ってるみたいだけどハッキリ言っといてやるよ。お前は全然面白くない」と面と向かって言われたり、挙句には社長から呼び出され、「雑誌はお前のアートショーじゃねえんだよ」と凄まれ、その翌月にはギャル男のファッション誌に異動させられた。そこでの私の仕事は、渋谷の109の前で自分の前髪とSEXのことしか考えていないシークレットブーツを履いたガキに、ヘコヘコしながらアンケートの記入をお願いするというものだった。
『小説推理』(双葉社発行)で連載中の「芸術家、はじめました」が文芸総合サイト『COLORFUL』からも読めるようになりました。