【展覧会概要】※展覧会概要の下に取材記事を掲載しています
夢や幻想、あるいは大いなる自然や野性の力は、古来より美術の表現を導いてきました。本展では、理性の彼方にある人間の無意識や直感と関わる近現代の美術を、当館と群馬県立近代美術館、足利市立美術館の浅川コレクションそして個人コレクションの作品により紹介するものです。
19世紀後半、西欧では、近代化の陰で、自然と人間の生死を見つめ、ひそやかに描かれた絵、語られた詩や物語がありました。20世紀に入ると、第一次世界大戦の惨禍から合理主義は疑われ、人間の純粋なる精神活動、内的なイメージを探求するシュルレアリスムが興隆します。本展前半では、グランヴィル、ルドンからベルメール、ゾンネンシュターン、マッタやアペルまで、幻想的な版画や潜在意識に導かれた絵画を紹介します。
日本では、群馬出身の福沢一郎が滞仏中にシュルレアリスム絵画をいち早く実践しました。その後、本来のシュルレアリスムから跳躍し、あるいは無意識に、人間の内面と自然を重ね、造形のエネルギーとした作家たちは枚挙にいとまがありません。本展後半では、自然の力を多彩な創作に取り込んだ勅使河原蒼風をはじめ、様々な近現代の作家を紹介します。さらに、群馬県北西部の六合くにの山で制作を行ったスタン・アンダソン、近年、廃材を用いたブリコラージュにより人間像を制作する館林在住の亀山知英ら、地域の作家にも光を当てます。
【主な出品作家】
J.-J.グランヴィル、オディロン・ルドン、マックス・エルンスト、パウル・クレー、ジャン・デュビュッフェ、サルバドール・ダリ、フリードリヒ・シュレーダー=ゾンネンシュターン、ハンス・ベルメール、カール・ブロスフェルト、ロベルト・マッタ、ジョアン・ミロ、カレル・アペル、ピエール・アレシンスキー 他
福沢一郎、勅使河原蒼風、瀧口修造、鶴岡政男、岡本太郎、深沢幸雄、福島秀子、池田龍雄、今井俊満、桜井孝身、須田一政
大岩オスカール、大坂秩加、加藤泉、加納光於、鴻池朋子、近藤正勝、安田千絵、横尾忠則、シンゴ・ヨシダ
スタン・アンダソン、亀山知英
【展覧会を鑑賞して】
シュルレアリスムという言葉を聞くと、ダリやマグリットといった独特の世界観をイメージしてしまう。何度も見聞きしている言葉だが、そういった何となくのイメージしか持っていなかったことに気付かされた。今回の展示を通してシュルレアリスムが誕生した背景などを知ることができ、今まで抱いていたぼんやりとした輪郭がはっきりとした線に変わっていった。
現実を超えた世界がなぜ生まれるのか?それは時代の変化における感情や反発を表現することで生まれる。人々の精神やムーブメントには必ず歴史的背景が存在し、思想に繋がっていくことについて改めて考えた。特に印象に残った作品について、いくつか感想を述べたいと思う。
「19世紀半ば近代的な都市へと改造が進むパリで、街の暗部を時に妄想を交えて炙り出す」という説明を読み、それは変化する時代への反発なのか、それとも悲しさなのか考えた。現代であれば、何に置き換えられるだろうか。それらを頭の片隅に置きながら、作品を鑑賞した。
オディロン・ルドン《陪審員》(文:エドモン・ピカール)
白黒の版画で不気味さを感じる作品だが、どのような世界が描かれているのか、文章もあわせて読んでみたいと思った。
オスカー・ココシュカ《夢みる少年たち》
クリムトの影響を受けたという。かわいらしい印象があり、先にみていた作品が暗い絵だったのでホッと安心した。
シュルレアリスム誕生の時代である20世紀初め、第一次世界大戦は合理主義への失望をもたらした。「戦争を体験して、人が考え出すものが嫌になり、人の考えを通さない表現に挑戦する芸術家が出てきた」とある。戦争が及ぼす思想の変化は、芸術にどのような影響を与え変化していくのか、大変興味深い内容だった。
ポール・エリュアール/パブロ・ピカソ「大気」(ポール・エリュアール『豊かな瞳』より)
コラージュと落書きのような雰囲気がおもしろい作品。「複数の作家の共作はコラージュの親戚」と話すマックス・エルンストがコラージュの手法を生み出したという。
ハンス・ベルメール『マリオネット劇』
女性器のようにもみえて、不気味でエロティックな印象がある。ぜひ、ハンス・ベルメールの球体関節人形もみてみたい。
マックス・エルンスト『ルイス・キャロルの魔法の角笛』
ルイス・キャロルは20世紀のシュルレアリストを魅了し、ナンセンス文学と呼ばれていたという。ルイス・キャロルの作品といえば『不思議の国のアリス』だが、ナンセンス文学とは言い得て妙である。
アルヌルフ・ライナー『祝祭画』
タイトルとは相反するような緑、黒い青で塗りつぶされた絵画。82年より広島をテーマに作品を創作しているようで、そちらも興味深い。
ジャン・ティンゲリー『機械ドローイング』『自動デッサン機によるデッサン』
「機械としては意味のない不条理なものを美しい造形とする精神」とある。意味のないものに意味を持たすということだろうか。妻がニキ・ド・サンファルということにも関心を抱いた。
最後に、日本におけるシュルレアリスムとは。説明には「意識を解放するもの」とある。
勅使河原蒼風『クビ』
土偶のような神秘的なシルエットにみえるが、木の形をそのままいかしている作品だ。自然が作り上げた形が何にみえるのか。そういった問いかけもあるように感じた。
櫻井孝身『オヒサマウキウキ』
福岡を拠点に結成された前衛美術集団「九州派」の創立メンバーで、作品には九州の炭鉱夫をイメージしたコールタールを使用している。ぬらぬらとして恐ろしく、人の顔のようにもみえる。
須田一政『風姿花伝』
寺山修司が主宰する演劇実験室「天井桟敷」の専属カメラマンを経て、フリーランスの写真家になったという。ユーモアとドキッとする不気味さ、不思議さのバランスが絶妙で引き込まれていった。
私たちも嫌なことがあれば想像力を働かせて別の世界へ行こうとする。シュルレアリスムは自身と遠い世界ではなく、いつでも足を踏み入れることができる救いの場所なのではないだろうか。