Column

サイトウ兄弟往復書簡
その2 本を読んでいて影響を受けること
(サイトウ兄)

サイトウナオミ

往復書簡2回目。弟からの返信は北海道への旅と村上春樹だった。それにしても学生時代の旅も兄弟でスタイルが大分違っている。片や計画的だが移動に苦労して寝床もない旅。片や移動や宿泊はきちんとしているが目的地のない旅。面白いことにどちらも無茶が好きという点は共通している。これも保育園に入るか入らないかの頃から山に連れ回すサイトウ家の英才教育の賜物であるに違いない。三つ子の魂百までである。

魁!!サイトウ塾

サイトウ家は勉学のほうも教育熱心だった。とりわけ読書習慣の定着には山登り同様早くから取り組んでおり、小学校にあがるくらいまでは、ほとんど毎日、両親が絵本の読み聞かせをしてくれていた。その成果で兄弟揃って本好きになり、弟にいたっては本屋を営むまでになっていたりする。

今でも残ってた思い出の絵本たち

その頃読んでもらっていた本の中でも、特に好きだったものについては今でもよく覚えているのだが、思い返すと私の趣味嗜好に関して確実に影響しているものばかりである。一番に思いつくのは田島征彦の『じごくのそうべえ』(童心社)だ。軽業師のそうべえは綱渡りの最中に転落して命を落とす。閻魔様は仕事をしたくないとほとんどの人を極楽にやってしまうのだが、そうべえ、山伏のふっかい、歯ぬき師のしかい、医者のちくあんだけは地獄行きとなってしまう。ところがこの4人、いずれ劣らぬクセモノぞろい。鬼も手を焼く大暴れ。これには閻魔様も大弱り、というお話。そうべえたちの痛快な活躍もさることながら、上方言葉の軽妙な語りがとても面白かった。そうべえについては父が読むのが上手かったように覚えている。

この絵本だが、実は上方落語の「地獄八景亡者戯」(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)という噺が元ネタだったということを最近知った。人間国宝の三代目桂米朝が得意とした演目である。なるほどあのリズムは落語のものだったか。そうなると私が落語を好きになったのもこのあたりがルーツなのかもしれない。

落語を元にした絵本はほかにもあった。あかね書房の寺村輝夫シリーズの「わらいばなし」、「ほらばなし」で、短い噺を絵本にしたものだった。あたまやま、たいらばやし、ねこのなまえなどは今でもよく聞く噺である (短いのでマクラになることも多い) 。私は小さい頃から無意識のうちに落語に触れていたのだ。

寺村輝夫のシリーズにはおばけの話もあり、これは挿絵のかわいらしさに反してなかなか怖い話が多く、怖がりながらも好きだった記憶がある。瀬名恵子の「うさんごろ」シリーズ(グランまま社)でもおばけが出てくるものが好きだった。要するに妖怪好きなのだ。このあたりは長じて京極夏彦作品を愛読するようになることに繋がっている。

福音館書店の「たくさんのふしぎ」も忘れられない本だ。1985年に創刊され、今もなお刊行され続けている月刊誌である。これは母がどこかで見つけて買ってきてくれたと記憶している。小学校3〜4年生を対象としており、社会、科学、言語、美術、音楽など様々なジャンルから子どもたちの〈興味〉をかきたてることを目的としている。この本が出たときには小学校3年生になっていたので、読み聞かせしてもらうのではなく自分で読むようになっていたと思う。

印象深かったものとしては、創刊号の「いっぽんの鉛筆のむこうに」がある。鉛筆という小学生にごく身近なものの原料が、実はスリランカの黒鉛とアメリカの木材というはるか遠い場所のものであり、世界的な流通経路を通って日本の工場でやっといっぽんの鉛筆となる。身近なものの背景にある壮大な旅路に感動した記憶がある。こうしたメイキングものは今でも好きで、NHKの「プロフェッショナル」や「解体キングダム」などは放送しているとついつい見てしまう。これも三つ子の魂。今では国内の間伐材を使ったも鉛筆もあるから、令和版「いっぽんの鉛筆のむこうに」などあれば読んでみたいところだ。

第2号の「はてなし世界の入口」も思い出深い。恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量大数と理論上は無限に増やすことのできる数字の桁、川のほとりの数え切れないほど砂の数、永遠に続く合わせ鏡の世界、どちらが先か決着のつかない卵と鶏の問題などなど日常のとなりに開くはてしなくきりがない世界が紹介されている。内容も興味深いが、それ以上にタイガー立石の描くサイケな挿絵がかなり印象的だった。ビビッドな色使いと不気味ながらも愛嬌のあるキャラクターが非常にインパクトがあった。これで免疫ができたのか、アニメ「ポプテピピック」のAC部パートなども抵抗なく受け入れられている。

ヨーロッパへの家族旅行

そんな文武両道のサイトウ家の教育が最高点に達したのが、私が高校1年、弟が中学2年のときに連れて行かれたヨーロッパ旅行だった。家族でも海外旅行などというと一般的は豪華なバカンスというイメージだが、サイトウ家は一味違った。行った国はスイスとフランスなのだが、目的地はアルプス山脈。6泊7日の旅行だったが、このうち5日はキャンプ場でのテント泊で、うち2日は両親がモンブランに登るため兄弟2人でシャモニーのキャンプ場での留守番だった。無論、大人しくテント番をしているサイトウブラザーズではなく、シャモニーの街に繰り出して買い物をしたり、キャンプ場の周りをハイキングをしたりしていた。言葉もろくに通じないにも関わらず、だ。当時はあまり疑問にも思わなかったが、今思うとかなり無茶をしていた。

ともあれこうした経験をさせてもらった結果、今では私は海外出張のある会社で働くようになり、弟は地元桐生で様々なことを手がけるようになっている。

振り返ると家庭での教育の影響というのは大きいものだとつくづく思う。私も昨年末に娘を授かり不惑も半ばでやっと人の親になったのだが、自分が両親にしてもらったように色々な経験をさせてあげたいと思っている。もっともサイトウ塾伝統の無茶についてはあまり激しすぎるとよろしくないだろうからほどほどにして、絵本の読み聞かせくらいから始めるのがよいだろうか。身近に本屋さんもいることだし。

こんなことろで交代。どう続くことやら。

サイトウ弟へ続く

Creator

サイトウナオミ

地図描き/ふやふや堂店主。群馬県桐生市出身。東京・京都を経て2012年秋より再び桐生市に住む。マップデザイン研究室として雑誌や書籍の地図のデザインをしながら、2014年末より「ちいさな本や ふやふや堂」をはじめる。桐生市本町1・2丁目周辺のまちづくりにも関わり始める。流れに身をまかせている。