私の父は親族一の高学歴で、80間近にして今なお勉強を続ける真面目な人間だが、とにかく酒が好きな男だ。最近でこそ多少落ち着いてきたものの、私が子供の時は連日連夜の酒は勿論、それによる問題行動も数えきれないくらいあった。
今では考えられないが、まだ飲酒運転がおおらかだった時代、朝方に警察から電話がかかってきたことがあった。お宅の旦那が酒に酔い潰れて信号待ちの間に眠り、渋滞を巻き起こした。ついては署まで迎えにきてほしいという知らせだった。その時の(その時も)母の怒りようは尋常ではなく、即刻車を処分する手続きに入り、父はそれ以来、定年退職の日までバス通勤をすることになった。という事件などは可愛い方で、ほとんどはここには書けないようなことばかりだった。
子供ながらに母が毎日怒り狂っているのに、なぜ父は懲りずに酒を呑み続けるのか全く理解できなかった。とにかく私は小学校低学年の時にはすでに、酒は家族間に不穏な空気をもたらす毒であるということを痛感し、酒呑みの大人にだけはなりたくないと思っていた。
それから時が経ち、大学三年の頃に林文浩さん(FREE MAGAZINE /Numero TOKYO)の『外道伝』という本を読んだ後、私は全く正反対のことを考えていた。林さんが世界的ファッション雑誌『DUNE』の編集長とは露知らず、何となくタイトルが気になって買ったその本は、林さんのまわりにいる特異な才能や人生観を持った人たちが紹介されていた。そこに登場する12名はそれぞれ強烈に違いなかったが、読後に私が感じたのは、「この人たち全員と繋がって呑んで暴れてる林さんが一番楽しそう」ということだった。
巻末には林さんの友人・知人が、酒を呑んだ時の林さんの逸話を紹介する『外道 林文浩 酔伝』というページがあった。
「べろんべろんに酔った林がコンビニの前で『北村さーん、こういう入り方知ってますか』と言いながら、レジの前まででんぐり返ししながら入っていくんだよ。2、3回はまわってたね。それでもって、今度は大型冷蔵庫開けたと思ったら、チンポ出して『涼しーす』。もうやりたい放題」(北村信彦/HYSTERIC GLAMOUR)
「三宿のロックバーでベロベロに酔っ払って、『大橋、今日は高速で帰るぞ』って言い出して、高速道路を一緒に歩いた。料金所の所で『こんなとこ歩いちゃダメだ』と注意されると、『公共の道路を歩いて何が悪い!俺は小渕のせがれだぞ。こうなったらブッチホンで連絡する』って騒ぎ出した」(大橋修/フィッシュデザイン)
「駅前の交番の前で『オレはグラフィティ・ライターだ。今からこの町にタギングするから、マーカーをかせ!!』としつこく絡み、警官をへこませてた」(渡辺アルト/スケーター)
私もこんな風に酒を呑み、デタラメに生きていけたらどんなに幸せだろうかと思った。
当時、大学三年ということもあり、私のまわりは皆、銀行だメーカーだ商社だの、「今までそんなことに興味あるって言ってたっけ?」という企業に就職するため、急にリクルートスーツに身を包み、就職活動を始めていた。しかし、私には将来のヴィジョンが何もなく、またやりたくない仕事に就く覚悟も持ち合わせておらず、完全に一人だけ取り残されていた。そうして家に引きこもっていた時に、先の本を読んだのだ。
私はリクルートスーツの代わりに、コムデギャルソン・オムプリュスとドリスヴァンノッテンでキメ、泥酔状態で林さんの自宅兼編集部に乗り込むことにした。これが私なりの就職活動で、正確には就職目的ではなく、弟子入り志願として押しかけたが、無事(?)に編集部への出入りを許され、林さんから芸術的な酔っ払い方や美意識について学ぶことになった。
そして現在に至るまで『外道 岡本奇太郎 酔伝』のエピソードは更新中だ。
これまで酒を憎み、酒に呑まれて生きてきたが、最近は酒を呑むことに飽きを感じる時がある。毎日欠かさず呑んできた酒だが、別に美味しいから呑んでいるわけではなく、ただの中毒である。生来の飽き性の私にしては長続きしている嗜みではあるが、もはや酒によってどんなトビが得られるか、どんな事件に巻き込まれるかなど、新しい展開はほとんどない。それよりも20年以上摂取してきたものをパタリとやめると、まだ見ぬ世界が拓けるのではないだろうかと思いを馳せる。しかし、とことん飽きるためにはもう少し呑む必要がありそうだ。
今日はこれから幡ヶ谷の『浜屋』で一杯。ではこの辺で。