Column

走る 続く 天秤にのせるもの

PEANUTS BAKERY laboratory

趣味と休日

昨年11月、41歳にして趣味を持つことが、ふいに人生に飛び込んできた。それは、走ることだ。

半年ほど前に、パン屋の大先輩から趣味を持つことを強くすすめられた。そのことが仕事をしている自分を助けることになるから、とにかく仕事以外にやるべきことがあるほうが良い、と。それまで趣味と呼べるものは何もなくて、「休日はボーっとしているの?」と言われるくらいだった。今となっては、休日に何をしていたのか思い出そうとしても浮かんでこない。

しかしその時は全くピンとこなくて、深く意味も考えるわけでもなく、ただその言葉の重みだけが身体のどこかに残っていた。

朝起きてラジオをかけながら洗濯物を干し、部屋を片付けて自転車をこいで買い物に行き、食材1人分を何日か分買って帰ってくる。予習や復習が必要ならば紙に書き、人が足りない日は当たり前に休みを返上して働いて、それ以外は体力を温存するために静かにしていたかったし、休みの日にわざわざ運動するなんて発想もなかった。そんな日々を繰り返していたら年月はあっというまに過ぎていた。走ることを始めるまでは自分のそんな生活を「好きなことを充分できているのだからいいじゃないか」と思って疑わなかった。

自由な生活時間の中で唯一長く続いている好きなことは、ヨーロッパでつくられた古い時代の器をこつこつと集めること。お気に入りの古道具屋に何時間も滞在し、銘柄や作家を問わず、背面に小さく記されて年代や国名から、私だけの愛しの器をみつける。店から出ると何故だか自分の中の自信が復活し、何の重荷もしがらみもない「何者でもないただの私」に戻れる気がした。

2月友人に送ったパン便セット

「走ってみようかな」

時間に束縛された生き方から、自分の時間で生活をするように軸足を移したものの、トントンとサクセスストーリーが幕を開けるわけではない。試行錯誤を繰り返していたある日、突然「走ってみようかな」と思った。

一旦思い始めると、すぐにやってみたくなるしそのこと以外考えられなくなる性質なのだけれど、道具や場所を選ばないランニングは、思い立ってから数日後に始めることができた。

アスファルトの車道脇ではなく、走るのにちょうど良い川に沿った長い芝生と石畳の遊歩道と、ランニングに必要な衣服や靴一式が揃う店が家の近くにあったことが幸運だった。

休日に走り始めたら、すぐ夢中になった。

初めの何回かはもちろん苦しくて身体の贅肉の重さや揺ればかりが気になったけれど、数回過ぎた頃には「もしかして私に向いているのではないか」と思い始めた。その頃には呼吸の辛さよりも、走り終わった時の満足感や気持ちよさの方が圧倒的に上回っていた。

成人してからの健康診断で、脈拍測定の度に脈拍が遅く洞性徐脈(スポーツ心臓)と診断されてきた(走ることに対して心臓の筋肉が発達しており、1回の拍動で大量の血液や酸素を体内に送ることができるので疲れにくくなる)こともいい方に転がっているのかもしれない。

2kmを超えるまでは大抵足が重く呼吸も苦しいが、ある地点まで走り続けると身体的な苦しさから解放され、それにつれて頭の中は空っぽになり古道具屋で集中して1枚の皿を選んでいた時のように「何者でもないただの私」に戻ることができる気がした。心の中の不安も暗さも抜けて、かといってとても意欲的に元気になるわけでもなくて穏やかな凪の状態に。

今のペースはだいたい休日、1週間に2回、30〜40分走る。距離にしたら5km。3ヶ月経過した今月から500mだけ増やして5.5kmにしている。

2月の月間走行距離は50Km

天秤にのせるもの

頭で理解することと身体で理解することは違うと聞くが、走り始めて自分自身が定期的に「個」に戻る時間をつくることにより、会社員をしていた3年前までは想像なしえなかった、ものの捉え方をし始めている。

「趣味を持つこと」って「個に戻る時間を取り戻しなさいよ。天秤皿の片方が仕事なら片方にもとにかく同じくらいに楽しめる何かのせときなさいよ」ということなのかと解釈している。どちらか一方じゃだめなんだ。

私には、それが古皿探しとランニングにあたるのだと思う(無名性であり競うものではない、というおもり)。走り始めてまだ3ヶ月。今何か具体的にうまくやれているのか?と聞かれたら特にやれているわけではない。ライフワークのパンを焼くことですら、たった2年しか経っていないのだから。

今の自分にとって、残りの人生を使い切る間際まで「パン焼き」(仕事)と「ランニング」(趣味)の両方を損ねることなく続けられていたら、と想像した時にそれ以上の事は望みはないがとても幸福な気持ちになる。

Creator

PEANUTS BAKERY laboratory 長谷川渚

1980年生まれ、神奈川県秦野市存住。パンを焼き、菓子をつくり、走る人。開業準備中。屋号は幼少期から常に傍らに居続けるSNOOPYのコミックのタイトル、及び秦野市を代表する名産物である落花生から。「laboratory=研究室」というと大袈裟な聞こえ方だけれど、かちっと決めてしまいたくない、常により良さを求めて試行錯誤する場所、自分でありたいという思いを込めて。