Column

屋根裏の怪獣たち

与良典悟

セミが鳴く暑い季節になった。雨の日がずっと続いていたのが嘘のようである。梅雨が明け、夏が始まったわけであるが、本日既に室温は30℃を超えている。

私は暑さに耐えきれず、蒸し暑い屋根裏にのぼって扇風機を引っ張り出してきた。我が家の屋根裏は、一部が物置として使われており、今年は私が屋根裏から扇風機を出してくる役割なのだ。狭くて暗く、踏みどころがよく分からないながらも果敢に進んだが、屋根裏の床はミシミシと音を立てていて非常に恐い思いをしたのだった。その件に関しては家族に言っても「太ったからだ」と馬鹿にされるだけだと考え、黙っておくことにした。

屋根裏には扇風機の他にも色々なものがあった。何に使うのかよく分からない機械や、小・中学校の時に使っていたノートや教科書、図画工作の時間にかいた絵もそこにはあった。久しぶりにみてみたくなったが、なにせとても暑かったのですぐにこの場を離れたいと考え、それらが入った段ボールの中を確認するのはやめておいた。しかしそう言いながらも、1つの大きな袋が目についた。懐かしいおもちゃの入った袋だ。ついつい少しだけ物色してしまった。

おもちゃは子どもの頃に遊んだ、言わば当時のコレクションであった。ざっと見ると、ポケモンにゴジラにリアルな恐竜の人形など様々なものが入っていたが、大半はウルトラマンの怪獣のソフビ人形であった。ゴモラにカネゴンにキングジョ―と、怪獣の名前を覚えているのは幼少期にウルトラマンにとても夢中になったからであろう。本当によく遊んだ。架空の街を想像しながら怪獣を行進させたり、戦わせるような遊びが好きだったように思う。夜中にトイレに行くのが怖くて、人形を一緒に持っていったこともあった。どのエピソードを思い出しても懐かしくなるし、当時の感性が今の私には無いことを思い寂しくなったりもする。

おもちゃに関して「どうしようか」というのは前々から考えていた。正直に言うと、仕事が無くなってからお金が少し欲しいと思い、屋根裏に大量にあったウルトラマンのソフビ人形を売ろうと考えたのだ。その手の相場には詳しくないが、テレビで『開運!なんでも鑑定団』をみていると価値があるのか無いのかよく分からない人形に高値が付いたりしている。

我が家のソフビ人形だってもう発売から20年ほど経っているものである。言わば年代物だ。売れるかもしれない。予想以上に高く売れたらレコードでも買ってしまおうかと、よこしまなことを考えながらフリマアプリやオークションサイトを見たが、結果は散々たるもので、売れないというのがよく分かった。

保存状態の良かったカネゴンのソフビ人形は高く売れるのではないかと最初に考えたのだが、取引を見てみると1,000円前後で出品されており、ほとんどの品に買い手がついていない。そもそも2000年代前半辺りに安価に大量生産されたものだ。そういうものになかなか価値が付かないのはCDやレコードで学んでいる。ソフビ人形を売って金儲けをしようという計画は、ここで儚くも崩れ去ったのだった。

ソフビ人形を売却する選択肢は無くなった。極端な話、価値の無いこれらを捨てることも考えたが、できなかった。思い出が詰まっていて多少情があるのは勿論なのだが、それ以上に何とも言えない感情があった。どこかで彼らを最近の私と重ねていた。

今年の初めに前の会社をクビになってからの私はまるで酷いものであった。気分も上がらなかったし、何より会社員という肩書が無くなって社会から仲間外れになったような気持ちになった。いつも行くスーパーや本屋に行っても、そこにいる沢山の人は、無職の私とは違いきちんと働いて社会貢献をしているのだと、勝手に自意識過剰になってしまい辛くなったりした。役に立たない私の存在自体が、社会から求められていない気がしたのだ。

なんとなく「嫌な考えだな」と自分ながらに思った。役に立たないものは要らないという考えは、視点を変えれば怖い考え方だとも思う。ヒトで例えてみたい。私はただ怠けて家に居ただけだが、周りには、様々な理由があり働きたくても働けない人だっているはずだ。先ほどの私の考えはそういった人まで切り捨てることに繋がりかねない。でも、何だかそういう考えというか、空気を感じることは実際にある。鈍感な私が感じているのだから、本当はそういった考えは周りにあふれているのかもしれない。

働かない人、働けない人にも居場所があってほしいと願う私の考えは、世間からずれた考えなのではないかと今も自問自答している。少ない椅子を取り合って勝った方だけが生き残るような厳しい世の中だ。今の時代、余裕が無いのは誰もが同じである。でも、だからこそ、多くの人々が心地良く過ごせるような「隙間」がもっとあればいいのにとも感じた。

まるで値段の付かないソフビ人形も、そこにあってもいいではないか。無価値だからと決め付けられ、色々なものが切り捨てられていくのはなんだか悲しい。

そんな訳でソフビ人形はどこにも行かないまま、家の中に置いてある。今回売却するという選択はしなかったが、5年後、10年後あたりにウルトラマンのソフビ人形リバイバルがもしも来たら、今度こそ売ってしまうかもしれない。底値から一変して高騰する山下達郎のレコードのように、おもちゃにだって何が起こるかはわからない。なんて言い切るには自信がなく、やっぱりいつになってもガラクタのまま屋根裏で眠り続けるのであろうとなんとなく推測する。

トイ・ストーリーのごとく彼らが寂しくならないように、時々漁っては小さな頃の思い出に浸るのもいいかもしれない。親戚の小さな子どもがそれで遊びたいというのなら、譲るのだっていいだろう。もちろん、役に立たなくたってそこにいて良いのだ。

Creator

与良典悟

栃木県佐野市在住。知らない町の知らないレコード屋さんに行くのが好きです。