今回の煩悩は、6つの根本煩悩である痴(ち)の中の不正知(ふしょうち)。
痴は、真実がわからない。
不正知は、やって良い事とだめな事の区別が出来ない。
基本的に、一生やって良い事とだめな事が分からないと思うております。性分どころではなく、他人の地雷を容易く踏む技術が高い。プロ。アマではない、プロ。
春は、出会いと別れの季節と誰が云っていたの?
花粉と疫病と情緒にコンボで脳に効く点媚薬を欲する季節。
3月号で編集長が書いていた映画『サウダーヂ』の話の様な地元と都市などについて、私も視点が違えど書こうと思っていた。
今年に入ってから、猛スピードで人との出会いに恵まれ、久しぶり上京し「シティ良いわ~」を連呼していた。あんなに「シティ良いわ~」と言っていたはずだが、地元に出来た超洒落乙ホテルに行った時、自分は違和感しかなかったのだ。
「どうして、この隙間にこのデザインがハマるのだろうか」と云う感覚。
違和感しか感じず、ソウルフードのシャンゴ風スパゲッティを食べて、胃もたれ起して帰って来た。ギンギンのシティデザインが施された浮いた空間。古びたビルの合間の凹。「これは何を見せられているのだろうか」と思った。勿論、有名なデザインの方とお見受けした。
加えて、自分の街にも非常に斬新な某施設があり県内外から有名とのこと。私はその目の前のボロいマンションに毎度目をひかれ、物件情報を漁っていた。そればかりか、某施設の洒落た造形の螺旋階段を登るたびにクラクラしたのだった。
自分のいた街は、工場地帯の為北関東一の歓楽街と呼ばれたスナック・風俗がひしめく場所が在った。今もそこそこ在る。なので、幼少期より風俗関連の写真やスーパー天女と書かれたド派手なキラキラ系看板は、別に嫌悪となるものではなく普通だった。看板についていたフラッシュみたいな点滅型のライトは、小学生の頃からアガッたし、今も好きだ。
呑み屋街の横に市民会館があって、興味のないウィーン少年合唱団へ連れていかれる方が苦痛で泣いたのを覚えている。工場地帯の夜は、建物にライトが付き煙も幻想的で、車から見るのが好きだった。
悪そうな奴はだいたい友達って訳では全くないけど、その住む街に、突如として東京みたいな建物が出現する。結構なデザイン系。周りから切り離された違和感凹。
その横に足つぼマッサージの看板やハラールの外国系商店や古いカメラ屋があったりするので、そちらの方が個性を放っていて、印象的に映る風景。
そう街って風景。全体がひとつ。
シティもそう、シティの破片が集まるから成立する。
余りにも切り離された違和感。
私は突如して出現するシティデザインが街を汚していく感覚になり始めて行った。何故、地方は東京に寄せていくのだろうと疑問が浮かんでいた。はたまた何故、田畑と工場、良き雰囲気の歓楽街をアピールポインツとして街を紹介せず、ひた隠しにして行くのだろうとも。絶望でなく、そこで生きている人を否定される様で嫌だった。
その某施設でも地元を取り上げた展示していたが、余りにも錆びた場所を切り取っただけの写真が並べられ、退廃的過ぎて悲しくなった。
人は繁栄を望むけど、豊かさを増長していくことだけが、幸せなのだろうか。上澄みの綺麗さや爽やかさだけを吸い込んで、白壁だけみて生きてゆけるのか。怖くなった。表層だけの美しさだけで動くならば、流行と云う呪縛を引きずり回して婆さまになればいい。
いやしかし、バブル期の懐かしみ建築物と一緒で、その内良い雰囲気醸し出してくれるかもしれない。「エモー」みたいなやつっすよ!
のんきに住んでいる街って何なのだろうと考えることが多くなった。初老。
東京と地方という云い方は好きじゃないし、地元でも面白いことをやっている人もいて、「そこから世界にいける時代になったよ」と教えてくれた方の言葉が何より沁みた。
その方には、「なんで皆一度東京を通ろうとするの!そんなこと必要無いのに」と云われ、ぐうの音も出なかった。また友からは、「地方で無茶なデザインして荒らしていくだけの行為は良くない」と云う言葉も沁みた。
寄せてくことに必死で、シティの二番三番煎じみたいなカフェには行かず、ディズニーランドの中にトタンのほったて小屋作りたい感じさ。
余程自分の方がやって良い事をダメなことの区別がつかない、プロ。日々地元でコソコソと生きていますが、良き建築家や景観と超マッチした店、趣あるレストランや喫茶店をやっている方々がいるのも事実。
はたまた、オリンピック後にはライター達のタグが綺麗にはがされてしまった東京にも残念でいる訳。血気盛んに貼り放題書き放題で良いと思いますよ、ライター達。ざんまい三昧。
そう街って風景。全体がひとつ。
ロンドン、ニューヨークや富山(ここは本当に景観が美しいと思ふ街)の様に古きとご新規様がうまく共存している様な調和を持てないだろうかと。寄せるではなく各々が個性豊かに独立的に。
春の陽気と共に、相変わらず私の居場所は定まらないまま何処へ、さぁ村八分。
佐藤一花