Column

富士山に登る 後編
九合目〜大砂走り下山

PEANUTS BAKERY laboratory

8月2日

八合目過ぎてからリスタートのような長い道のり。とはいえ酸素も薄い感じはしないし足取りも重くない。下山者が増え、山頂を目指す人たちも路肩で休んだりとそちらに意識がそがれて集中が途切れがちになる。後ろを振り向くとミニチュアみたいな人々が点在している。水分は取るが胸がつかえるようになり行動食のローテーション速度は遅くなる。

トレイルランニングスタイルで登る姿が目立つのか「富士登山競走に出るの?」「すごいわね!」と声をかけられるが、全くすごくはない。たしかに速度は速いかもしれないが、重装備を背負い身に付け登る方が絶対にすごい。軽い方が楽だ。

装備が軽いのは宿泊せずに日帰りする分軽いぐらいだと思う。ストックは今のところ不用で済んでいる。自分の身体をぎりぎりどこまで使い果たせるかをまず知りたいと思っている。服装はランニングの半袖シャツにショートパンツ、トレイルランシューズ、キャップにネックシェード、サングラス。今回はこれで間違えなかった。バッグにウインドシェル、レイン上下を詰んで。さらにひとつだけ増やすならばロングかハーフのスパッツかな(途中に風が吹き付けた時に寒冷じんましんが出ませんように、と祈った。なぜかたまたま出なかった)。グローブは手をついて登る箇所や鎖場もないしこのルートでは不用だった。

日頃から外出も手ぶらで歩きたい。何を持っていくかよりいかに持たないかが重要で、私の場合は荷物の重さが肩や首のコリに変わり、やがてひどい偏頭痛へ繋がってしまうので自然と昔からそうなっている。そういうのは他人にはわかりようがない。自己観察がすごく大事。

山頂の鳥居が見えたときは一番嬉しかった。

山頂ではアジア系の観光客がワーワーしていて落ち着かない。火口を覗き込みテクテク周遊していたら山小屋に飲料やら食材を運ぶ大きなブルドーザーがやってきた。たくさんの人たちがそれを運んでいる。とにかく多くの人がワサワサしていて山頂に到達した感慨にふけるより、早く下山したくなる。

長丁場なのでエネルギーを無駄使い出来ないなと思い、本当の日本標高最高地点剣ヶ峰には足を伸ばさなかった。

足早に下山を開始する。

想像した通り日差しはとても強くなってきて焼き付いてきたが、下界のような湿度や汗ダラダラの暑さはなく、初めての不思議な肌感覚を味わう。充分動いているのに割と快適。逆に登りの人たちは苦しそう。

下りのメインは大砂走りだ。ゲーターを装着し、ザレた斜面を「一歩3メートルで進む」といわれるぐらいの歩幅で一気に駆け下りる。途中から足元ではなく2、3メートル先の足を置くあたりに目線をやれるようになると、格段にスムーズに速く走れるようになるのを感じて嬉しい。

ここで多くの人を追い抜く。砂利に足が埋まるので膝を痛めることはないが、とにかく止まらず何キロか快晴の空の下、駆け下り続けた。繰り返し起こる小さな竜巻で巻き上げられた石が全身に吹き付けられて、拷問かな?となった前回の大砂走りの様子とは全く違う。

途中、薄い霧が天然ミストとなり全身に心地よく降り注ぎ、最高~と思ったのも束の間で、あっという間に濃霧となり走るどころか前にも進むのが怖いほど何にも見えなくなってしまった。

疾走!大砂走り、一寸先は霧

ちょうど分岐を進んだところで、もう一方に進む人たちも見えたので急に不安に襲われた。しかもブルドーザーのローラーの跡もありもしかしたらブルドーザー専用道路にきてしまったのか……。この時が一番恐怖だった。あと1キロぐらいだとは思ったが間違えて進んだらおしまいなので分岐までとりあえず戻ることにした。

分岐あたりには先程抜かしたヨーロッパ系の若い男の子1人とまた別の外国人のカップルが疲れ果てながら歩いていたので、その3人の後ろを離れないように付いてしばらく歩かせてもらうことにした。

大きな道標とロープに沿って3人から離れないように、またブルドーザーの道を下った(合っていた)。

もし、この3人がいなかったら抜かしてきた人たちはずいぶん遠くのはずだし、もし夕方や夜に近い時間帯だったらと想像したらゾッとする。山というものは平地とは全く異なる想像のつかない気候の変化をするんだ。

と、ここまでなんとか時系列を辿ってきたが富士登山から約3週間過ぎて、この文章を仕事の休憩時間にちょっとずつ書いている。しかし、ほとんどのことを忘れてしまい愕然としてる。

登頂直後は、やったんだ!ついにやり遂げたんだ!と絶対に思ったし、下山直後はたしかにもう充分だ、と思った(てことは、前編からあれこれ書いているよりも実際はきつかったり長かったり苦しみもあったんだと思う)。だが帰り道に寄った温泉では大半のディテールは早くも忘れてしまい、肌が日焼けでピリピリするので真っ赤に熱を帯びた身体を冷泉で冷やしながらも、すでに前向きな何かだけで心が満たされていた。

帰りの車では、さて食事は何をどこでおいしいものを食べようか、とずっと考えていたが結局値するどこか、が頭に浮かばずに米と野菜を買い、家でカレーライスを作って食後に冷えたスイカをたくさん食べて大満足した。その後、洗濯はしたがヨガはお休みした。体重は3キロ増えていて驚いた。

翌日、筋肉痛もほとんどないのでランニングをいつも通りにしたが、なんだか薄らやばい予感がして次の日からランニングを思い切って休み、仕事以外の時間を全てサボることに決めた。キッチンでは火を使わずキュウリやトマトやアボカドやスイカを食べて、とにかく早く寝た。

喉が始終ヒリつくように乾いて、水分をゴクゴクいくら飲んでもいつまでも尿は黄色いし、夜中に目を覚ますたびに枕元に用意した水分に手を伸ばした。

7日後、急に職場で元気のいいハリのある声がコロンとつかえていた飴みたいに喉から飛び出してきた。あっ今戻った!とわかった。

やっぱりずっとすごく疲れていたんだ。表面上は身体も心も元気!ってなってたからどおりで変だと思った。芯からの乾きや疲労が癒えるまで1週間が必要だった。体重もスッと3キロ落ちた。

さあ、夏はまだ終わってない。海水浴に行かなくちゃ!

前編 登山準備~富士山八合目 を読む

Creator

PEANUTS BAKERY laboratory 長谷川渚

1980年生まれ、神奈川県秦野市存住。パンを焼き、菓子をつくり、走る人。開業準備中。屋号は幼少期から常に傍らに居続けるSNOOPYのコミックのタイトル、及び秦野市を代表する名産物である落花生から。「laboratory=研究室」というと大袈裟な聞こえ方だけれど、かちっと決めてしまいたくない、常により良さを求めて試行錯誤する場所、自分でありたいという思いを込めて。