ここ数ヶ月で予備校時代の友人や後輩に会う機会が多くあった。数年ぶりの再会もあれば、20余年ぶりの再会もあった。
以前ここでも書かせてもらったが、予備校の友人たちは個性的な人たちが多く、大学受験は苦しくもあったが、夢や目標に向かって日々を過ごしていた。志望する大学・学科に進むことができた人もいれば、受験の時点で挫折する人もいる。私は大学受験という点では挫折組だ。
しかし胸に希望を抱き学生生活を始めたが、大学や社会へ出た後に様々な経験をする中で、それぞれ予備校時代に抱いていた目標とは違った道へ進む人が多くいる。一部の友人より聞いた話なので全てではないが、現実と向き合うなかで新たな価値観や目標を見つけたのだと思う。
そう思うと私は大学受験には失敗したが、やりたかった陶芸の道に進むことができ、26年間陶芸に携わり続けてこれたのは幸せなことのように思う。
一度だけ陶芸の道から離れようと思った時があった。それは最初に勤めたメーカーを退職すると決意した時だ。世の中はバブル崩壊以降相変わらず不景気で、なかなか先の見えない時だった。11年勤めた会社で、なかなか思うような仕事もできなくなり、仕事のやり方がマンネリ化する状況を打開したく退職を決意した。ただその後のことを全く考えていなかった。
退職後のことで悩んでいた時、ふと陶芸から離れるのもありかなと思った。そして木工の世界へ進むことを考え始めた。実は陶芸を志す前は、インテリアや家具のデザインをやりたいと思っていた。そこで岐阜県の飛騨や長野県の木曽にある木工の学校を調べ、見学へ行こうと思っていた。
しかし退社の時期が6月末で、実際に通うとなると半年間時期がずれる。退社から木工の学校へ入学するまでの期間をどう過ごそうかと悩んでいる間に、名古屋の会社よりお誘いを頂き、木工への道へ進むという選択は無くなった。今思えばあの時思い切って木工の道へ進んでいたらどうなっていたのだろう。
予備校の友人はそれぞれ大学に進んだが、私は2浪しても大学へ進学はできなかった。それは自業自得なのだが、今までなんとか諦めずに陶芸に携わり続けることができた。ただ続けること、どの様なカタチでもいいから陶芸に関わることができればと思ってきた。産地メーカー・大手洋食器メーカー・業務用食器を扱う商社を経て、今は自身のブランドを立ち上げ、うつわの制作をしている。
居場所や立場は変わったが、有難いことにひとつの業界に居続けることができた。ひとつの業界の中でそれぞれ規模や所在、会社の立ち位置などが違うことで様々な経験をすることができた。そして今なお貪欲に、うつわづくりに取り組んでいる。
陶芸を学んだ多治見市陶磁器意匠研究所でお世話になった先生に、卒業時に言われたことが今も私の中に残っている。それは同期の友人を短距離走者に例えた後、「お前はマラソンランナーだ。焦らず地道に走り続けろ」。
私には突出した才能やセンスは無い。他を押し退け一気に先頭に立つほどの力も無い。地道に一歩ずつ前へ走り続け、その都度得られる経験や知識を礎に、少しずつ変化しながらうつわづくりを続けていきたい。