Column

追憶の東京〜地図のような文章〜
映画『ドライブ・マイ・カー』の話

サイトウナオミ

毎回、番外編のような特別編のようなことになってきてしまったが、書かなくてはならないタイミングというものがあるので、今回は映画『ドライブ・マイ・カー』を観た感想を記す。

先日、緊急事態宣言の中、やはりどうしても観とかなくてはと思い、村上春樹原作、濱口竜介監督・脚本の『ドライブ・マイ・カー』をイオンシネマ太田へ観に行った。村上作品原作の映画は、2018年に公開された『ハナレイ・ベイ』以来。『ノルウェイの森』はまだ観ていない。そういえば、『風の歌を聴け』の映画もあって、いわゆる駄作と言われているのだが、観てみるとなかなか味わい深い映画である。あとは、『トニー滝谷』の映画もDVDで観た気がする。

話は脱線するけれど、近くで映画を観るのにショッピングモールという選択肢しかなくなってしまったのがすごく残念だ。何年か前に『トレインスポッティング2』を観に行ったときも、「『トレインスポッティング』をショッピングモールで観るのか!」と時代の変化になんとも言えない気持ちを味わった。できれば『ドライブ・マイ・カー』『トレインスポッティング』も昔ながらのいわゆる「映画館」という場所で観たい作品である。

前置きが長くなってしまったが『ドライブ・マイ・カー』、すごく良い映画だった。3時間近くある映画だったが、過ぎていく時間が愛おしく感じられる作品だった。村上春樹さんの原作とは違う話にはなっているのだが、原作の『ドライブ・マイ・カー』の世界観を、村上春樹さんの描く世界観を丁寧に映画として描き直していると感じた。

どんな点がよかったかといえば、登場人物の存在感である。

それぞれの登場人物が抱えている過去(の傷)が映画で描かれている以上に、それぞれの人物から感じられるということである。西島秀俊さん演じる家福の過去は前半で描かれているが、それ以上の物語がその佇まいからにじみ出ていたり、三浦透子さん演じる渡利みさきも、過去の出来事は彼女の口から語られる場面はあるのだが、語られる以上の彼女が生きてきた人生が画面から伝わってきた気がした。他にも、岡田将生さん演じる高槻や、韓国手話で演技をする女優さんと演劇祭のコーディネータの夫婦などなど。

それぞれの人生の物語を観ている気がするので、描かれていた時間以上の物語を観た(体験した)感じがするのである。これは、小説では味わえないことだと思う。映画ならではの体験だった。

それと、劇中で行われる『ワーニャ伯父さん』の演劇も、より作品に深みをもたらしている(『ワーニャ伯父さん』は、原作でも出てくるがそれほどまで重要には感じられない)。おもわず、観た後に『ワーニャ伯父さん』が読みたくなって、本を買ってしまった。

そして、もうひとつ映画の中で重要になってくるのが、原作の『ドライブ・マイ・カー』が収められている『女のいない男たち』の中に入っている『シェエラザード』という短編小説の話である。映画を観ていて、ああこれは村上作品の中で読んだことある話だと思い、原作の『シェエラザード』をざっと読み返してみた。

だいたいの流れは映画に出てくる話なのであるが、最後の部分が原作と『ドライブ・マイ・カー』の映画の中で出てくる話と違うのである。違うのにも関わらず、僕は映画を観たときに、この話は読んだことがあると思ったのである。もしかしたら、他の村上作品の中に出てくる何かの話をモチーフとして加えているだけなのかもしれないけれど、映画の脚本を書いた濱口竜介監督が膨らませた話なのかもしれない。他にも濱口監督がインタビューで答えている中に出てきていたが、中編小説『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の影響も感じることができた。この映画のあたたかみのある部分が、『色彩を持たない〜』の肌触りとすごく似ている気がした。

『ドライブ・マイ・カー』という短編小説に、他の作品の要素を加えて膨らませ、その上で原作の雰囲気を壊すことなく、さらに映画という別の芸術作品として、村上作品の世界観を表現することに成功していて、僕はとても感動した。

この愛おしい時間を味わえる素晴らしい作品をつくったのが、自分と同年代の監督であると思うと、なんだかとてもうれしい。

おまけ:この映画のサントラがカセットテープで出ていると知り、思わず購入してしまった。大学の時に、友だちと海で音楽を聴くのに間に合わせに買った小さい黄色いラジカセに電池を入れてみたのだが、うまく作動しなかった。新しいラジカセを買わなくては…。

Creator

サイトウナオミ

地図描き/ふやふや堂店主。群馬県桐生市出身。東京・京都を経て2012年秋より再び桐生市に住む。マップデザイン研究室として雑誌や書籍の地図のデザインをしながら、2014年末より「ちいさな本や ふやふや堂」をはじめる。桐生市本町1・2丁目周辺のまちづくりにも関わり始める。流れに身をまかせている。