2年ほど前に、『鉄印帳でめぐる全国の魅力的な鉄道40』という書籍のマップを作る仕事をした。朝の連続テレビ小説「あまちゃん」で有名になった三陸鉄道(ドラマ内では北三陸鉄道リアス線となっていた)のマップを作った時、いつか三陸鉄道に乗るだけの旅に行きたいなと思っていた。三陸鉄道に乗って、車窓からリアス式海岸を眺める旅を妄想していた。この4月の後半に休みがなんとかとれそうになったので、三陸鉄道の旅を決行することにした。ちょうど「あまちゃん」の再放送も始まったこともあったので。
三陸鉄道は、岩手県の大船渡市にある盛駅から岩手県久慈市にある久慈駅(あまちゃんの北三陸駅)までの全走行距離は163キロメートルの鉄道である(ちなみに、東武線の赤城−浅草間が115キロ)。盛駅から釜石駅までが南リアス線、釜石駅から宮古駅までがリアス線、宮古駅から久慈駅までが北リアス線とわかれている。震災の時に全線不通となり、2020年3月に全線で運転が再開したそうだ。旅をするにあたって、あまり詳しく調べすぎてしまうと面白くないと思い、この<全長163キロ>ということを深く考えていなかった。なので、まさかこんなにも長い鉄道旅になるとは正直思っていなかった。釜石のホテルを予約して、盛駅で2日間乗り放題の全線フリー乗車券を買って、2日間で全線をなんとなく乗るってことだけ決めて、三陸鉄道の旅に出た。
4月22日(土)18時過ぎ。カイバテラスの営業を終え、そのまま北へ向かう。北関東道から東北道を、妻と運転を交代しながら栃木、福島とひたすら北へ北へと向かう。途中のサービスエリアで持ってきたご飯や売店のラーメンを食べたりする。
5時間くらい運転して、仙台のあたりで東北道から仙台南部道路に移り、仙台港IC近くのスーパー銭湯「大江戸温泉物語 仙台コロナの湯」で休憩をする。夜中の12時近くだし、こんな時間に誰も風呂に入っていないだろうと思っていたのだが、広い風呂にたくさんの若者が入っている。ちょっとしたカルチャーショックを受けた。テルマエ・ロマエのルシウスのような気分になった。若者が飲み会の二次会なのか、遊んだ後なのか、仕事終わりなのか、いくつものグループでスーパー銭湯を楽しんでいる。我々はさっと汗を流して、すぐにコロナの湯をあとにした。
松島、石巻、南三陸を抜けて、午前2時前に大谷海岸の道の駅に着く。少し仮眠を取ることにしたが、意外と寒くてうまく眠れない。外の気温は5度くらい。少しだけうとうとしたくらいで、あきらめて再出発する。気仙沼、陸前高田を通り目的地の盛駅近くのファミリーマートで休むことにする。1時間ちょっと仮眠を取り、おにぎりやカップ麺を買って朝食にする。
事前に調べても見つからなかったのだが、盛駅の近くには駐車場がほとんどない。というよりも三陸鉄道のどの駅の近くにも駐車場があまり見つからない。行ってみれば、どこかあるだろうという甘い考えで来てみたのだが、本当になかった。車で来て三陸鉄道の旅をするというプランは想定されていないようだ(ちなみに東北新幹線の一ノ関駅から大船渡駅までJR大船渡線、大船渡駅から大船渡線BRTで盛駅までつながっている。なので新幹線とJR線を使って三陸鉄道の旅に来るのがおすすめなのかもしれない)。近くのコンビニの店員さんにどこか停めてよい場所はないか聞いてみたら、駅の線路を越えたあたりにあったと思うという情報を得て、なんとか始発の盛駅発の三陸鉄道に乗ることができた。ちなみに、盛駅には「あまちゃん」のラッピング電車が停車していた。
4月23日(日)午前5時43分、盛駅発の釜石駅行きの電車に乗る。乗客はそれほど多くはないが、がらがらというほどでもない。三陸鉄道は、海沿いを走ると勝手に思っていたのだが、ほとんどは山の中を走る。さらにトンネルがとても多い。盛駅を出発した電車もすぐにトンネルに入った。車窓もないので、本を読むことにする。トンネルを抜けて駅に着くと、少し海が見える。そして、また山間部、トンネルの繰り返しである。そんなことで、本を読んだり、うつらうつらしたりして釜石駅に着く。
釜石駅で、次の宮古駅行きに乗り換える。自動販売機に北東北限定・復刻デザインのHI-C アップルが売っていたので買う。なつかしいデザインだ。釜石を出発してしばらく行くと吉里吉里(きりきり)という駅がある。井上ひさしの小説『吉里吉里人』で有名なようで、ファンがやってくるとのこと。興味深い名前なので小説を読んでからまた来てみたい。宮古までの車窓も変わらず山、トンネル、海の繰り返し。
車窓から見える景色は、海が見えないところでも、あきらかにここ10年でできたと思われる同じような新しい家が並ぶエリアがいくつも見られた。家が建ち並ぶ様子が不自然に新しいエリアは、震災の時に津波の被害があったところだということが見るだけでわかる。ちょっとした地形の違いで被害のあった場所と被害をそれほど受けなかった場所があると思うと複雑な気持ちになる。津波が川を逆流してやってきたことを考えるととても恐ろしい。テレビで見たり話で聞いたりはしていたが、実際に来てみないとわからないこともある。
釜石駅から1時間ちょっと電車に揺られ(ほとんど眠っていた気がする)午前8時22分に宮古駅に着く。宮古駅から久慈駅に行く電車に乗るには1時間くらい時間がある。ということで、宮古駅を出てみた。宮古駅の駅前には観光案内所と三陸鉄道のショップ「さんてつや」がある。「さんてつや」には、三陸鉄道のグッズや三陸のお土産が売っていた。ベアレンビールと三陸鉄道のコラボビールが売っていたので、つまみと一緒に購入し駅前のベンチに座って飲む。
久慈に行くか宮古を散策してみるか迷ったので、観光案内所で聞いてみる。宮古に来たら、とりあえず浄土ヶ浜には行ったほうがいいと観光案内所の女性に言われたので、バスに乗って浄土ヶ浜に行ってみることにする。30分ほどで浄土ヶ浜に着いた。寝不足とビールの酔いでふわふわしたまま、浄土ヶ浜を散策して、またバスで駅に戻る。
駅に戻り、昼食を探し街を散策する。宮古の街はなんとなく桐生に似ている。着物の店や美容室などがやたら多い。おそらく昔は栄えていたのだろう。せっかくなので海鮮が食べたいと思い歩いていたが、ラーメンを主としたような食堂ばかりが目に入る。きっとそういうのも美味しいだろうなと思いながら歩きまわるが、海鮮が食べられそうな店は見つからない。結局、また観光案内所に戻り聞いて、少し高級そうな和食の店を紹介され、宮古の名物の瓶ドンを食べる。牛乳瓶のような瓶に海鮮が入っていて、それを混ぜてご飯にかけて食べるというものである。そんなに期待していなかったけど、それなりに美味しい。
久慈に行って釜石まで戻ると夜になってしまうので、このまま釜石に戻ることにする。1時間ほど時間をつぶしてから、釜石行きの電車に乗る。午後3時39分釜石駅に着く。釜石の街は比較的大きい。鉄と魚とラグビーの街ということだ。駅前は寂しい感じだが少し歩くと街っぽいところに出る。ホテルなどの壁には津波がここまで来たというラインが引かれているのが目に入る。人の身長をはるかに越える高さである。街が完全に水の中に入ってしまったということはうまく想像することはできないけれど、そのラインを見ると自然の恐ろしさを感じないわけにはいかない。
ホテルにチェックインして、風呂に入って少しリフレッシュしてから夕食を食べに街に出る。まだお店が始まる前だったので、海の方に行ってみる。釜石港の近くは何かの工場地帯となっている。グリーンベルトという津波の際に高台に避難する道ができている。まずは、地元の人がやっているという回転寿司に行き何皿か寿司を食べる。回転寿司と言っても流れてはいない。次に、老舗の中華屋に入り釜石ラーメンを食べる。そこでお腹はいっぱいになっていたのだが、海鮮と地元のお酒を飲みたかったので、居酒屋を探しに行く。ひと呼吸置くためにイオンタウンに入り、さわや書店という書店で本を物色する。さわや書店の書店員の栗澤さんが書いた『本屋、地元に生きる』という本と地元の漫画家の方が書いた漫画を購入する。結局居酒屋は、「三陸うまいもんや つぼ八」に入り、釜石の地酒、浜千鳥とほや、赤皿貝、ゲンゲの唐揚げを楽しむ。
4月24日(月)5時に起き、午前6時2分発の三陸鉄道に乗る。途中の駅からも高校生がどんどん乗ってくる。宮古駅あたりでだいたいの高校生は下りる。宮古駅から久慈駅までが、いよいよ「あまちゃん」の舞台である。といっても宮古までと同様、ほとんどは山間部を通る。ロケで使われた場所をいくつか通過する。堀内駅のホームには「あまちゃん」で使われた表示板も残っていた。宮古駅から1時間半ほどで久慈駅に着く。「あまちゃん」では北三陸駅という名前で登場した。駅は、団体旅行の人たちでにぎわっていた。予約していたうに丼を受け取り、駅の外に出てみる。帰りの電車まであまり時間がなかったが、少し街を散策して道の駅くじまで行ってみる。お店のシャッターには今でも「あまちゃん」を模した絵が描かれている。道の駅くじには、「あまちゃん」にも出てきた秋まつりのかなり大きい山車が飾られていて、その大きさに驚く。お土産をいくつか買い駅に戻る。少し時間があったので、うに丼を売っていた売店でめかぶそばを食べる。
午前10時39分の電車に乗って、車内でうに丼を食べる。宮古、釜石で乗り換えて午後3時5分、盛駅に戻る。長い長い三陸鉄道の旅は終わった。三陸鉄道に乗りに行く旅であったが、ほとんど眠っていたような気もする。揺れが心地よかったのか、ただ単に寝不足だったのかはわからない。