Column
開心見誠の意
心を開いて誠を見たい私。夏の土用が明け、気のせいにしていた体調も機嫌もそこそこになっていた。
心を開いて誠を見たい私。夏の土用が明け、気のせいにしていた体調も機嫌もそこそこになっていた。
これから私が考えるのか 考えずに誰かの声明を自分のものとして生きていくのか
どうでも良いことばかり考えてしまう。点々と考えて、本筋が見えないことばかりだ。
何故ここまで近年おぢに惹かれるのだろうか。自身の年齢のせいか、いや昔からか。
轟音で毎月コラム書き始めて、轟音執筆人は新陳代謝していく中で、果て私のコラムは読まれていたのだろうか、分からないままに3年が経過しました。
何事であれ、長所と短所、良い点と悪い点の両面があり、完全であるということはないものだということ。
反逆者なのか、菩薩なのか、道を示すにはどちらでもいいが、橋の下音楽祭には導きを感じる。
2023年の夏、自分で撮った写真に書いています。
はじめて岡本奇太郎さんと対談したのは2年前の夏。