Column

名前をつけてやる

与良典悟

私は「与良典悟」という名前をSNSで使わせてもらっている。本名ではなく、アメリカのインディーロックバンドであるYo La Tengoから無断拝借したものだ。学生時代、なぜかそういう洒落を考えるのが好きであった私は、Tortoiseのジョン・マッケンタイアをもじった「グン・マッケンタイア」に、USインディーバンドのReal Estateそのままの「リアルエステ伊藤」とか、AORの大御所Kenny Rankinを想像させる「ケニー板金」など数々のくだらないSNS・ネームを生み出し使用した。

正直Yo La Tengoは『Sugarcube』だったり曲単位では好きなのだけれど、アルバムとなると何だか難解に聴こえてしまって…という感じなので、今まで通して聴いたアルバムは2つしかない。本当はKenny Rankinの方が好きだ。そのくせ、与良典悟という名前を今日まで使い続けている。

高校を卒業して、1人暮らしを始め自由に音楽探しをしていく中で、私は<音楽そのもの>を探すより<音楽に詳しい誰か>を探した方がより良い音楽にありつける、という結論にたどり着いた。それから暇を見つけてはレコードショップの店員さんや、その周辺の方に音楽を直接教えてもらうようになっていく。

「与良典悟」という偽名はこういう時に便利だった。イベントの参加予約やレコードの購入予約をするやりとりではちゃんと本名を使っていたけど、それ以外ではほとんどヨラくん、という名前で通っていた気がする。自分でいうのもあれだが、ウケが良かったのだ。音楽イベントではこの名前を積極的に使っていたし、街の定食屋さんでいきなり店員さんに、どこから聞いたのか「与良典悟さんって言うんですね」とか言われた日には嬉しいような申し訳ないような変な気持ちになったりもした。

街の中で「与良典悟」という名前や、その名前を通した居場所を与えられて、何もない自分が何か大きな何者かになれたような気になってしまっていた。一方で、やっぱり由来が由来だけにそのペンネームにそぐわないような自分に窮屈さも感じた。そういう窮屈さは、社会に出るまでのモラトリアム期間が終わりに近づくほど大きくなった。自分自身を愛せない人間はレコードを愛することも出来ない。レコードやCDの写真をあげていくだけのSNSに耐えきれなくなったのか、ツイッターで使っていた「与良典悟」という名前のアカウントはいつの間にか自分で消してしまったようだ。今はもう残っていない。

そのくせ地元に戻り、数年後に新しくインスタグラムを始めては同じ名前を使っている辺り、やっぱり私は「与良典悟」という名前が好きなのかもしれない。我ながら勝手なことを思う。

さて、私は「与良典悟」という明らかな偽名をこのGO ONにおいても使い、コラムを書いている。最初は何を書いているのか、私が何を伝えていくべきなのか分からなかったが、今は何となく書きたいテーマというものが分かってきた。

レコードやCDに対して<愛>を伝えたいのだ。音楽に対する<愛>とイコールで結べない辺り、ちょっと分かってもらいにくいテーマかもしれない。以前から自身が所有するお気に入り作品のミニレビュー等を発信していたが、現在のメインはインスタグラムやGO ONでの絵や文章だ。コラムで音楽に対する思い出を書いてみたり、インスタグラムではレコードの写真を上げたり、挙句の果てに音楽に関する1ページの漫画を描いてみたりしている。需要があるのかは今もわからないし、音楽に対する思いはいつも一方通行だ。

<文化>という言葉の定義の中には<好きなものを周りのみんなに伝えていくこと>が含まれる。かつて過ごした高崎市という街で、私はそんなことを言われた気がする。私はそもそも「与良典悟」ではないし、レビューを書いてレコードやCDから感謝の言葉をもらったことも無いが、私は一方的に音楽が好きで、そんな自分のことも少しだけ好きになったのだな、というのだけは理解できるようになった。

GO ONにおいて掲載させていただく予定のコラムは、いつもの与良マンガ道場を含めてあと数回だ。休載前のコラムも含め、伝えたいことの多くを既に伝えてしまっている気がするし、連載も後半を迎えた今更になって、自己紹介のような形でコラムを今回1つ使ってしまったのは少し笑える。残り数回、私は何を伝えたいのか。好きなものに対する心の声を大事に拾っていきたい。そして、沢山の体験や気づきを与えてくれたこの愛すべきニックネームには、やっぱり感謝しておこうと思う。

Creator

与良典悟

栃木県佐野市在住。知らない町の知らないレコード屋さんに行くのが好きです。