Column

人のための街 ― あるいは街のための人

Ladybird Studio

「昔はよかった」

「昔はよかった」。
懐かしいあの頃。そのノスタルジーはいつでも心地よく、我々を無条件で優しく包み込み、そこでは全てのことが美しい。

そうだ。あの頃はよかった。

「昔はよかった」という言葉の響きの魔力にはだれも抗えない。
それが生まれ故郷のことであればなおさらのことだ。

群馬県桐生市の昔のこと(地域の歴史など)に詳しい人の話によると、桐生の街は江戸時代には商人で溢れとにかく栄えていて、もう毎晩どんちゃん騒ぎだったらしい。
「商人の街桐生」なんていう言葉もこの頃からのようだ。

「昔はよかった」。
年金生活者世代の人なんかの話を聞くと、お祭りになるとでっかい山車が出て、そこで酒を飲んで、当時あったストリップ劇場に行くのが定番だったそうだ。特に御神輿をかつぐような町衆になるとみんなツケで飲み歩いていたそう。キャバレーなんてものが現れたのも、その頃らしい。

「昔はよかった」。
僕が高校生の頃も街は活気に溢れていた。メインストリートの路面店は全てオープンし、街は若者で溢れ、DCブランドのブティックで服を買い、喫茶店でお茶をして、当時3つもあった映画館でいろんな映画をみて、週末は友達のバンドをみにライブハウスへ出かけ、居酒屋やバーで打ち上げをする。遊ぶお金がなければバイトをし、そこで出会いもあり、とにかく毎週遊びで忙しい。色々な人に話を聞くかぎりでは、そんな時代だったようだ。

世はバブル末期で世の中が文字通り泡立っていた。30年ほど前の話だ。街が人を育て、知らないうちに人が街をつくり、いつでも人々は街とともにあった。まだ携帯電話やインターネットもない時代で、人々が行き会う場所の必要性と経済とが結びつき、自然と街が成り立っていたのかもしれない。

「昔はよかった」。
時は流れ桐生の街は変わり、歩く人もほとんどなく、路面店のシャッターはほぼ全て降りて、その機能を失ったかのようにみえた。
どうしてそうなったのか?本当のことはわからない。
主な原因は人口が減ったことらしいが、それもわからない。人口が減ったのはどの街でも起こっていることだった。とにかく1つだけわかることは、街が街として機能するには人が必要だということだ。

街で新しいことをはじめる人たち

「街が寂しくなるのをなんとか止めたい!」、活気があったあの頃の街を取り戻すためにがんばった人たちもいた。彼らは自分でお店をはじめ、音楽活動をし、アート活動をした。桐生はおもしろいらしいという噂が流れると、外から街にやってくる人も増えた。多種多様な人たちがやってきて、街でそれぞれに色々な活動をはじめた。

ある人はすぐにやめ、ある人は続け、またある人は去っていった。多くの人は時の流れの中に消えるか、あるいはうまく街にとけ込んでいった。これは私見だが、どちらかというとバブルを引きずった人たちのムーブメントのように感じた。そしてそこには、まだなんとなくキラキラした空気が流れていた。

同じ頃、桐生では骨董市というものがはじまり毎月第一土曜日にはかつてのメインストリートに人が歩くようになった。かつての活気に溢れた、沸きかえった街の様相とは大きく異なるが、人が歩くようになったのだ。
なんとなくぶらぶらと骨董を眺めながら歩いているのがとても楽しそう見えた。こちらはバブルのキラキラ感はなくなり、落ち着いた鈍色という感じだった。あの頃はあの頃で色々あったけどそれなりによかった。

それからまた少し時が流れて街に新しい人たちがあらわれた。
ものづくりをする人たちがやってきたのだ。機織、縫製、刺繍など、昔から繊維業の産地だったこの地に興味を持った若者たちが次々とやってきて、街で新しいことをはじめた。そして今では歳をとった者には、街で新しいことをはじめる若者のことが追いかけきれないほどになった。それはまるでコーエン兄弟の映画「ノーカントリー」(原作はコーマック・マッカシーのNo Country For Old Man ― 彼は米・メキシコの国境付近の小説を書き続ける)に出てくる、麻薬事件を追いかけるが真相には追いつけない年老いた警察官のようだった。

そんな様々な動きがある中で、やはり何かをはじめるが特に注目されることもない人たちもいた。彼らにとっては「街で何かをはじめる人たち」は輝いて見えていたようだ。「自分もこの街を盛り上げる1人になりたい、あるいはなりたい自分になりたい」と願い、思い思いのことをはじめた。
そしてまた、時の流れのなかに消えていった。まぶしい光のあたる建物には必ず影があり、それらはすべて1つのものなのだ。だれだってみんな平等に輝く権利がある。輝けるかどうかは別として。

違和感を通して考えること

僕は3年ほど前にこの街で活版印刷の工房をかまえた。自宅にあった工房が手狭になったので歩いて通える近所に別の作業場が欲しかったからだ。
通りから1本入ったところなので路面店というほどではなく、店舗というほどの改装もしていない、小さな印刷所だった。そんなに激しい出入りもない分野の仕事なので、自分のペースでじっくりやりたいと考えていたがその生活は想像したものとは大きく違っていた。老若男女、実に多くの人がやってきた。1日中人の出入りがあって、全く仕事にならないなんて日もあった。そして色々な『桐生の街の話』をしていった。

そんないろんな人の様々な話を聞いて僕が感じたのは、小さな違和感だった。最初は小さなものだったがそれはだんだん大きくなり、言葉に成るまでになった。
ほんとうに申し訳ないんだけど、僕は街を盛り上げようとか輝きたいとか目立ちたいとかそういうことは考えたことがないし、そういうことからは距離を置きたいと思っている。

色々な事情が重なり、たまたま工房を手放し、街から少し離れた自宅に新たな仕事場をつくった。「店舗がないともう頼まない」ということに近い内容のことを言う人もいたが、かえって今のほうが楽しくやっている。

これからは静かな環境で、じっくり仕事をしながらそれを通して自分のできる範囲内で人や社会と関わってゆけたらいいなと思っている。

Creator

Ladybird Studio 杉戸岳

Ladybird Studio主宰。活版印刷工房のLadybird Pressを運営するかたわら、手描き染め工房BLOSSOM・お値段以上の写真とデザインをお届けするカササギ写真&オナガ図案、などを今後展開していく予定。