Column

追憶の東京〜地図のような文章〜
『複雑化の教育論』を読んで

サイトウナオミ

また番外編です。寄り道ばかりですいません。
とある読書会のために『複雑化の教育論』(内田樹 著、東洋館出版社)を読んだので、その感想文のようなものを書いてみる。

僕の好きな真心ブラザーズの曲『緋色』に次のようなフレーズがある。

単純なことを複雑にしないでよ
複雑なことを単純にしないでよ

このフレーズが、この曲の中で何度も繰り返されていると思っていたのだが、歌詞カードを見ると、一度だけしか歌われていない。僕の中でこのフレーズは、座右の銘とまではいかないけれど、社会を見るひとつの基準のようなものになっている。

『複雑化の教育論』で書かれていることは、要するにこういうことだ、とまとめたいところだが「複雑なことを単純に」してはいけないので、そう簡単にはまとまらないし、簡単にまとめるつもりもないので、この本を読んで感じたことを勝手な解釈で書いてみた。

(1)成熟するということ
「成熟するということは、複雑化することである」とこの本には書かれている。昨日とは違う人間になることだと。昨日と違う人間になるということは、知識や技術をひとつひとつ増やすということとは、少し違う。昨日まで使っていたものさしでは、測ることができない自分になるということだ。次元をひとつ越えて、今まで自分を囲っていた壁の外に出るということである。

そう考えると、成熟の過程というのは山登りに似ているのではないか。一生懸命に(木々の生い茂る)山を登っている間は、今自分はどこにいるのだかわからない。無我夢中に一歩一歩、上を目指して登る。そうすると、あるとき尾根に出て、パッと視界が開ける。今まで歩いて来た道が見渡せる。「あーずいぶんと高いところまで来たなぁ」と思うのだが、前を見るとさらに険しい山が眼前にそびえていたりする。その繰り返しである。

(2)単純化する社会
現在、教育の現場の他、社会のありとあらゆるものがマニュアル化されたり、数値化されたり、格付けされたりしている気がする。世の中、「分かりやすいことが正義だ」みたいな風潮を感じる。特にメディアは単純化されやすく、雑誌の見出しやYahoo!ニュースをはじめとするウェブメディアの見出しは、短くわかりやすくすることが求められている。

テレビをつければ、コメンテーターと名乗る芸能人が複雑な物事を単純化して結論をつけていたりする。それとは逆に、どうでもよい(単純な)ことをこねくりまわして複雑にしていたりする。そんなメディアをうまく利用していたのが橋本徹という政治家である。このことは、『誰が「橋下徹」をつくったか―大阪都構想とメディアの迷走』(松本創 著、140B)にとてもよくまとまっているので、ぜひ読んでもらいたい。

社会のあらゆる場面において、無駄な書類が増えてきているのも、社会を単純化させようという動きのひとつなのだと思う。本来であれば、ひとつずつの案件をよく話を聞いて、担当者が自分ごととして対応していけばよいという、とても複雑な業務を、誰が見ても「平等に」「問題なく」対応していると見せるために、たくさんの無意味な書類が世の中には存在する気がする。誰かが誰かを評価するための(そんな評価が必要なのだろうかというような)無意味な書類が存在する。そういう書類を作成するというブルシットなジョブが共同体を居心地の悪い場所にしていく。

(3)居心地のよい共同体(コミュニティ)をつくるために
では、自分の属する共同体の居心地よくするにはどうすればよいか?簡単なことである。自分が機嫌よくいることである。とこの本には書いてある。その場所を明るくして、自分から進んで責任をとろうとすることが、その場所を住みよくする近道だ。集団に属している人間が「自分みたいな人間」でも、とりあえず気楽に暮らせるような人間であろうとすること。

自分の職務と他人の職務の間には、グレーゾーンのジョブが必ず存在している。そのグレーゾーンのジョブをやる人間がいないと共同体はうまく機能しないので、その雪かき的なジョブをすすんでこなす人間がある程度の割合でいないといけない。機嫌よくそういう雪かき的な仕事をしていければよいと思う。

余談だが、機嫌の話でひとつ思いだす話がある。ミシマ社発行の雑誌『ちゃぶ台』8号の津村記久子さんのエッセイで、機嫌の悪い父について書かれている。機嫌の良し悪しで目も合わせたらいけない時間があるのに、ものすごくさびしがりの人だったそう。そんなことに対して次のように書いてあった。

ハラスメントとは一人でいられないことの亜種だ
暴力もまた、一人または集団が「一人でいられない」ことのもっとも歪でくそな結果だ

『複雑化の教育論』は、基本的には教育に携わる人向けに書かれた本であるが、僕はこの本は教育の話というよりは共同体の話ではないだろうかと、今回書いたようなことを考えながら読んだ。あまりこの本に対する気の利いた感想文にもなっていないし書評にもなっていないけれど、少しでもこの本に興味を持ち、買って読んでもらえたらうれしい。とても面白い本です。

内容とは関係ないが、パリの落書き。有名な人のものか、その偽物かは不明

Creator

サイトウナオミ

地図描き/ふやふや堂店主。群馬県桐生市出身。東京・京都を経て2012年秋より再び桐生市に住む。マップデザイン研究室として雑誌や書籍の地図のデザインをしながら、2014年末より「ちいさな本や ふやふや堂」をはじめる。桐生市本町1・2丁目周辺のまちづくりにも関わり始める。流れに身をまかせている。