Column

風向きが変わりはじめてる

PEANUTS BAKERY laboratory

あれ、と違和感を感じたのは昨年の夏のランニング中だった。その前の夏はランニングを始めてまだまもなくて朝から30℃近い気温の中を走ることがほとんど出来なかった。1年たち、少しは体の機能が進歩したのか暑い日も練習と呼んでいいくらいの走りは出来るようになった。暑すぎる日はプールで泳いだ。

いつからこんなに暑くなったんだろう、走りながら何度も思った。振り替えれば、働きはじめてからこの約20年は、こうして夏の最中に1時間も外に出ることがほとんどなかったと思う。職場も家も店も移動に使う乗り物も行く先は当たり前に冷房が効いているから、いくらニュースで最高気温を更新したと報道されていても温暖化の文字を目にしても、ほんとうにはわかっていなかった。

子どもの頃、夏休みに毎日のようにプールや海で遊んだりとしょっちゅう外で太陽を浴びていた時以来に、この期間は外で過ごしていた。子どもたちが外に出られなくなっちゃうな、夏は楽しい外遊びがたくさんできるのに建物の中で過ごすようになってしまうのはかわいそうだな。

その頃からだんだんと買い物に出かけると選ぶものが変わっていって、あんなに好きだったポテトチップも袋がすぐゴミとなりゴミ箱の中でかさばるのが気になって手に取らなくなり、風呂場のシャンプーとボディソープも洗顔フォームもひとつで用途がまかなえる全身シャンプーに変わった。

これもまたランニングをしていたある日のこと。平塚から江ノ島へ向かう長いビーチサイドコースを往復した後に、浜辺のウッドデッキに腰をおろして「この時を待ってました!」とワクワクしながらお弁当を広げて、まずゆでたまごをひと口かじり、平らになった断面に塩をふってさぁもうひと口、というところで右肩に後方から何かにどん!とどつかれて右手にするどい痛みがはしり手を見ると、指の付け根が三角に切れて血が流れ、砂浜にゆでたまごの白身が一部落ちて前方に鳶が飛んでゆくのが見えた。

まずいちばん楽しみにしていたタンパク源を奪われた悲しみにガッカリしてしまったが、そのあと湘南では鳶に人間の食べ物が狙われるのは昔からなのに、全く油断してのんきにニコニコしてた自分におかしみがわいてきた。鳶はあたりを旋回してだいぶ離れた鉄塔のてっぺんに止まっている。水道で傷口を洗い、めげずに鳶からは目を逸らさずにスコーンを食べたが今度は大丈夫だった。鳥もお腹を満たせただろうか。顔や目をやられなかったのが幸運だったが、一体なんでおいしいものを手に持っているのがわかったんだろう。遠くから狙い定め、ピンポイントでたまこだけを奪い去っていったのだからすごい能力。

怪我をしたにもかかわらずに最後には何故だか久々に爽快な気持ちにさえなった。人間だけの生ぬるい世界が引き裂かれ、自分がただの自然の一部として存在している実感をこの時たしかに感じていた。

休日の前夜に肉を買い、夕食に食べることが食事の楽しみのひとつだった時期があるが、肉を買うことがなくなってしまった。いつからか腕に止まった蚊さえも手で払うことしかしなくなっているのに、動物を自分で狩猟からできるのか、いやできないな、そんな思いがスーパーの肉売場の前で心をよぎるようになってきたからだ。

何かの主義とか動物愛護とかではなくてこの何年か野菜中心の食生活を送っていくうちに自然とホールフードで身体に取り入れることが当たり前になっていったからではないかと思う。きのことか果物、豆、海藻、小魚は野菜と同じ理由で取り入れ易い。極地の生活でそれを食べなければ、生きていけないということではなくて選択肢は無数にあり何を食べるか選ぶ自由がある国に生きている。

健康な体にずっと憧れていた。その時欲していたのは、単に体の不具合を気にせず仕事に100%打ち込むためだけの身体だったから、具合が悪くなったらがんがん薬を飲んでカフェインたっぷりの炭酸飲料を飲んで無理矢理0から100にもっていくような暮らしを長く続けた。とにかく体調が平均より下がらないように仕事以外では静かに、はめをはずさず変わったことをしないように意識的にして過ごした。果たしてそれは健康な状態といえたのか。

昨年末の千葉で行われたマラソン大会では、コースのいたる所にランナー達を撮影する写真屋さんが待ち構えていてシャッターを切り続けていた。後日自分の写っている写真をピックアップして購入できるのだが、その10数枚には身体の芯からその瞬間を楽しむいい表情をしている私が写されていた。必死に走っている写真ももちろんあったが、何枚かは手を振ったりピースサインするなどやたら陽気だった。こんな素直に無心に笑ってる自分が存在することに驚きと、よかったね、と自身を俯瞰し愛おしく感じる気持ちになった。あの、心がそのまま出ているようないい顔は一体なんなのだろう……。体は限界に近いはずなのに。

体の上に心がのっかっている、とヨガで教わった(心は体のあとについてくる)。当時はふーむ?と思ったが、あのマラソン大会の時の写真のことを思い返すと、その時の体の状態に反応してあのいい顔が思考より先に飛び出ちゃってる。そういうことなのかな?

石川の地震、世界で続く戦争、自分の未来、地球の未来、どう折り合いをつけていくべきかわからない。祈りを形に変えられるならば、と初めて自分で信頼のできそうなところを調べ二箇所を通じ、災害義援金を捻出した。

未来の子どもたちも空を飛ぶ鳶も、牛も豚も石川の被災した人たちも私と同じなんだ、って意識が急激にすごく強くなってきて、その思いは切り離せないものになってきている。

10代の時からたびたび北山耕平さんの『自然のレッスン』を読み返し、教えとして蓄えられていた内容を今、実感を伴いながら深く反芻している。ばらばらのように感じていた事象が全て関連性を持って、ひとつに頭の中で目眩がしそうな勢いでつながろうとしていている。

それぞれの問題について本などで調べて掘り下げていくよりも、今は思考より速く反応できるような〈強い体〉をつくりたい。体に体感させて浮かんできたことだけが私にとって信じられることかもしれない。

頂上に立つことはあまり目的ではない

今年は初っ端からの羽目を外している。真冬の2月、慣れないながらに息を切らしながら山を駆け登ったり岩(これは人工)を登ったりしている。

Creator

PEANUTS BAKERY laboratory 長谷川渚

1980年生まれ、神奈川県秦野市存住。パンを焼き、菓子をつくり、走る人。開業準備中。屋号は幼少期から常に傍らに居続けるSNOOPYのコミックのタイトル、及び秦野市を代表する名産物である落花生から。「laboratory=研究室」というと大袈裟な聞こえ方だけれど、かちっと決めてしまいたくない、常により良さを求めて試行錯誤する場所、自分でありたいという思いを込めて。