友達と酒を呑む時は、翌日に記憶を失うほどの勢いで呑まないと、その人と限界まで楽しみきったという手応えが得られず、後々寂しい気持ちになる。それが嫌で毎度のように記憶を喪失するわけだが、そんな破滅的な呑み方をしていると落とし物や忘れ物が絶えない。例えばある日はこうだ。
「ただいま」
「え??? どうしたの???」
妻が驚いた表情で私を見ている。
「なにが???」
と言って5秒後、はっと気づく。
その日かぶっていた帽子、かけていた眼鏡、背負っていたリュック、羽織っていたジャケット、ポケットにあったはずの財布もiPhoneも全てない。
「嗚呼、やってもうた…」
「どこで呑んでたの?」
「どこかな…」
しかし私レベルになると、このような状況でも落ち着いたもので、とりあえず水を1杯飲み、PCで『iPhoneを探す』にアクセスする。
「あそこの遊歩道にあるわ。そういえば増沢君と岐阜屋で呑んだ後、コンビニで酒買って外で呑んでたんや」
そうして妻と一緒に位置情報が指し示す遊歩道に行くと、全てがそのままあった。
「な!」
「な!じゃないよ!」
私の経験上、落とし物や忘れ物はほとんどの確率で出てくる。だから何を失っても動じることはない。だがそんな私でも、もうこんな思いはしたくないという経験が一度だけあった。
この話は私の中学生時代に端を発する。
平成生まれの人には想像し難いだろうが、30年前に私が通っていた兵庫県姫路市のM中学には、氣志團のメンバーのような出立ちの先輩方が少なからずいた。ある時は職員室前の2階の廊下を原付で爆走し、またある時は『警察24時』に「集団でシンナーを吸う少年たち」としてゴールデンタイムで放送されるなど、ヤンチャすぎる先輩が沢山いた。
不良でもなければ優等生でもない、ごく普通の学生だった私は、そのような面々にただただ怯えていたが、同時に彼らは憧れの対象でもあった。出来れば私も金髪にして、短ランとボンタンを身にまとって通学したい。しかしそういうわけにもいかないので、私は他人から見えない範囲で不良ファッションを楽しんでいた。
主なファッションアイテムは2点。裏ボタンと財布だった。
裏ボタンとは学ランのボタン裏に装着する留め具のことで、イラストや文字が装飾されており、5つセットで売られていた。しかし後に述べる財布と同様、裏ボタンを購入するには変形学生服を販売する店舗に足を運ぶ必要があった。当然そのような店には地域の不良少年が集まるため出来る限り近寄りたくない。だが我が校の校庭には、ありがたいことに(?)この裏ボタンがタバコの吸い殻にまぎれて、たまに落ちていたのだ。無論、5つセットで落ちていることはないので、ひとつひとつ時間をかけて収集するしかなかった。
私が5つコンプリートしたのは中2の3学期だった。『5つセットで「恋人募集中」になる「募」のみ』『麻雀牌のウーピン』『B’z』『日の丸』『キティちゃん』という狂ったラインナップではあったが、それでも私は十分にごく普通の学生からはみ出した気分で満たされていた。
問題は財布である。学ランと同じ生地で作られた刺繍入りの財布は不良の必須アイテムだったが、財布だけに裏ボタンのようにそこらには落ちていない。こればかりは勇気を出して変形学生服屋に買いに行くしかなかった。
遠くから店内をのぞき見て、中に店員しかいないのを確認するとダッシュで入店する。いつ不良が入ってくるかわからないので、極力短い時間で自分好みの財布を探さなくてはならない。第一希望としては、悪そうなイラストと『喧嘩上等』や『暴走天使』など過激なメッセージが刺繍されたものがほしい。しかし万が一、それらのメッセージを不良に見られようもんなら、「お前喧嘩上等なんかコラァ!!」と絡まれるかもしれない。
結果、私はメッセージなしで、龍のモチーフ…、だと攻めすぎな気がして、龍みたいな何かが刺繍された財布を買って足早に店を出た。友達には「タツノオトシゴ」と言われた財布だったが、自分としては確実に不良への道を歩んでいる気がした。
話は現在に戻る。
ある日、横須賀の古着屋『Disconchi』に行くと、あの不良財布のデッドストックが大量に売られていたのだ。あれから30年が経ち、もはや誰を恐れる必要もない。私はその在庫をじっくりと吟味して、炎に包まれたドクロに『極悪』と刺繍された一番悪そうな財布を購入した。私からすれば当時の憧れやノスタルジーも相まって最高にイカした財布ではあったが、40過ぎの中年男が持つ財布としては究極にダサいことは自覚していた。
そのため友達と食事に行く時でさえ、店内に入る前にお札だけをポケットに移し替え、財布を見られないようにしていた。コンビニなどで会計をする時は、店員に背を向けて、手のひらで包むようにして財布を持ち、決して見られないようにした。不便ではあったが、それでも私はこの財布を使い続けたかった。しかしある日、私は呑み過ぎた挙句、この財布を失くしてしまったのだ。
長年の勘で、おそらくきびしい戦いを強いられる予感はしたが、仕方なく警察に電話をした。
警察の遺失物を管理する部署は、落とし物をした大体の日時と、大まかなエリア、落とし物の種類を言えば、その条件に該当する物が届いているか検索をかけてくれる。
「それらしい物が届いています。財布の特徴を教えてもらっていいですか?」
言えるわけがない。これまで友達や見ず知らずの店員にさえ隠し通してきた『極悪』だ。40男が警察相手に「極悪です」は恥ずかし過ぎるだろう。何とか恥をかかずに財布を奪還する方法はないだろうか。私は粘り強く交渉した。
「えーっとですね、黒い財布です」
「他に特徴はありますか?」
間が悪いことに、前の週にiPhoneを失くしたばかりで、妻から「どうせこれからも色々失くすから、呑みに行く時は免許証とかクレジットカードは置いて行って。手続き面倒だから」と言われたばかりで、身分を証明するようなものを一切入れていなかった。
「あのー、二つ折りの財布なんですけど」
「そうなんですね。こちらに届いてる財布も二つ折りですね。もう少し特徴はないですか?」
「材質は布製ですね。強いて言えば学ランの生地みたいな感じですかね」
「あー、なるほど。もう少しないですか?」
「あのですね、さっきまで財布って言ってたんですけど、本当はジョークグッズみたいな感じなんですよね」
「ジョークグッズというと?」
「あのー、だからドンキとかに売ってる一発芸的なやつあるじゃないですか」
「はい」
「えー…、あのー…、もしお金がそのまま入ってたら4千円と小銭が少し入っていると思います」
「はい」
「……」
「もう少しないですかね?」
「えーと…、あのー…、まあ100パージョークグッズなんですけど……、極悪って書いてます…」
「それを待ってました!」
私は恥ずかしさを紛らわすように早口で、
「まああの自分としてはどうかなと思ったんですけど、友達からのプレゼントなので、そこはノっとかないとあれかなと思って…」
極悪待ちだったポリスはそれをかき消すように、
「いやー、この財布の特徴でそれ言わないのはナイでしょと思って!」
こんな屈辱は初めてである。私は電話は切ってすぐに銀座のDoverに向かった。「少年のように」を意味するCOMME des GARÇONSの財布を買うために。
今日はこれから歌舞伎町の『番番』で一杯。ではこの辺で。
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