Column

酒場奇太郎
〜仕事〜

岡本奇太郎

酒、女、ドラッグ〈出会い〉
酒、女、ドラッグ〈過去〉
からの続き

「暮しが仕事 仕事が暮し」
敬愛する陶芸家・河井寛次郎の言葉だが、私もこれに全く同意見である。今以って私は、仕事とプライベートを分けて考えたことがない。やりたくないことは仕事にできないし、やりたいことを仕事にするから、必然的に仕事のことばかり考える。日々見聞きする全てのものに対して、何か仕事に活かせる部分はないか考えてしまうので、「暮しが仕事 仕事が暮し」。そうして、自分を懸けてきたはずが、辿り着いたのはギャル男のファッション誌編集部だった。

社長の言い分は、「お前はファッション好きだからちょうどいいだろ」というものだったが、かつて「姫路の藤原ヒロシ」と言われた私を舐めんのもいい加減にしろってハナシ。私が追い求めてきたファッションとは上記の写真のようなものではない。こんなものを着るくらいだったら、ゴミ袋を被っていた方が100倍ましだろう。さておき、生まれて初めて、やりたくない仕事しかない状況に追い込まれた私は、とにかく死にたかった。

「やりたくなくても我慢する」
「生活費を稼ぐため」

そのような、ほとんどの人たちが当たり前にこなしていることが、私にはできない。だからといって、首を吊る勇気もなかったし、自分の手首に刃物を当て横に引くことすらできなかった。そんな私が実践していたのが次の手法である。

【用意するもの】
・向精神薬(あればあるほど)
・酒(あればあるほど)

会社から帰宅すると、私は毎晩のようにこれらを大量に流し込んでいた。すると、「ぐるぐるバット」を100回転したような状態になり、自分の体を支えることもできず、壁に激突しては倒れるが、ぐるぐるは止むことがない。当時、京王線沿いのマンションに住んでいた私は、その状態で窓によじ登り、両足を京王線が走る外側に放り出し、窓の桟に腰掛けて、ひたすら呑んでいた。頼むから間違って落ちてくれ。そう願っているはずなのに、酒瓶を持っていない方の手は、そこから絶対に落ちないように窓枠を強く握りしめ、結局その体勢で終電が通り過ぎるまで呑んでいた。窓から部屋に戻ってもぐるぐるは止まず、また壁に激突して倒れるが、窓枠を強く握りしめた方の手は、カタカナの「コ」の字に固まったままで、それを見て泣きながら気絶して、目が覚めたら会社に行くという日々だった。

そんな時、コラージュを作ってみようと思った。それまで、いわゆるアート作品を作った経験など1度もなかった。作ろうと思ったきっかけは、私が長年連載を担当していた吉永嘉明さんの影響だった。このことは、今まで様々なところで言及してきたが、以下に過去の原稿の一部を引用する(『芸術超人カタログ』より)。

“僕が芸術に関心を持つようになったのは、雑誌編集者時代に担当した吉永嘉明氏との出会いがきっかけだった。5年の間に仕事仲間と親友と妻を相次いで自殺で亡くし、極度の鬱状態に陥った吉永氏は、自身の希死念慮を振り払うためにコラージュの制作に没頭していた。その常軌を逸した作品群を目の前にした時、わかる/わからないを超えて強い衝撃を受けたのだ。”
 
吉永さんは「コラージュを作っている時だけは死にたい気持ちを忘れられる」と言っていたし、実際に創作に没頭することで生き延びている様子を間近で見てきた。私自身が極限状態にまで追い込まれた時、ふとそのことが思い出された。まだ、わずかにあった生きたいと思う気持ちが私をコラージュ制作へと向かわせたのだ。「アーティストになりたい」とか「誰かに認められたい」といった動機や願望など一切なく、それしかやることがなかった。しかし、これが私には救いになった。ギャル男のファッション誌編集部で作りたいものを作られないフラストレーションを夜な夜な1人で作るコラージュに全てぶつけた。それまで、いくら作りたいページを作り上げても、最終的なジャッジを編集長に求めなくてはならないヒラの編集者だった私にとって、一から十までを自分で決められる作品づくりの自由さに血が騒いだ。誰に見せるわけでもなかったが、自分自身の完璧を追求できる場所があるだけで生きる喜びを感じられるようになった。

閑話休題。私は4月にアル中から完全に脱した。それまで十数年間、休肝日なしで、2日で一升のペースで呑み続けてきたが、5月以降、自宅で一滴も呑んでいない。たまに家族や友人と呑みに行くことはあるが、月に1、2回程度だ。あらゆる中毒を脱してきた私が最大の難関だと思っていた酒だが、運命を変える方法を実践した結果、あっけなく止めることができた。酒をやめたことで得られたメリットは計り知れないものがあり、仕事の規模感や付き合う人など、自分を取り巻く状況が目まぐるしく変わり始めたが、この連載のことだけが気掛かりだった。酒を呑んでやらかさなければ遭難財布のようなエピソードは生まれない。そこで、『酒場奇太郎』は創作の名のもとに、なしをありにして締めることにした。そうして行き着いたのが道玄坂をのぼり切った先にある『みさわ』だった。

『小説推理』(双葉社発行)で連載中の「芸術家、はじめました」が文芸総合サイト『COLORFUL』からも読めるようになりました。

Creator

岡本奇太郎

美術作家/ライター。雑誌編集者時代に担当した吉永嘉明氏(『危ない1号』2代目編集長)のコラージュ作品に影響を受け創作活動を開始する。以降、様々な手法を用いた作品の制作、雑誌・Webメディアの原稿執筆等、カタチを問わず創造力捻出中。