Column

小さな村 3

ねぎしけんちくスタジオ

「かわいいでしょ」

私は背後からの突然の声に、びくっと肩が動き、少し遅れて心臓の鼓動が速くなっていくのに気が付いた。緊張と期待が入り混じった感情が、私の体をきつく縛り、声がした方向に体を向けることができなかった。しばらく正面をみて、山羊が去っていったあたりをぼんやりと眺め、鼓動が鎮まるのを待っていた。

「山羊、見に来たの?」

もう一度声が聞こえる。穏やかな男性の声だった。頭の中ではまだ見ぬ声の主を勝手に想像していた。その人物はデニムのオーバーオールを着て長靴をはいて、山羊の餌を入れたバケツを片手に持っている、ひげを生やした中年の男性で、その見た目はやさしさにあふれていた。少しの期待を含ませた妄想は、私の気持ちを落ち着かせるのに十分な効果があった。
後ろ振り向く決心をした私は、小さく息を吐いて、握っていた柵から手をおろす。

「こんにちはー」

振り返りざまに、頭を下げて、相手の顔を上目で見ながら挨拶をした。怪しいよそ者にならないようにと心がけて発した、できる限りさわやかな声は、自分でも違和感を感じるほどに高い声だった。私はゆっくりと頭を上げながら、目の前に立っている人物を足元から少しずつ確認していく。

靴はグレーのスニーカーで、ゆったりとした黒いズボンを履いている。上半身は、グレーのパーカーを着ていて、両手をお腹あたりにあるポケットに入れている。どこを見ても特異性のない無地の服で覆われた、どこにでもいそうな成人男性だった。

想像した人物像とは違い、その場所にはまるで似つかわしくない絵に描いたような普通の出で立ちで、モノトーンの服装と特徴のない男性の顔は、あたかもCGでつくられた人物のようで、現実とは思えなかった。私はテレビゲームの世界に紛れ込んでしまったのではないかとさえ感じた。そんな私の顔を見て男性が話しかける。

「ここは初めて?」
「え、あー、はい。初めてです」
「山羊を見に来たの?」

聞き覚えのある言葉だった。

「いや、たまたま歩いていたら、山羊を見かけて、それで…」
先ほどの質問に、ようやく答えられたことに安堵する。
「なるほど。時々、君くらいの年齢の人がたまたま訪れるんだ」
男性はにこっと笑い、頭をかきながら言った。
「あまり知られていなくて変な場所だから、面白がって探検する人がいるんだよ」
と続けて話した。

その言葉は不思議と納得ができ、ふと頭の中で、子どもの頃に流行っていたテレビゲームのテーマ曲が流れ始めた。もう、RPGの冒険者の気分だった。

私は、ポケットからスマートフォンを出して、
「こんな場所があるって、知りませんでした。グーグルとかで調べても、情報がなくて」
と画面を見ながら言った。そのとき丁度、近くを走る電車の音が聞こえ、
「電車の駅まで行きたいんですけど」
と、道を尋ねるような素振りをしてよそよそしく話した。

「駅か。あの駅ね、たまにしか電車が止まらないんだよ」
変わった駅だと思ったが、気にせず話を聞いた。
「小さな無人駅で、乗る人はいないんだ。駅まで行ってみんな戻ってくるんだよ」
「誰も乗らないんですか?」
「乗る人もいるけど、帰りの電車がないんだよ」
確かに、聞こえてくる電車の音はいつも同じ方向だった。
軽い気持ちで駅を目指していたが、話を聞いて、どうしても駅に行きたいと思った。
冒険者のつもりになっていた私は、その場所に何があるのかを確かめたくなっていた。

「まだ時間はあるんでしょ?」
男性がこちらを見ながら尋ねた。
私は男性を見る振りをしながら、焦点を定めずに背後の空に意識を向けていた。
空はまだ明るく、日が暮れる様子もなかった。
「ええ、まだ時間大丈夫です」
と私は答えた。

「よかったら、寄っていきません?すぐそこなので。まだ駅までは道のりがあるので、少し休んでいってください」
「あ、はい。ありがとうございます」
曖昧な返事をしたつもりだったが、男性は、すぐに振り向き歩き始めた。

どこからか現れた山羊が、後を追うように男性についていく。仕方なくその後ろを私が歩く。1列に並んで進む様子は、さながら子どもの頃に遊んだドラクエのようで、私は未だに冒険者の気分だった。

続く

Creator

ねぎしけんちくスタジオ 根岸陽

2018年に群馬県桐生市新里町で建築設計事務所を開設。“建築の仕事”は、建物に限らず、空間的、時間的に併存する大小、長短、様々なスケールのあらゆる物事を再編成し、新たな価値を創造する仕事である。自らがつくり、暮らしている「ねぎし村」で“建築の仕事”を体現し、豊かな暮らしとは何かを考えている。