Column

追憶の東京〜地図のような文章〜 番外編
ジャズとモズのこと

サイトウナオミ

何度も『Mozz』(以下モズとする)のことを書こう、書かなくてはと言っておきながら、なかなか書けないでいる。なぜならモズで過ごした時間は、僕にとって本当に濃密な時間だったからだと思う。そこで過ごした経験は今でも生きる糧になっている。なので、モズのことを書くことは自分の中に潜っていく作業になり、まだなかなかそこにダイブする勇気が湧かないのである。

そんな中、先日ジャズ漫画『BLUE GIANT』の映画を観てきた。ジャズのことを書きながらであればモズのことも少し書けるのではないかと思い、今回ジャズとモズの話を書いてみることにした。モズの話にならないかもしれないが、ジャズのことについては、モズで経験をしたことがほとんどすべてなので、自然とつながるのではないかと思う。

ということでモズについて。

Webで検索をすれば、もしかしたら何か出てくるのかもしれないけれど、あえて調べないで僕が知っていることを記しておく。正式な名称は『Modern Jazz Spot MOZZ』(MOZZの書きかたはMOZZが正しいかMozzが正しいかはわからない)。僕が行っていた(バイトしていた)時の場所の前は、もう少し早稲田大学に近いところにあり、ママさんが経営をしていた。大橋巨泉やタモリも来ていたと聞いている。場所を移転した際に、僕の知っているマスター(KUNIさん)に声がかかり、ママさんは移転後、お亡くなりになって、その後はマスターがお店を継いでいた。僕が大学を卒業して1年くらいしてから、その2代目モズも惜しまれつつ閉店した。というのがモズについて僕の知っていること(間違っていることがあるかもしれない)。

では、ジャズについて。

両親がジャズを聴いていた。子どもの頃、群馬県前橋市にある『木馬』というジャズ喫茶に夜連れて行かれたりした。木馬は移転して現在でも営業しているが、子どもの頃連れて行かれたお店は、蔦が壁に這っていて、店内は薄暗いお店でたぶん珈琲の香りがしていた。もちろん珈琲のこともジャズのこともまったくわからなかったけれど、子どもにとってもとても心地よい空間だった。そして家では、時々爆音でジャズのレコードが流れていたりした。それが僕とジャズの最初の接点であった。

時は流れて大学に入学し、神保町の喫茶店『伯剌西爾』でバイトをはじめた。伯剌西爾でかかっていた音楽がジャズだった(あくまでもBGMとして)。ジャズを聴いてみようという気になったのはそれがきっかけだった。神保町のディスクユニオンでビリー・ホリデーの『Last Recording』というアルバムを買った。ヴォーカルの入っている方がわかりやすいだろうということと聞いたことのあるビリー・ホリデーという名前だけで買った。その後は、伯剌西爾にあるCDを借りたり、バイト代で(主に中古の)CDを買ったりしながらジャズを聴くようになっていった。

ジャズという音楽ジャンルは、きちんと定義しようとするととても難しい。僕は音楽の専門家ではないので、あくまでも素人として感じていることを書くと、世間一般の多くの方がジャズと認識しているのは、モダンジャズと言われるものだと思われる。ピアノトリオ(ピアノ、ベース、ドラム)だったり、それにサックスやトランペットが加わったカルテットやクインテットがあったり、ピアノがギターになったギタートリオがあったり、ヴォーカルが入ったり。それほど激しくなく、聴き心地がよい音楽がジャズだと認識しているのではないかと思うし、僕も基本的には、モダンジャズが好きである。

もちろんひとことでモダンジャズと言っても、それもかなり曖昧なくくりであるけれど、モダンジャズ以外にも、モダンジャンズ以前の時代のジャズがあったり、自由に吹きまくるフリージャズがあったり、クラシックに近いジャズがあったり、ロック寄りのジャズがあったり、ファンクだったり、電子楽器を使ったフュージョンになったり、民族音楽と融合したりととにかく奥も深いし幅も広い。なので、ジャズとはこれこれこういう音楽ですと定義することはできないけれど、BLUE GIANTで描かれていることや、先日山中千尋さんが桐生市の講演会で話していたことなどから考えると、楽器で自分を自由に表現する音楽がジャズなのではないかということができるのではないかと思う。あくまで音楽の素人の感想として。

ジャズを聴き始めて何が面白かったかと言えば、それぞれの楽器の音がよくわかるということだった。日本のポップミュージックを聴いていた時は、主に聴いているのはヴォーカルの歌であったと思う。ジャズの場合は、例えばピアノトリオの演奏を聴いても、ピアノの音だけを聴くわけではなく、ベースやドラムの音をよく聴くことができる。そして、それぞれの演奏者の音というのが、いくつか聴いているうちにわかることである。同じ楽器でもなんでこんなに個性を出すことができるのかとても不思議である。そして、同じミュージシャンでも一緒に演奏している人によって、めちゃくちゃいい演奏になったり、すごく退屈な演奏になったりするのも聴いていて面白かった。

もうひとつジャズの魅力をあげるとするならば、やはり、ジャズミュージシャンの人生ではないだろうか。今でも(もしくは僕が学生時代の四半世紀前でも)生き残っているレジェンドミュージシャンは何人かいる。しかし名前を残しているレジェンドミュージシャンの多くは、酒やドラッグに負けて亡くなってしまっている。そういうミュージシャンの伝説を聞いたり、本で読んだり、映画で観たりするのはとても面白く、深く考えさせられることが多い。おすすめの本は、以前にも紹介したけれど、和田誠・村上春樹の『Portrait in Jazz』である。

そんなことで、大学1年の夏にジャズを聴き始めて、いくつかのCDを聴いたりしてジャズって面白いなあと思い始めた冬頃に、友人の市川くんと早稲田から高田馬場に歩いていたときに発見したのが、シャッターの閉まったモズというお店だった。夜になったら開くというので、日を改めて、行ってみようということになった。(続く)

【ボーナストラック】
日本においてジャズという音楽がどのように聴かれているのだろうか。僕がモズに行っていた25年前くらいと現在ではさらに状況は大きく変わっているかと思うが、その四半世紀ほど前の僕が感じていたことを振り返ってみたいと思う。

BLUE GIANTにもひとつの問題として取り上げられていたが、日本でジャズを(お金を払って)聴いている世代というのが比較的年配の世代で、そのおじさま方に喜んでもらう演奏をするのか、自分を表現する演奏をするのかというのが1つの問題となっているように感じた。いわゆるBLUE NOTEの名盤と言われるような音楽を至上とするという考え方だ。僕も当時、これぞモダンジャズというのがとても好きだったし、今でももちろん好きだ。モズのマスターからは、「さいとう少年は趣味がおじさんっぽい」とよく言われたものだ(注:当時モズでは、さいとう少年と言われていた)。マスターは、モダンジャズよりもフュージョンや比較的新しい音楽を好んで聴いていた。マスターにとってのスターは、ジャコ・パストリアスだった。ジャコのレコードがカウンターの1番よいところに飾られていた。

それと、これはモズでバイトをはじめてからのことだが、比較的若い人がやっているジャズのライブなどに行くと、聴きに来ているのも演奏をする方が多かったような感じがした。何かのきっかけで話をすると「何か楽器はやってるの?」とよく聞かれたものだ。そんな質問には「聴くのが専門です」と答えていた。

あれから四半世紀の時が経って、ジャズ喫茶などで「ジャズってのはなあ〜」と説教をするようなおじさまたちは、どうなっているのだろうか?また新たなおじさまがそのポジションを引き継いでいるのだろうか?ジャズに関係する場所がどのくらい残っているのかわからないけれど、そんなに肩肘張らずに音楽が楽しめる場所が、少しでも多く残っているとうれしいなと思う。今はなかなかそういうところに遊びに行けないけれど、お酒や珈琲を飲みながら、生の演奏やいい音でレコードを聴くのは本当に素敵なことなので。

Creator

サイトウナオミ

地図描き/ふやふや堂店主。群馬県桐生市出身。東京・京都を経て2012年秋より再び桐生市に住む。マップデザイン研究室として雑誌や書籍の地図のデザインをしながら、2014年末より「ちいさな本や ふやふや堂」をはじめる。桐生市本町1・2丁目周辺のまちづくりにも関わり始める。流れに身をまかせている。