Column
追憶の東京〜地図のような文章〜
その1 上中里
1997年の3月、早稲田大学の第一文学部に通うことになった僕は東京に越してきた。2つ離れた兄が、当時はまだ巣鴨にあった東京外国語大学に通っていた。
1997年の3月、早稲田大学の第一文学部に通うことになった僕は東京に越してきた。2つ離れた兄が、当時はまだ巣鴨にあった東京外国語大学に通っていた。
自分では飽きっぽい性格だと思っていたのだが、一度気にいると結構一途なところがある。
此方と彼方の世界。誕生日プレゼントに、友人から鈴木清順閑話集「そんなことはもう忘れたよ」をいただいた。
『動物咬傷(熊)』カルテにはそう書かれていた。「いや〜、こんなカルテ、初めて書きましたよ」医師が心なしか嬉しそうに話す。
「かわいいでしょ」私は背後からの突然の声に、びくっと肩が動き、少し遅れて心臓の鼓動が速くなっていくのに気が付いた。
取材当日、新太郎君はクールなストIIのスエットを着ていた。人物の顔のイラストを描くことが多く、目を描くことに苦戦しているらしい。
芸人、芸術、一芸、文芸、話芸・・・ 「芸」の字を見ると、私は心がときめく。
過去10年にわたって音楽の形は変わっていった。CDの売り上げは減少し、ネットによる配信が音楽マーケットの主軸となった昨今の音楽シーン。
また会う君はいつも他人で、 口を開けど言葉が聞こえない。 パクパクパクパク、餌を待つ魚の顔だ。