Column

痴で昏沈の楽園

佐藤一花

今回の煩悩は、6つの根本煩悩である痴(ち)の中の昏沈(こんちん)。
痴は、真実がわからない。
昏沈は、心がめいってふさぎこむこと。

心がめいっている訳ではないが、私って好きで続けているモノって、結構無いなぁと考えていた。カメラや読書もしない、酒も呑まないし、どれだけ高テンションで過ごすかは、結構大人になると重要な気もしていた。大人面白時間の積み重ねが、後に響いてくると勝手に思っていたからだ。

親しくない周りにも、帰ってもやる事ねーし楽しみがないので、つまんないなんて話を耳にする。こんな時だから、尚更だろう。

そう云えば場所は変われど、行けば途端に元気になれる、それこそ10数年続けているモノがあった。安曇野の穂高養生園へ行く事。今年も、そんな訳で長野県へ向かった。

穂高養生園は長野県安曇野に30年以上前からある宿泊施設で、1日2食のマクロビとヨガや森林散歩などのプログラムが行え、深いリラックスを感じられる、自然治癒力を高めることを目的としたホリスティックリトリートができる宿だ。

こう聞くと「さぱーり???」なんて感じもするだろうが、心身休まって良い塩梅な処なんです。ここへは、10年近く年1回程度必ず訪れている。

オフィス&アートレディでギャンギャンな小傷だらけの日々だけど、ここを訪れるとすっぽり芯から癒されて帰ってくる。いつも尖って、肩で風を切ってふさぎこんでいるかと思いきや、神様系聖地を持つ我。

宿内のセラピーも充実していて、エサレンボディワークの柴崎さんとはここで出会い、今も交流させて貰っている。今回も千手観音的温かさなワークで、マッサージの類なんかとは別の自由を手に入れた気分になった。

料理の師である弥生さんもここに居た方で、マクロビとは思えぬ豪華さ、美しさと美味しさ与えてくれる料理家の方だ。

今回の滞在時にふと考えていたが、私は結局外向きパワーの人が好きで、養生園で出会ったお2人がまさにそうで、気持ちのいい秋晴れ雲なしの様なお方であった。

私は、養生園で働く人々を尊敬も含め「妖精」と呼んでいる(勿論勝手に)。皆がとても可愛らしく、せっせと働き良い距離感で接してくれるので、実際は実在しないのではないか、と思っている。

最初に言っておくが、ここの回しモノではなく、ただただ自分の楽園なのだ。

皆にもそう云った楽園が在るのだろうか?途端に気になり始めた。

行き始めた頃は、自身がヨガやヴィパッサナー瞑想という12日間無言で10時間以上座る瞑想センターに行き、今と同じホログラム蛍光色も好きだが、手塚治のブッダ的世界を好んでいた。当時は、精神的に最強になりたかったのかもしれない。要は、小学生男子の世界征服と同じ。

精神脆弱だった訳ではないが、更なる強さと平常心を求めていたと思ふ。

ヴィパッサナー瞑想なんかは、超幸福感マシマシアッパー系で帰ってこれたので、数回行った位だった。インド最古のやーつなんで、これまた調べてみてください。

養生園にいると、よくある自然療法やヴィーガン関係の宗教的雰囲気、何か敵視するようなものを全く感じない。自分がバンドT着てようが、ラメった爪でいようが、そこで村八分も無い。たびたび地方コミュで村八分されがちだが、それもない心地良さ。距離を保ってくれる妖精達に感謝し、距離の大事さを思ふ。心も身体も軽くなり帰って来れる楽園が養生園なのだろう。

毎年冬は閉園してしまう訳なのだが、妖精達が来年も居たり、ニューメンバーになったりを見ることも、創業者の福田さんを見かけたりも、私の勝手な楽しみの1つとなっている。創業者の福田さんとは、ハーバルサウナに入り石にかけるヨモギ汁を盃の如く、交わしたのを思い出す。

毎度妖精達とはそこまで話す訳でもないが、勝手にこちらがビンビンになっている為、思考の結び目が度々解ける瞬間がある。1つの職場や同じ仕事で生涯を終えなくても、住まいを1ヶ所に限定しなくても良いのだろう、と選択肢として「在り」と思わせてくれたのも、養生園へ行ってからだ。

お金や食べ物、環境、人、小さな四角い画面の中の、ワフワフしていたら気づけない処がいつも現実として刺さってくる。そして数年でこんなに世の中が変わった様に、確実に生き方の選択は広まった。自分が自身さえ、縛りつけていなければ。

しかし、良い縛りもあると思っている。穂高養生園へ10年位行っていると、完全に身体や精神へ「ここへ来ると腹の調子がいい、よく眠れる、安心できる」の3拍子がスイッチオンされる。

ギャンギャンはスイッチオフになり、こっちがオンになる。
なので、毎度他では得られない心地良さになれる。
これは圧倒的な思い込みな部分かも知れない。

ただ10年程思い込んでいると身体も勝手にそうなっていて、結果、真実なんてどうでもよくて、思い込む行為が凄く大事なのだろうと今回の宿泊で気づいた。前回は言葉の誤解が解け、今回は10年越しの思い込みの好転反応。

原生林散歩に連れてってくれた妖精が可愛らしく「人生自分の思ふ様に不思議と良くも悪くもですけど、進んで行くのだな~って思います!」って言葉を最終日早朝に言っていた。

今回のパンチラインを念押されているようだった。
自分が幸せと思ったら、幸せになるやーつかい。そうか。

実際に世の中には、プラシーボ効果と云うものがある。砂糖などでできた偽薬を医者が薬だと言って処方すると、薬をもらえた安心感から砂糖でも効いてしまう効果があるそう。

また逆もあって、ノーシーボ効果と云う。効くもんも効かねーんですって!驚。

今まで自分は、少し石橋を叩いて叩いて壊して通る様な、闇金ウシジマくんの様な最悪を一度考えてから己の未来を思ふ事が多かったが、いつの間にか養生園へ行けば、身体が反応をするまでの好プラシーボ思い込みを実践していたことに気付く。

自分全体をプラシーボしていけば、そうなれるのか?と思いつつ、また今年も養生園へ行けたので心の秋晴れ。

旅は命の洗濯って誰が云っていたの?

佐藤一花

Creator

佐藤一花

1979年群馬県生まれ。文化服装学院卒業後、アパレル生産管理、販売などを経て、現在のオフィスアートレディ活動に至る。イラスト・コラージュ・立体作品を制作。群馬、東京、埼玉など全国各処で展示を開催。