Column

追憶の東京〜地図のような文章〜
その2 駒込

サイトウナオミ

大学1年の夏の終わりくらいから、神保町の喫茶店でアルバイトを始めた。帰りは御茶ノ水駅から総武線に乗り、秋葉原駅で山手線か京浜東北線に乗り換えてKビルに帰った。

まっすぐ帰るときは京浜東北線で上中里駅へ、寄り道するときは山手線で駒込駅で降りた。
因みに当時の神保町には、夜営業している飲食店はほとんどなかった。御茶ノ水の駅前にはいくつか居酒屋やプロントなどがあったが、学生が1人で飯を食べられるようなところは、ほぼなかった。

駒込駅には上の出口と下の出口があり、上の出口は本郷通りに出る。そのまま本郷通りを北に上っていくとKビルに着く。本郷通りは大通りなので歩いていてもそれほど面白くはないし、ちょっと遠回りになる。なのでもう1つルートでKビルに帰ることが多かった。

駒込駅の下の出口を出てちょっとした商店街(養老の滝、駅前によくある感じの本屋、時々中古のプレステのゲームを買った中古ゲーム店、酒屋などがあった)を通り、本郷通りを横切って商店街の隣の道を通り、路地を上がっていくルートである。最後に少し薄暗い坂を通ったような気がするけど、それもまた東京らしいような気がして好きな道だった。本郷通りを横切ったところには、もう1つの最寄の庶民的なスーパーがあった。「エネルギースーパーたじま」という名前だった。さっき調べたら、まだ地図に載っていた。

その駒込駅の下の出口を出たところのちょっとした商店街の中には、「大番ラーメン」というラーメン屋があった。大番ラーメンは、東京の駅前によくあるラーメン屋という感じの狭い店だった。カウンターだけだったかもしれないし、もしかしたら2人が向かい合わせで座るくらいのテーブル席もあったかもしれない。メインとなる醤油味の大番ラーメンが350円!と、とにかく安い(当時吉野家の牛丼も400円はしていた)。白い背脂が浮く醤油ラーメンで、決してしつこくなく、あっさりとしていてうまい。セットでチャーハンを付けたり、角煮ライスやカレーを付けたりしても500円か600円くらいだった。

もちろん常にお金はないので、ほとんどの注文はラーメンのみだった。毎回ラーメンだけだと申し訳ないと思い、時々つけめんを頼んだりセットを頼んだりしたが、シンプルにラーメンが一番おいしかった。気をつけないと、毎日でも寄ってしまいそうになる店だった。

大番ラーメンの店員さんは、途中からあるお兄さん1人になった。おそらく韓国の方で、友達であろう人と知らない言葉で話していた。そのお兄さんになってしばらくしてから、カウンターに少し湿った感じの唐辛子粉のようなものが置かれた。それを入れるとただ辛くなるだけでなく、スープに旨味が加わった。その後、他の店でも似たようなものがあり試してみたが、だいたいはただ辛くなるだけで、あれほどおいしくなるものには巡り合えたことはない。

後日談。1年くらい前に駒込へ行く機会があったので、20年ぶりくらいに大番ラーメンがあったであろうところに行ってみた。期待はしていなかったが、やはりまったく別のラーメン屋になっていた。もう二度と食べられないと思うと、あの頃に食べた大番ラーメンは、記憶の中で一番美味しいラーメンとして輝き続けることになる。

駒込にも上中里にも、他に美味しい店があったのかもしれないけれど、その当時の僕は大番ラーメンや謎のおでんや、蕎麦屋/中華料理屋でお腹を満たしていた。大学3年の春から大学の近くに住むことになったので、Kビルでの暮らしは2年間で終わりを迎えた。離れてからは、ほとんど駒込・上中里に来ることはなかった。時々、大番ラーメンのことやKビルのことを懐かしく思い出す。

Creator

サイトウナオミ

地図描き/ふやふや堂店主。群馬県桐生市出身。東京・京都を経て2012年秋より再び桐生市に住む。マップデザイン研究室として雑誌や書籍の地図のデザインをしながら、2014年末より「ちいさな本や ふやふや堂」をはじめる。桐生市本町1・2丁目周辺のまちづくりにも関わり始める。流れに身をまかせている。