Column

確固不抜なわたし

佐藤一花

確固不抜(かっこふばつ):意志や精神などがしっかりしていて動じないさま。また固く定まって変えることができないさま。

新緑と共に外を眺めては、脱法であるハッピーターンを食べている。
正に変えることの出来ない私。
魔法の粉を入手し、PCに向かっている。
外はむしろ蛍光グリーンな葉っぱがみえる。
それなのに私って、作家でもないのに文章を書いている。
自分を思ふとそんな事ばかりだ。

作家でもないのに文章を書き、藝術家でもないのに、絵を制作して個展をしたり、デザイナーでもないのに、プリントしたりしている。自分のグッズだって、今の仕事だって、何もプロではない。いつも自分は何やってんだと思っている。中年になり、半ば開き直り的に生きているものの、そんなに深く考えてもいない。

去年のべスト読み物だった、美術手帖(2022年10月号)の五木田智央特集を想い出して、もう一度読み返した。

大いに昔、フランスの雑誌Purpleが洒落て、i-Dの如くハイセンスで大好きだった頃、イラストレーターとして活躍していた五木田氏の絵が大好きだった。プロレスの絵が多かっただろうか。その後、TOGAなどのブランドでもみる様になり、東京オペラシティの展示もみに行ったし、人物像は知らずとも影響を受けた方だ。

その美術手帖に対談が載っており、私が近年とても好きでいる画家の方だったので、好きの連鎖が勝手に大波で押し寄せてバーニングしていた。自分の中では繋がっていない好きな2人が、まさか…度肝抜かれた場面だ。その対談相手の角田純氏は諸橋近代美術館でパタリと作品に出会い、これは!の雷撃たれ系で、鉱物を使用した立体作品が実に美しい画家である。ペイントも、色や配置のピュアさがとても堪らないのである。最初、勝手に思い込みで女性の方だと思っていたら、男性でとても驚いたのを覚えている。SNSでもなんだか相互フォローさせて頂き、展示でご本人が居るとは思わず、ビビって事後メッセージをした事があった。

美術手帖の内容は、五木田氏人物解説書の様で、読んでも尚凄まじく楽しかった。2人ともデザイン出身で、今でこそ現代美術の中にいるが、美術業界とはまた違った場所にいた2人。目線が美術がっちりの人とは全く違う。ヘタに関しても、大竹伸朗についても、グラフィティについても、全て2人が語らう内容は自分にとって金言ばかりだった。

このように好きが詰まり過ぎていると、本当に文章にしにくい部分が毎回あり、伝えられる部分が非常に難しくなる。

感覚的になど色々有るのだけど、大竹伸朗展の様に私の中で、背中を押してくれる様なバイブルとなった。あくまで緩い様で、きちんとした自分の目線を持っていることの大切さをいつも感じる。自分もコンセプト等を考えることも勿論していたが、それを余りしない、苦手だという画家達が私の中でキーワードなのだろう。自身の作風も同じで、やっぱりどんどん変わって行く画家達が好きなのだ。横尾忠則、大竹伸朗、五木田智央、角田純も変幻自在だ。変化を恐れない。その時の自分すら何か分からなくても、自動的に身体が動いて、外へ出て感じているモノが投影している作品。言葉で誤魔化さない部分が信頼となるのだろうか。自分でもわからない部分を表現していくのが藝術なのではと云う部分も。

現代美術云々の前に、美術手帖にも書かれている様に「どこまで自分が面白さを感じ取る目を持っているか」なのだろう。これは何にでも変換できる言葉な気がしている。そうすることで自分の何者でもない感が少し緩和して、面白さを追うことができるだろう。

パイセン達の胸アツ言葉に勇気元気百倍の美術手帖に、普通の片田舎の女が固く定まった日。面白いので是非、美術手帖を読んで欲しい。100問100答もやりたいわ。

佐藤一花

Creator

佐藤一花

1979年群馬県生まれ。文化服装学院卒業後、アパレル生産管理、販売などを経て、現在のオフィスアートレディ活動に至る。イラスト・コラージュ・立体作品を制作。群馬、東京、埼玉など全国各処で展示を開催。