Column

追憶の東京〜地図のような文章〜
その8 早稲田〜高田馬場 1

サイトウナオミ

地図のような文章、神保町編の次は通っていた大学があった場所であり学生時代のもうひとつのメインの活動場所である早稲田〜高田馬場周辺の様子を綴りたいと思う。早稲田という文字にアレルギーのある方は、読まない方がよいかと思う。

まず、皆さん御存知のことかと思うが「早稲田」というのは地名である。早稲田大学があるから「早稲田」ではなくて、「早稲田」にあるから早稲田大学である。ちなみに僕の通っていた文学部キャンパスは、「早稲田」ではなくお隣の「戸山」という地域にあり、正式には戸山キャンパスという。だが、学生の間では主に文キャンと呼ばれていた(女子が多いから戸山女子大という別称もあった)。「早稲田」にある文学部以外の学部があるキャンパスは正式には早稲田キャンパスというが、本キャン(本部キャンパスの略なのか?)と呼ばれている。僕はあまり他の学部の人間とつきあいがなかったので、文キャン、本キャンという言葉をあまり使う機会もなかった(が、この文章では使いたいと思う)。

文キャンのカフェテリアの様子。友達のりょうじさんと白井くん

さて、前置きが長くなってしまったが、もう少し前置くと、大学1年と2年のときは、駒込(西ヶ原)にあるKビルに住んでいたので(※追憶の東京〜地図のような文章〜その1とその2参照)地下鉄南北線で飯田橋駅へ、地下鉄東西線に乗り換えて早稲田駅まで来ていた。大学3年からは、学校の近くに引っ越したので、主に自転車で通うこととなる。早稲田の学生は、自宅から通う人を除くと、高田馬場駅から乗れる西武新宿線沿線に下宿(正確にはアパートやマンションだが)している人が多かったように思う。西武新宿線で通う学生は、余裕があるときは、高田馬場駅で降り、(約1.5キロ)歩いて文キャンや本キャンに通う。通称「馬場歩き」である。お金に余裕のある人や時間に余裕のない人たち(または悪天候の時)は、高田馬場駅から早稲田駅まで一駅分地下鉄東西線に乗る。

ということで早稲田駅に下りる。早稲田駅を下り地上に出ると、その名も早稲田通りという通りに出る。東に行くと神楽坂・飯田橋方面に行き(神楽坂・飯田橋の話はまた後日)、西に行くと文キャンや本キャンに行くことができる。西に出てすぐの丁字路を右に行くと、メルシーという老舗の食堂がある。軽食&ラーメンとなっているが、ほとんどラーメン屋である。ラーメンの値段は当時は300円か350円くらいで、たいそううまい。テーブルにはラー油(たぶん自家製)が置いてあって、それをラーメンにかけるとさらにうまい。メルシーのラーメンは唯一無二の味で、似たような味のラーメンを他で食べたことはない。メルシーの向かい側には早稲田中・高という学校があるが、この学校は早稲田大学の附属高校ではないが、同じ地域にあるから早稲田大学の推薦があると聞いていた。てっきり公立の学校かと思ったら、ウィキペディアによると私立の学校で坪内逍遥や大隈重信の尽力により創立されたが、運営は別とのことである。推薦枠があるのは本当らしい。

長いスロープに座ってくつろぐ

早稲田通りをさらに西に進むと馬場下町という交差点に出る。そこを右に曲がると本キャンに行き、左に曲がると文キャンである。そして正面には、穴八幡宮という神社がある。僕は今でもできるだけ毎年行くのだが(コロナになってから行けていないが)、穴八幡宮では、冬至から節分の間だけ(有料で)配布する一陽来復のお守りがある。冬が終わって春が来るということで、悪いことが続いた後に幸運が開けるという願いを込めたお守りである。なので、冬至の時期や節分の時期は、多くの人がここに集まる。馬場下町の交差点のところには、キッチンオトボケという老舗の洋食屋(北村薫の円紫さんと私シリーズにも登場する)があったり天丼のてんや(今はないようだ)があったり、半地下のうどん屋と伝説のカレー店メーヤウなどがあった。

文キャンは、そのうどん屋とメーヤウの前を過ぎると左側にある。門(一応門があって、警備員もいるが、基本誰でも自由に出入りできる)を通ると長いスロープがある。その長いスロープの淵に腰掛けて、たばこなど吸ったり本を読んだりしながら、知っている顔が通るのを待ちながら時間をつぶしていた(今では禁煙であろう)。スロープの下には今では巨大なアリーナができているみたいだが、僕らのときは古い体育館(卒業式などは、その大きな体育館で行われた)があった。スロープを上った左側にはカフェテリア、図書館、講堂の建物がある。このカフェテリア(いわゆる学食)かスロープにいれば、だいたい誰かには会える。カフェテリアは、その名前ほどはおしゃれな場所ではない。ただ、屋根のある半屋外空間のような場所で、とても開けていて気持ちのよい場所であった。そこでだいたい安いうどんや丼などを食べていた。文キャンには他には、教室のある建物がいくつかあり、ちょっとした広場のような場所があったりする。ちょっとした広場のような場所で、ひとりで昼飯など食べながらゆっくりしていると、サークルの勧誘風に宗教の勧誘にあうこともあった。

文学部のキャンパスは、とてもこじんまりしていて、今ほどおしゃれじゃなくてとても好きな場所だった。今では、(僕らの学費が遣われて建てられた)でかいアリーナやおしゃれなビルができなんかちょっと入りにくい雰囲気になってしまったけれど。スロープに座って、通りゆくほとんどは知らない学生たちを眺めている時間を懐かしく思う。今回はこのあたりでおわり。

Creator

サイトウナオミ

地図描き/ふやふや堂店主。群馬県桐生市出身。東京・京都を経て2012年秋より再び桐生市に住む。マップデザイン研究室として雑誌や書籍の地図のデザインをしながら、2014年末より「ちいさな本や ふやふや堂」をはじめる。桐生市本町1・2丁目周辺のまちづくりにも関わり始める。流れに身をまかせている。