Column

見で辺執見の文化村

佐藤一花

今回の煩悩は、6つの根本煩悩である見(けん)の中の辺執見(へんしつけん)。
見は、真実を見定める目。
辺執見は、偏った極端なことに対する執着。

カルチャーとは何なのか?

今までもこれからも、わたくしは極端な事のみ執着しまくりで生きていくしかないのかなぁって、ぼんやりと思って生きている。確固たる何かは、中年になろうとも分からないままだけれど、煩悩だらけの極端な方が何事も好きなんだと思ふ。
人も感覚も、モノに対しても。
曖昧さを重ね塗りして、ズルっと「中は生でしたね」って方がゾッとするから。

このカルチャーマガジンについて、もといカルチャーについて、話を頂いた時から思う処があった。カルチャー寄りとかファッション寄りとか、自分を称する言葉を頂くのだが、「カルチャーってそもそも何だろう」と思っていた。
皆が口にする何か格好良さそうで、イケてそうなノリ。

「カルチャーは文化」。

文化とは人間の生活様式の全体。人類が自らの手で築き上げてきた、有形無形の成果の総体。

海外に住んでいる古い友の話、至るところで世界画一化しているという。
インドで言えば、インターネットの影響で一気に海外の文化が流入、宗教観念が消え民族衣装よりジーパンを履いたり、人同士の道徳感がひっちゃかめっちゃかになっているそう。
インドは元より、ヒンドゥー教によりカースト制度や浄と不浄の考え方が深く結びついている処。そこから見れば、西洋文化なんぞタブーでしかないだろう。実際に行ったインドは、結構なほっこり部分もまだ在ったけど。

またアメリカで言えば、私たちやそれ以上の世代が憧れていたアメリカのファンションスタイル。ヒッピー、スケーター、アメカジ、それぞれが全て格好良く、緩い中にもキマッている事この上なかった。西海岸からNYCITYまで、あのペタっとした髪型君もボロボロの着こなしさんも、日本の平たい顔族には到底真似できぬものが粛々と在った。
ところがどっこい、最近までアメリカでパタンナーをやっていた友が、今のアメリカ人は、ディッキーズをカットオフして靴下みせて履くスタイルなど、本来自国発祥とされるスケーターの着こなしを、もう殆どファッションに携わるアメリカ人も知らないとのことだった。友がそのスタイルをしていたら、皆から「新しいバランスだね!オリジナルで格好良いじゃん!」って言われたそう。
おいおいお前らの文化なのに、街並みやファッションですら一緒になってきているそう。
これもインターネットの産物なのか。
全世界の画一化、細々とあった古来&独自の大切な方々の文化が、一気に薄くなっていると見定めたくなった。

現代のカルチャーは、焼き直しでしかないと思う

日頃から日本人として、完全純粋培養生活でも多々思ふところあるある。
日光江戸村へ行った時、自分で着物を着られないこと、日本文化の知識の無さをアミューズメントパークから教わる恥ずかしさ。
今の20~30代の子達に格好良いとされる、オーバーサイズ系ファッションや「写ルンです」のボケた写真遊びも、ただの90年代の焼き直しでしかないこと。全く以てどこかしこを探しても、以前のようなれっきとした文化・カルチャーが何処にも生まれてきてないのだ。勿論、自分の世代も色んな過去の海外文化に皆憧れていたけど、それ以外にも日本独自のヘンテコな進化を遂げた文化があった。

ともあれば今の偏って極端でもないし、そこまで執着されていないカルチャーをどう感じたら良いのだろう。

「轟音はカルチャーマガジン」と聞いた時に、「今はカルチャーが無いに等しく感じている自分が、どう書いて云ったら良いのか?」という話もさせて貰った。

皆が思っているような格好良く、優美系又はゲットー系文化・カルチャーを執着気質丸出しで、とても問いたい気持ちになっている。
世界画一化現象からの脱却は、偏りや極端さと執着が必須であるはず。

時代は繰り返すと云えど、焼き直しのそれなりな格好さで一生行くのか、新しい文化やカルチャーシーンをつくるパワーがあるのか。ひと昔前の裏原のような文化でも良いから、圧巻する様であって欲しい気持ちに駆られた。それを見定める目も、勿論必須なのだけど。

自分達世代だって、ゆとりとオバブ(バブル世代)に挟まれ、ただ氷河期に始まり耐え忍んだ民だけでもないだろう。今一度、根源的民族文化でも良い、新しいでも、再構築系ジャンク文化を生み出すでも良い。そんな新鮮さを自分自身が欲していて、偏った執着をし始めていた。

正に煩悩の行き先にカルチャーができ、ユニティすれば最高じゃないか。
勿論、今の世の中にも各所に面白い人、音楽・芸術でオリジナル性を確固としたものにする人達は、在る訳なのだから。

カルチャーの語源は、ラテン語でcolere(耕す)と云う意味を含み、心を耕すという意味があるそうなので。な・に・か未来のヒントになってきていると勝手に思ふ文化、辺執見気味にこれからを見守って、パトロールしていこうぞ。
そうわたくしの出身も文化服装学院だし、自分の中に在る大切なもの達も、文化まみれだから。きっとそう云う面でも、自分達は恵まれている。
未だ拳突きあげたこの手で、誰かをぶん殴るではなく、文化的色んな成果を築きあげたいわよね~って真剣に思い、ゆるく炬燵でみかんしています。どんだけ。佐藤一花

Creator

佐藤一花

1979年群馬県生まれ。文化服装学院卒業後、アパレル生産管理、販売などを経て、現在のオフィスアートレディ活動に至る。イラスト・コラージュ・立体作品を制作。群馬、東京、埼玉など全国各処で展示を開催。