Column

富士山に登る 前編
登山準備~富士山八合目

PEANUTS BAKERY laboratory

2024年8月2日、初めて富士山に登頂した。これはその前後の日記。
遡って7月11日、1回目の挑戦は天候不良のためアタック失敗(その日はたまたま山開きの日であった。しかしテレビニュース等でも報道されていたが、死者も数名でるほどに山は荒れた)。気を取り直して、天気予報と体調をぎりぎりまで様子見しながら翌月最初の休日を再アタック日に設定した。

7月29日

登山前最後の休日、行動食づくり。干し芋、バナナケーキ、チョコとブルーベリースコーン、オートミールバー。富士山のお供分以外の余りを、登山の日まで朝食やおやつに食べる。繰り返し繰り返し同じものを食べておなかを安心させる。

せっせと行動食作り

7月31日

持ち物、身につけていくものを全て机に整頓して並べておく。忘れ物がないように。石川直樹さんの『富士山にのぼる』を何回も読み返す。

8月1日

急いで仕事を終えて帰宅。いつものランニングはさすがにお休みしてさっさと夕食。シャワーを浴びてドリンクをフラスクに詰め、冷凍庫で冷やし布団に入る。

午前1時に起床、午前1時30分出発。ガソリンを満タンにして、ローソンでレッドブルとチョコクロワッサンを調達。食べながら向かう。菓子パンは普段食べないけれど、このローソンのチョコクロワッサンはチョコが分厚くて満足感高い。車中ではポッドキャスト『テングラヂオ』をかけ流し。

予定通り午前3時より登山開始。

サングラスはまだ不用なのでどこにしまうか迷って、とりあえずベストのポケットに差し込みヘッドライトの明かりを頼りに真っ暗な道を歩き出す。この日も他に人はおらずひとりで暗闇を歩く。行く先には道標の小さな灯りが点々と灯っている。

ちょっと歩いてサングラスを落としたことに気づき祈る気持ちで戻る。買って間もないし気に入ってるし、目の弱い私にはサングラスが無ければ登山も断念せざるを得なかったが、奇跡的に元来た道に落ちていた。後ろのジッパーにしまい気を取り直して出発。今週はタイムカードやクレジットカードなど大事なものを落としてばかりだった(運良く全て戻って来た)。

気温は10℃、風が割と強くウィンドシェルをこまめに脱ぎ着して、顔に風が当たらぬようにネックカバーを目の下から覆い、キャップの上からフードを被り耳を守りながら2時間ほど暗闇を進んだ。風の音は意外と怖いし肌に当たるのと疲れを増す。直接受けないだけでも気持ちを保てる気がした。ただ足は短パンなので寒冷じんましんが出ないといいなと思っていた。

富士山の六合目あたりの夜明け

午前5時前に後ろから太陽が少しずつ顔を出しヘッドライトを消してジッパーにしまい込んだ。先月は下を振り返ると町がよく見えたがこの日は雲海が広がり、自分がどこにいるのか分からないような……天国ってきっとこういうとこなんだろうなと一瞬思いつつスマホで動画を撮りすぐ前に歩みを進めた。とにかく疲れや痛みがいつやってくるかわからないし、集中が切れる前に進めるだけ進まなければならない気持ちの方が圧倒的だった。

御殿場ルートは山頂までの距離が他の3ルートより長く標高差もあり難易度が高いため、登山者の0.5%ほどしかこのルートを使わないので空いているそうだが、想像以上に人がいない。持参した例の行動食4種類プラス今年初めて漬けた蜂蜜梅干を各3個ずつ、それらを3キロ毎にローテーションで食べながらとにかく一歩ずつ、蛇行する長いルートを進んだ。

この時に思い出していたのは高3の時の北海道修学旅行帰り、夜行列車のベッドの上で友人とお土産に買った六花亭のチョコレートを開けておいしくてすぐ食べきってしまわぬように、なんとか終点の上野まで持たせようね、と30分毎だか時間を決めて一粒づつ食べたことだった。インターバルの間にヒソヒソと笑い転げながらおしゃべりしてチョコを節制しながら規則的に食べた時の口の中に広がるあの幸福な甘さたるやなかったな。

腿の付け根を手のひらで後ろに押しながら進むうちに左腿に少し違和感を覚えたので、話しかけるようになだめながらゆっくり進むうちに違和感は消えていた。

六合目あたりでようやく下山してきたパーティとすれ違い始める。

七合五勺の山小屋の中では多くの登山客が朝ごはんを食べていた。私は念のためトイレに寄り、それ以外は立ち止まらずぐんぐん進んだ。

先月の登山時は3,100メートルのこの地点辺りで、急に生まれて初めて体感した立ち上がれずうずくまるしかない超強風が、下から上から吹き荒れまくり、登頂を断念した。

午前7時、気温13℃。天候は申し分ないが、陽が完全に昇ってしまったら高い気温と強い日差しで大変なことになるだろうなと不安があったので、とにかく先へ先へ一歩ずつ進んだ。体調は万全で前回と同じく余力は充分だが、この先がどのくらいなのか全く想像がつかない。

八合目までも問題なく進む。この頃になると下山者とすれ違いが増えてきて、歩みを止め休める時間が取れるようになって、自然とペースダウンしてきたが八合目以降頂上までの道のりが想像を超えて長かったので後から考えるとよかった。

下山者には韓国か中国系の人達が多かった。日本人の女性のみのグループやペアなどは必ず励ましたり明るく声を掛けてくれた。

たまに方向確認のため上を見上げるが、首が痛くなるので少し先の地面を見ながらずっと歩いていた。ザレた地面から赤土に変わりカメムシが所どころにいる。

登っている間はとにかく息をゆっくり長く吐くことだけを意識していた。

山頂までの6時間は、90%は呼吸、あとは水分補給のことを考えながら。切れないように気にかけながらひと口ふくみ口の中をしばらく潤してから喉に流したりとそんな工夫をしつつ我慢はせずに補給した。

持参した飲みものは、ベストの左右のポケットに入る500mlのフラスク2本に梅干しを作る際にできた梅酢を水で薄めて蜂蜜を混ぜた自家製ドリンク。背中に市販のレモンや梅味の塩分補給ドリンクを2本。

前回は1リットルの水を持参して七合目までに3回トイレに立ち寄ったが、この日は下山まで1回だけで済んだ。水は吸収されずそのまま体外へ出てしまったのだろうが、今回のものはちゃんと補給するたびに身体の細胞の隅々まで必要な塩分や糖が染み入っている感じがした。

普段から体が水分不足になると偏頭痛が起きてしまうため、水分が足りているかどうかには常にナーバスに生活しているおかげで今回の補給計画もうまくいった。

自分の体の細部で異常はないか、たとえばふくらはぎのハリや首、肩のコリ、肌に当たる日差し、腹の持ち具合などあらゆる部位にお伺いを立て、対話しながら一歩ずつ足を前に出す。とにかく小さくとも前に進む。

後編 九合目〜大砂走り下山 へ続く

Creator

PEANUTS BAKERY laboratory 長谷川渚

1980年生まれ、神奈川県秦野市存住。パンを焼き、菓子をつくり、走る人。開業準備中。屋号は幼少期から常に傍らに居続けるSNOOPYのコミックのタイトル、及び秦野市を代表する名産物である落花生から。「laboratory=研究室」というと大袈裟な聞こえ方だけれど、かちっと決めてしまいたくない、常により良さを求めて試行錯誤する場所、自分でありたいという思いを込めて。