Column

それはただの気分
(夏の記録 1)

PEANUTS BAKERY laboratory

大人になってから夏休みも土日休みもないけれど、夏らしい楽しいことをしたくなった。本当にベタだけど、旅をしたりプールで泳いだり、カキ氷を食べたり夜出歩いたりそういうこと。

7月上旬、初めて愛媛に行った。今でも、思い出しては過ごした時間の記憶の中に身を揺蕩わせる。

横浜から深夜バスに乗って、翌朝松山駅に着いてスエットから日常着に着替えるために、駅近くにあったマックに入った。その時接客してくれた男の子の聞き取れないくらいの声の小ささ。ガチっとした教育マニュアルをすり抜けた、マンガみたいにずっこけそうなフリーな空気。それが1番初めの松山の印象。路面電車の車掌さんは丁寧にそして爽やかに、美術館までの行き方を教えてくれた。

大竹伸朗展の最終日。

当日、何回も入場できたのでお昼に松山名物、鍋焼きうどんを食べに街に出る。うどんを待ちながら図録に書いてもらった、ほやほやの大竹さんのサインを見つめていたら(ナギサ…と呟きながらペンを走らせたシーンを回想)店員さんがほかのテーブルの下げもののついでに「私も行ってきたんですよ、ほら」とくるりと回転した黒いTシャツの背面に、大竹さんのかいた道後温泉のロゴがプリントされてた。三言くらい、ささっと会話してまた奥に戻っていった。何しろ店は満席で大忙し。なのにそう感じさせない。もう1人の店員さんも同じだった。てきぱき動いてるけどちゃんと相対してる。仕事を楽しんでる感じがした。そのあと寄ったカフェ2軒でも自然と会話が繋がった。2軒ともカウンターにスコーンやフィナンシェが1〜2個、チョンとあって、その感じもまたよかった。

この旅のハイライトはSNSで出会った方と対面することだった。「いつか会えたら」を伸朗展の地元開催が後押しした。

何を話したか覚えてない。次の日もずっと一緒にいたのに。なんの緊張もなくて近所の友人といるような、明日も会えるようなそんな感じだったからかもしれない。どんな人って言い表せないけれど、小さい時、夏休みの度に家に遊びにきてた明るくてよく笑いよく話す、大好きだった優しいいとこのお姉ちゃん姉妹みたい。

SNSだといつもすごく徹底して節制してる、こんなに自我を抑えられるんだって。だからこそ「会える」と思ったし予感は正しかった。秘めている人が好きだ。

小さないい店にたくさん連れて行ってもらった。砥部焼の窯元が多くある砥部町でたくさんの焼き物をみた。白地に薄い藍色の図案が入るのが特徴だが、白地の部分も薄青がかっている。はっきり分かれていないので水の中みたいだと思う。今、アパートには白と青の食器ばかり。

愛媛のお店へ行って「いいな」ってすごくすごく久しぶりに感じた。食べに行って味がいいとかって当たり前のことだから、やっぱり店って人だと思ってる。話したいとか仲良くなりたいわけじゃなくて、滲み出てしまう人間らしさ。

東京とか、こっち(神奈川とか)ってお客さんもおしゃれだったり若かったり、ちょっとお金持ってそうじゃないといけませんか?って感じがする。そうではないとしても、普通の体温の会話ってなかなか生まれてこない。一方通行な気がする。

訪ねたお店の半分は、実は関東圏から移住してきた人たちが開いた場所だったのだけど、言われなければわからないくらい松山という土地のムードに溶けこんでいた。街を歩く人もみんな各自好きな馴染んだものを着て歩いてる感じや、言葉のイントネーションが関西に近いのに意外とフラットなところも自分にはよかった。この土地では何にも巻きこまれずに、旅の感覚も薄れて楽に自分のままでいられた。

去る別の休日、ドライブで静岡市美術館に行って、佐内正史さんの写真展をみた。とても暑い日で、朝プールで1時間泳いだ後に直行したから100kmの片道の道中、身体が冷えていて何度もトイレに行きたくなったり、眠くなったりしたのでたびたび休憩しながら運転した。

この1年くらい佐内さんの写真に猛烈に惹かれるようになった。中年になった今の自分の気分と重なる。

長い間、例えばランニング途中に夕焼けがきれいでこの空を撮りたいなと感じた時に一緒に写り込む電柱や電線、コンビニとかスーパーとか、そういった人工的なものは邪魔だな、美しくないなと避けて場所や角度を変えて撮っていた。対象以外周りの余計なものは入って欲しくなかった。

しかし、だんだんとそれに違和感が出てきた。「ここじゃない、これはじゃま」とやってるうちに本当に撮りたい瞬間はとっくにすぎてるし、かっこつけてる感じも格好悪く思えてきた。撮りたいものが写ってない気がしてきた。写真は記憶だから、ねじ曲げちゃいけない。「あっ」と感じた時にそのままシャッターを切ればいいんだ。なのになかなか自意識が邪魔して簡単にいかない。

佐内さんに関する記事で「昔、フィルムを入れないで撮っていた。(撮れてないんだけど)何万枚でも撮れるなって。フィルムに入れると何か撮ろうとなるけどフィルムに残らないから真っ直ぐな写真が撮れる。正直な写真をやってる」とお話ししているのを読んだ。若い時は(佐内さんの写真)あんまりわからなかったが、今はわかる。正直な写真はそのまま思い出や記憶になる。

佐内さんの出身地静岡を撮影した『静岡詩』の展示でみた写真全体にかかる薄青の色は、私がイチコク(国道1号線)を走る道中、蒲原町あたりで急に左手に飛び込んできた海の色と同じだった。

帰り道、海と逆手の道沿いに建つ「はごろもフーズ」のロゴを大きく掲げた工場の前を通過した。少ししたら車中にツナの香りが充満してきたのでマヨネーズたっぷりのツナときゅうり入りのポテトサラダを連想しながら、よくCMで目や耳にする「ハゴロモ」が羽衣を意味していることにやっと気がついた。そういえば静岡には富士山があり日本で1番天に近い場所なので天女が舞い降りやすいとされていた。海岸に降りてきた天女の、松に引っかかってしまった羽衣を近所の漁師が外して持ち帰ろうとするが天に帰れなくなるので代わりに天女の舞を踊り、返してもらって無事天に帰った、という伝説も聞いたことがある(三保の松原)。羽衣、やわらかくて美しい響きだなと思う。

佐内さんの写真には薄いベールが一枚かかっているように感じる。佐内さんの写真はやさしい。羽衣かもなぁとも思う。佐内さんの記憶と私の記憶が重なった。

大竹さんがモンシェリー(スクラップ小屋としての自画像)であり、佐内さんは自分が写真になったと言っていた。

早く私もそうなりたい。

松山のスーパー銭湯、最高だった。ゲーセン隣接。松山の若者大量にいた

夏の記録 2へつづく。

Creator

PEANUTS BAKERY laboratory 長谷川渚

1980年生まれ、神奈川県秦野市存住。パンを焼き、菓子をつくり、走る人。開業準備中。屋号は幼少期から常に傍らに居続けるSNOOPYのコミックのタイトル、及び秦野市を代表する名産物である落花生から。「laboratory=研究室」というと大袈裟な聞こえ方だけれど、かちっと決めてしまいたくない、常により良さを求めて試行錯誤する場所、自分でありたいという思いを込めて。