中学生の頃、中島みゆきが大好きで、なけなしの小遣いで買ったCDを歌詞カードがボロボロになるまで読み込んで聴いていた。昔の曲を聴きたくてもCDを買うお金がないので、クラスメイトのお父さんからカセットテープを借りて聴いていたほどだ。しかし、高校生になると次第に中島みゆきと疎遠になっていった。
昨年、中島みゆきが好きだという女性に出会い心の中で中島みゆきが再熱。30年ぶりにカセットテープやCDを聴き直し、なぜ高校生以降、聴くことをやめてしまったのかを考えてみた。
好きな人に片想いをしている時、頭の中は妄想でいっぱいだ。相手に気持ちを伝えていないにもかかわらず、脳内では恋人になったりフラれたりして忙しい。まぁそれが恋だから仕方がないのだが。
友だち以上になれなくて<一晩中泣いて泣いて泣いて>『慟哭』し、書いただけで渡してもいない手紙を<誰かと2人で読むのはやめてよ>と『化粧』なんてしたことがないのに泣いてみたり、告白なんてしていないのに失恋気分で<なんでもないわ私は大丈夫>『Maybe』の登場人物のように胸を張る。何一つ経験していないのに、中島みゆきの世界に浸って悲恋に嘆く女を気取っていたのだ。恥ずかしい。『南三条』泣きながら走るよ。
しかし、片想いから恋愛に進展すると中島みゆきの世界が現実味を帯びてくる。
煙草の煙が目にしみるふりをして<男運は悪くなかった>『涙−Made in tears−』、<消えないわ心の中消せないわ心の中>もう二度と誰も信じられなくなって『孤独の肖像』、『この世に二人だけ』になっても<それでもあなたは私を選ばない>、<夢でもいいから嘘でもいいからどうぞふりむいて>『捨てるほどの愛でいいから』と泣きすがる、<流れるな涙心でとまれ>『化粧』なんて剥がれ落ちてボロボロ。全てが現実的すぎて中島みゆきの歌詞なんて直視できない。つらい。逃げたい。忘れたい。消えたい。うらみ。『うらみ・ます』。
きっと、そんな理由で長いこと距離を置いていたのだろう。こんな時だけ思う。結婚してよかったのかもしれないと。この先恋愛をしないとは言い切れないが、過去の恋愛を中島みゆきの歌詞をなぞりながら成仏させていく。あり、かもしれない。『あり、か』。
年末、映画館で『中島みゆき劇場版ライヴ・ヒストリー2』を鑑賞した。当日映画館でチケットを買えばいいだろうと高を括っていたが、座席はほとんど埋まっていた。始終、目を潤ませながら聴いていたが『化粧』で落涙。そしてラストの『誕生』で号泣。『誕生』をはじめて聴いたのは中学生の頃。当時は<むなしい恋なんてある筈がないと言ってよ>に泣いていたのだが、30年経った今はサビの部分だった。
それには理由がある。映画館へ行く前に、母親と子ども2人が線路に飛び込んで死亡するニュース記事を目にした。『誕生』とこのニュースが交差してしまった。もしその母親が『誕生』を耳にしていたら…。そんな浅はかなことを思ってしまったのだ。
中学生の頃だろうか。
江角マキコが中島みゆきのCDのCMに出演していて「中島みゆきを聴いて楽になった」というキャッチコピーとともに部屋の掃除をしていた。「音楽の力」とか「音楽が世界を救う」とかはできないし嘘くささを感じるが、気持ちが楽になることはある。
「中島みゆきを聴いて楽になりなよ」。
倒れそうな人に、そっと声をかけたい。そんな年末だった。