Exhibition

3.11とアーティスト:10年目の想像
【終了しました】 水戸芸術館現代美術ギャラリー

GO ON編集人

【展覧会概要】※展覧会概要の下に取材記事を掲載しています

2021年3月、東日本大震災から10年を迎えました。
当時自らも罹災し、臨時の避難所となった水戸芸術館では、2012年に展覧会「3.11とアーティスト:進行形の記録」を開催しました。同展では震災を受けてアーティストが行った様々な活動を、芸術であるか否かを問わず、時間軸に沿って紹介しました。大規模な災害を経験したばかりの頃、アートの意味や役割が問い直されるさなか、アーティストらがとった行動の大半は、支援と記録を主眼に置いたものでした。

あれから10年。アーティストたちは今や「作品」を通してあの厄災に応答しています。
本展では「想像力の喚起」という芸術の本質に改めて着目し、東日本大震災がもはや「過去」となりつつある今、あの厄災と私たちをつなぎ直し、あのとき幼かった世代へ、10年目の私たちへ、そして後世へと語り継ごうとする作品群を紹介します。

なぜなら、東日本大震災が露わにした問題のひとつは、私たちの「想像力の欠如」だったからです。ものごとを想像する/させることは、そもそも芸術の重要な仕事のひとつではなかったでしょうか。

小森はるか+瀬尾夏美《二重のまち/交代地のうたを編む》2019 ©Komori Haruka + Seo Natsumi

【展覧会を鑑賞して】

2021年3月11日。私は1日中モヤモヤした気持ちで過ごしていた。
TVなどのメディアをはじめ、SNSでも「あの日を忘れない」というメッセージが飛び交っていた。空の写真にポエム調の「あの日を忘れない」というメッセージをつけたポストの数々。反原発と声を上げていた人も「あの日を忘れない」ポエムと自己PRが綴られていた。
「あの日を忘れない」というのは一体「何を忘れない」なのか?私はずっと考えていた。

そのような思いを抱えながら、水戸芸術館現代美術ギャラリーへ。
展覧会概要にある「想像力の喚起」「想像力の欠如」という言葉の意味も考えたく、この展覧会を鑑賞することで「何を忘れてはいけないのか」の出口が見つかりそうな気がした。
私が気になった作家が3名いるので、それぞれの感想を述べたいと思う。

「自分の故郷がなくなる、とはどういうことか?」それを問いかけているように感じた小森はるか+瀬尾夏美の作品。故郷がなくなり、そして故郷の上に新しいまちがつくられる。
一体、どのような気持ちで受け止めればよいのか。
私は自分と置き換えて想像をしてみたが実感がわかなくて、作品を鑑賞しながら「失ったからといって全てを新しくすれば良いとは限らない」という考えと「失った過去の上に未来をつくる」という考えが交差して正解が分からなかった。
しかし瀬尾夏美の『二重のまち』をみて、自分の中で正解は出ないにせよ、明るい未来をイメージすることができた。

高嶺格の『ジャパン・シンドローム水戸編』。実際に原発事故後の茨城県内の野菜や魚介などを販売する店を取材。その内容を役者が再現する映像作品だ。
「これってどこ産の野菜ですか?」原発事故後、多くの人が思っていたことだ。私も事故後、産地を気にしていた1人だ。
うんざりした顔で答える人、気にしなーいっていう人、気にするよねーと同調する人。
「我慢して頑張ろう頑張ろうって、何を頑張るの?」これはパンチラインだった。
次第に映像をみながら「これって今のコロナと同じだな」と思ってきた。
問題が変わっても、人間の考えや行動は変わらないことに気づかされ、進化しない自分を恥じた。そして「これってどこ産の野菜ですか?」と気にしていた人々は、「これって消毒してありますか?」に変わっているだろうと想像した。

藤井光の作品は、小学校を舞台に差別をテーマにした映像作品だ。
水戸市内の小学校に通う子どもたちに、実際に差別体験を演じさせる授業風景が映し出される。鑑賞している側も辛い内容だったので、体験している子どもたちはもっと辛い気持ちになり「差別とは何か」を感じたことだろう、と思い気を緩めた時だった。
藤井光の声だろうか、この作品の本当の問題を問う言葉が流れる。
「演じさせている者は何者か?それは観客である」と。
この言葉は、その後の鑑賞を止めてしまうほど考えさせられた。

私はこう考える。
差別のみならず起こりうる問題の全ては、当事者だけでなく、それをみている外側の人間が問題を膨張させているのではないか。
当事者以外の人間が「それはおかしい!」と声をあげれば、当事者たちも「おかしいのかな?そうだ、おかしい!」と同調し、流されるまま行動を起こしてしまう。
原発問題もコロナも同様ではないだろうか。

観賞後に感想を述べることができる『対話の電話』で市民ボランティアの方から、藤井光の作品について、展示の仕方にも意味があることを教えてもらった。
展示室に入ってすぐ目につくのは、モニターを鑑賞している人々だ。その意味とは何か。
私は最後にまた藤井光の展示室へ戻り、全体を見渡した。
そして藤井光の最後の問いかけが聞こえた。

起こりうる問題を膨張させ複雑にしているのは、我々の無知な声(ノイズ)である。
このことは忘れてはいけない。
そして問題の本質を考え、その先を想像することが必要である。
これが、2021年3月11日「あの日を忘れない」の私の考えだ。

本展は映像作品が充実している。時間をかけて鑑賞し、それぞれの考え方で3月11日をみつめることができるだろう。

※施設の利用状況に関しては水戸芸術館現代美術ギャラリーのWebサイトをご確認ください

https://www.arttowermito.or.jp/gallery/

Place

水戸芸術館現代美術ギャラリー

個性的なタワーが目印の水戸芸術館。その中の水戸芸術館現代美術ギャラリーは、館内だけでなく街なかにアートを展示するなど、アートを通して地域の人々と繋がる活動も実施している。