Column
人のための街 ― あるいは街のための人
「昔はよかった」。懐かしいあの頃。そのノスタルジーはいつでも心地よく、我々を無条件で優しく包み込み、そこでは全てのことが美しい。
「昔はよかった」。懐かしいあの頃。そのノスタルジーはいつでも心地よく、我々を無条件で優しく包み込み、そこでは全てのことが美しい。
1997年の3月、早稲田大学の第一文学部に通うことになった僕は東京に越してきた。2つ離れた兄が、当時はまだ巣鴨にあった東京外国語大学に通っていた。
此方と彼方の世界。誕生日プレゼントに、友人から鈴木清順閑話集「そんなことはもう忘れたよ」をいただいた。
今回の煩悩は、6つの根本煩悩である見(けん)の中の辺執見(へんしつけん)。見は、真実を見定める目。辺執見は、偏った極端なことに対する執着。
映画パルプ・フィクションで今でも大好きなシーンがある。
1月になると、少しそわそわする。 私の誕生月というのもあるが、勝手に師と仰いでいる川勝正幸氏の命日が近いからだろうか。
あけましておめでとうございます。2年続けてリキッドルームでカウントダウンを楽しんでいたのだが、今年は自宅の布団の中で1989年大晦日に生放送された「やっぱり猫が好き」
考えてみたら、今年の1月以降東京へ行っていない。最後に東京へ行ったのは、確か代々木でのBARBEE BOYSのライブだったような気がする。
様々な状況下に置いてたくさんのカルチャーが生まれる昨今。 たくさんの人に衝撃を与え、そしてたくさんの人の記憶の中に存在している90年代のメインカルチャーの中心的人物、それが「マコーレー・カルキン」という人物だ。