今回の煩悩は、6つの根本煩悩である疑(ぎ)の中の擬(ぎ)。
疑は、あれこれ疑うこと。
擬は、ものごとを決め兼ねる。
contents
轟音コラム1周年
先ずコラムを書き始めて目出度く1周年になりました。おめでとうございます、編集長。編集長の懐深い轟音傘下の元、お声掛けからの始まり、自分では出来ないような経験を沢山させて頂いた1年を感謝申し上げます。
文字や言葉、自分の想いを書くことにアレルゲンであった私が今では楽しくなっているではないか。あら不思議、摩訶不思議。
余り自分は、ものごとを決め兼ねるという瞬間が余りない。メニューもすぐ決まるし、好きなものもはっきりしているので購入も迷わない。人生設計は迷走の一途な気がしているが、人は変化する生き物でもあるので、それはそれでいいかと思っている。
しかし轟音のコラムを書くかどうかは、実はとても悩んだ出来事だった。
なのに蓋を開けたら、文字数多めねとは言わないで。
COMME des GARCONS青山店から嶋田洋書へ
そんな事を思いつつ、本題へ。
自分には昔からずっと欲しいが手に入らない本が数冊ある。
○『VISIONAIRE 20 COMME des GARCONS』
○早川タケジ『Paradis, Paradis』
という本で、どちらも写真集なのだが、手が出ない高額になっている。
VISIONAIREは、1991年創刊のニューヨーク発コレクターズマガジンで、毎号異なるアーティストによるコラボレーションをしていて、斬新なアートブックと言ったところだ。色んなデザイナー達も特集され、COMME des GARCONS特集の本は未だに欲しい代物。
当時の1996年S/SのCOMME des GARCONSコレクションは、伸縮性のギンガムチェック生地のワンピースの中に羽毛パッドが入り、身体のあちこちが膨らんでいた。「せむし」とも言われたのを思い出す。しかし、エレガントなんか範疇には入らぬ奇形とも取られる服は、その着る身体という概念から外れ、彫刻の様に感じる革命的コレクションだったと思ふ。
イケイケドンドンのギャルソン全盛期当時、海外ネット通販なんかもまばらで、青山の嶋田洋書などへ行っても見つけられず、結局VISIONAIREの中身は見ていない。今検索したら中身を公開してくれている方も居るのだろう。
兎に角本の大きさも値段も、学生の頃には手が出ない代物だが、時を経て小銭を持っていたとしても買えない高さに、跳ね上がってしまった。
また青山の嶋田洋書も、ファッション、デザイン、アート、建築などを凄いラインナップで揃えている大変有名な書店だった。学生の頃は、COMME des GARCONS青山店からほど近かった為、いつもセットで訪れていた場所だ。創業50年にして閉店してしまったが、今なお頭の中では、狭いながらにも良本がビッシリと揃う店内を思い出せる。
服にお金をはたいてしまい、なかなか高価な洋書までは買えなかったけど、それでもそこで買った本は在った様に思ふ。
今は、インスタの広告の様にデータ化され懇切丁寧の勝手にぶっこみ系でご紹介の情報~感性に至るまで、在る中からチョイする事の方が多いかもしれない。
誰かのお洒落、誰かのスタイル。
自ら探しに行き、受け取り側からもアイディアの発見をして行くことは本当に重要だと感じている。(自分自身に対しても)
ジュリーをつくった早川タケジ
最近、ずっと以前から好きだった沢田研二のベストアルバム『ROYAL STRAIGHT FLUSH』をやっと買った。ジャケのジュリーは、白のコート白ストライプのスーツを着て、シャンパンが置いてある。中はカラフルなスーツを着こなした山口小夜子達がジュリーと煙草をくゆらしている。
余りにカッコいいので裏に目を通すと、アートディレクションは勿論のこと早川タケジだった。ずっと欲しい本『Paradis, Paradis』の方だった。
全盛期のジュリーの衣装スタイリングをしていて、過激で華美でセクシーさを重ね塗りしたような、ジュリーの良さを引き出した有名な方だ。
グループサウンズでアイドルしてたジュリーが本格派歌手業に移行し、もはや化粧もレースもパラシュートも半裸もあり、少し中性的なのに、その当時居なかったであろう「日本初男子セクシー代表」みたいな異彩を放っていた時期の話。そのスタイリングが存分に載っている本なのだ。
Amazonでは100万越えなんてとてもじゃないよ、ジュリー。「私は貴方が着ていた衣装が見たいだけなの!」とざわついた。
そんなタイミングで、今年の冬に早川タケジとジュリーの本が再編集され発売とのこと。10月予約開始なのにHPで音沙汰ないので、気をもんでいる。正にあれこれを疑ってきている。お手頃価格をお見かけの方は、何らかの方法でお知らせを待っています。
欲求はいつも止まらない
いつも探しているものは見つからない事ばかりで、決め兼ねているうちに人生終了なのだろう。また、この2冊を持っていなくても何も変わらないかもしれないが、欲求はいつも止まらないのは何故だろう。
いつだって上質な美しくも濃いもの見て、オエオエしたいじゃんね。芸の肥やし。
人の幸せは人其々で、一見他人が見たら不要なものでも本人にとっては、激大切だったりするので、注意が必要だって話です。
そんな年の瀬の締めくくり&2年目からの轟音は、コラムに加えコラージュメインの回など自由枠を取り入れ、変幻自在に楽しんで参ります。良いお年をと宜しく何卒。
佐藤一花