Column

おれたちのサラ・レコード

HIROYUKI TAKADA

「19歳の衝動は美しく永遠」

90年代はとにかく忙しい時代であった。生まれては消えていく数々のシーンの中で、自分自身を保つことすらもまかり通らず、流れに身を任せることが正しい生き方であると、信じていたからだ。今振り返ってみても、決して間違っていたと思わないし、やり残したことも無い。心から楽しむことが出来たし、良かったことも失敗したことも、すべてあの時代だったからやり過ごすことが出来たのだ、と思っている。

音楽はずっと好きでいる。聴くものや聴き方は変わるし、拘りはない。変わることに躊躇しないし、変わっていくことは自然でいいと思っている。なので、つまらない先入観から拒絶したりすることはない。昨日まで興味を感じなかったことに、いきなり興味が沸くってことは多々ある。そういうことすべて、受け入れることが進化であり、僕そのものだ。美味しいものを美味しいっていう、好きなものを好きっていうことが、最も大事なことである。ジャンルは固定しない、カテゴリーに縛られない、それが文化であり、生活であり、自分自身だ。

伝説的レーベル「サラ・レコード」を描いたドキュメンタリー映画『マイ・シークレット・ワールド』が、シアター・イメージフォーラムにて、8月13日と14日の2日間限定で上映された

サラ・レコード(Sarah Records)とは、1987年から1995年までブリストルを拠点として活動していたインディペンデント・レーベル。ジンを通じて知り合ったクレア・ワッドとマット・ヘインズ、2人による「自分たちの好きなバンドや音楽を、自分たちのやり方で広め、売り出していこう」とする運営方針、それこそが所謂「DIY精神」そのものと評されるレーベルであった。

80年代後期はまだインターネット前夜。やれることをやれるやり方でやっていく、それが「DIY精神」と呼ばれるものだ。インディペンデント(自主性)とはDIY精神と表裏一体であり、そしてそこには必ず情熱が伴う。だからこそ、その精神は美しく、力を呼ぶ。大きさとか資本力とか、地方とか都会とか、有名とか無名とか、一切関係ない。やりたいって思うことにリミッターを掛けるものではない。情熱とはそういうものだ、と思う。

「おれたちのサラ・レコード」って言い方は、ずっと前から言っている。「おれたち」でも「僕ら」でも「私たち」でもいい。とにかく僕が「サラ・レコード」を語る上で一番しっくりくる形容詞が「おれたち」であると思うから自然とそうなる(勿論これはいろいろあっていいことなので、限定はしない)。

先に述べた「DIY精神」を具現化させたレーベルは80年代から90年代にかけてたくさんあった。「サラ・レコード」もそういうレーベルのひとつであり、スリーヴ・デザインから音楽的趣向、おまけに付いているカタログとかも含めて、手作り感が強い分、いつでも自分たちの近いところにいるような感じがしていた。だから「おれたちの」と呼びたくなる。多分これはこれからも変わらない。

『19歳の時空想したでしょう?美しい何かを作り上げそれを一気に燃やしたいと』

僕らの20代はまさにそういう時代であった。時代に飲み込まれるように、いろんなことを行動に起こしていた。ここはブリストルではなく、栃木県足利市だったけれど、そんなことは何も問題ではなく、やりたいって気持ちを行動することに情熱を傾けていた。理解されるとかされないとか、考える間もなく、僕らはチラシを作って、街角に貼りまくって、同じ想いを共有出来そうな仲間を集い、楽しい時間を燃え上がらせたかった。

映画の中でマットとクレアは、共に過ごした日々を楽しそうに回想する。もちろん全てが順風満帆であったわけではない。今では伝説と呼ばれるレーベルも、たった2人の構想から始まったものであり、俗にいうイギリスメディアから散々な酷評されたってこともある。でも、彼らの理想はあくまで「やりたいことをやりたいようにやる」というシンプルな理念に尽きるのだ。酷評なんか気にしない。意見はいろいろあって当たり前。

そして時は過ぎ、レーベルはリリース100枚(サラ・レーベルは基本7インチシングルを主に発表するレーベルで、最初からカウントされ通算100枚発表された)で閉鎖される。続けようと思えば続けることも出来た。けれど、19歳の衝動は美しいまま、自らの意思でその生涯を終えることを彼らは選んだ。マットとクレア、2人にとってのインディペンデントとは「己を貫く事」であり、終始一貫していたのだった。

巧くいくことも駄目なことも、生きていればいろんなことがある。僕も沢山夢を追いかけてきた。必死になってチラシ配ってイベント開催しても集客は疎らだったことも何度もある。「足利じゃネオアコなんか理解されやしない」って何度も凹んだりもした。それでもまた衝動に駆られ、夢を見て、レコード買い漁って、チラシ作って配って、走り回る。こんな日々が永遠に続くことを信じて、想いを巡らせながら。続ける事は大切なこと。

けれど、自らの意思を貫くために、辞める選択をするのも大切。全ては自分たちで始めたこと。だから引き際は大事なのだと思う。僕も今までいくつも「辞めて」きた。そうすることが自分にとって進化する過程のことであると、信じていたから。大きな流れの中で、自分を見失わないようにするには、流れに身を任せながら、呼吸する意思を持つ事である。かつてサラ・レコードがそうであったように。永遠は無いからこそ、瞬間を永遠に封じ込めるために。

「おれたちのサラ・レコード」は永遠に消えることはない。
美しく儚くも、確かな記憶として、僕の中に眠るものである。

My Secret World – The Story of Sarah Records. Trailer 2014

Creator

HIROYUKI TAKADA

群馬県太田市出身。90年代よりDJとそれに伴うイベント企画、ZINE発行等で活動。最新作は冊子『march to the beat of a different drum』を自身のレーベル『different drum records』より発行(2020年より)。コロナ禍以降の音楽と生活を繋ぐコミュニケーションのあり方を「手に取れる」紙媒体にて「無料配布」で行った。自らの活動と並行して、90年代より活動しているバンド『b-flower』の私設応援団『ムクドリの会』終身名誉会長でもある。