Column

ハタチになったらOasisを

与良典悟

大学1回生の冬、友人の少ない私は人生で1度きりの成人式に参加しないことに決めた。「下宿でテストの勉強をするから都合が合わない」なんてウソを両親に言った覚えがあるが、両親は悲しそうな顔をするかと思えば「そう言うと思った」なんて笑っていた。

音楽だけが友達さ、なんて強がっていたあの日。寂しい気持ちもあったはずだが、家族にはきっとそんな事は見透かされていたのだろう。地元から遠く離れた群馬県前橋市の大学では、その冬の日も成人式の話題で持ちきりだった。

寒い時期になると、成人式や前後の日々の事を思い浮かべる。その時期に出会った音楽作品の中には、特に思い入れの深いものがある。

成人式からそれほど日も経たないある日のことだ。迫っていた自分の誕生日プレゼントでも買おうと群馬県高崎市のHMVへと向かった。暖かいお店に入ってCDの棚を見ると良さそうなCDがいくつも並んでいる。記念すべき20歳の誕生日プレゼントだ。どれを誕生日プレゼントにしてもきっと大切なものになるだろうと辺りを更に見渡すと、当時はあまりチェックしなかった洋楽の新作コーナーが目についた。3枚組のCDがあり、パッケージには英語で<20周年>とシールが貼ってある。

洋楽に詳しくなかったこともあり詳細は分からなかったが、同じく20歳を迎えた者として不思議と親近感を感じ、そのアルバムを購入した。それはOasisの『(What’s The Story)Morning Glory?』の20周年を祝った再発盤であった。

20年前のことなんて記憶になかったが、Oasisは当時のロックバンド勢の中でも頭1つ抜けた大スターだったと後に知ることになる。もちろん今も強い影響力を持つスーパーバンドであることも確かだ。『Don’t Look Back In Anger』『Wonderwall』『Champagne Supernova』など、当時のOasisの勢いをそのままパックした、少し寂しげでロックンロールな名曲盛りだくさんのこのアルバムは、正に90年代を代表する大名盤である。

夜中に下宿に帰ってから、Oasisのそのアルバムを聴いた時の衝撃は今も忘れられない。英語の歌詞は何を言っているのかよく分からなかったが、力強いボーカルやバンドサウンドを聴くと、どこか抱えていた孤独を肯定された気持ちになった。勝手なことだが、これは私の音楽なのだと強く感じ、洋楽にも素晴らしいものがあるのだという発見は、私の価値観を大きく変えた。

そんな風に、独りぼっちの私にとってその日は特別な日になり、Oasisのアルバムは私にとって特別なアルバムになった。今も時々聴いてみては、当時のことを懐かしむ。

<思い出補正>なんて言葉がある。Oasisのそのアルバムは名盤であるのだが、あの日抱えていた寂しさや不安は、この作品の個人的な評価を確実にあげたように思う。今でもその評価は変わらない。音楽に付随する情報や感情も評価の1つとなりうるのだろう。

同時に思い出補正は一種の呪いのようにも感じる。長年にわたり作品に、それ自体の評価以上の付加価値をつけてしまうからだ。多感な時期の思い出は特別で、歳を取るほどキラキラとした思い出は少なくなっていく。今後出会うであろう音楽作品には、思い出の補正はつかないかもしれない。

私は1つの作品をずっと聴きたい、というよりは、色々な作品を聴いてもっと良い物を見つけ出したいタイプの音楽リスナーだ。でも思い出補正により評価が上がってしまった『(What’s The Story)Morning Glory?』より素晴らしい作品に、今後いくつ出会うことができるのだろうか。それを思ったときに、少しだけこの補正を憎らしく感じてしまう。

私の中でOasisのアルバムに成人式の思い出が付いてしまったのが、良い事なのか悪い事なのかはよく分からない。どうせなら素晴らしい成功体験とこのアルバムを結び付けてあげたかったが、この素晴らしい作品と結びついたのは成人式にまつわる悲しい出来事である。

思い出補正によって大きく美化されたのは、Oasisのアルバムではなく成人式の思い出の方かもしれないが、どちらにせよ今となってはもうやり直せない。笑うだけだ。

何年も後に、偶然地元の友人と会う機会があった。話は成人式の話題へ。私がその場でどう言われていたかを含め、成人式の事に関してあまり深く聞けなかったが、友人には「行っても行かなくてもどちらでも変わらない成人式だったよ」なんて笑い飛ばされたのだった。

Creator

与良典悟

栃木県佐野市在住。知らない町の知らないレコード屋さんに行くのが好きです。