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自分らしさが無いことにコンプレックスを
初めましてkobayashi pottery studioの小林俊介と申します。群馬県太田市でうつわの製作をしています。まず第1回目ということで、自己紹介も兼ねて、普段製作をする上で付きまとう「個性」についてお話ししたいと思います。
幼少期より図画工作が好きで、粘土でロボットをつくって遊んだり、土を丸く固めてピカピカに磨いた泥団子をつくったり、プラモデルをつくったりと、とにかくモノをつくることが好きでした。高2になり進路を考えなくてはいけない時、迷うことなく美術系大学の受験を選択しました。しかし決して勉強ができるわけではなかったので、浪人をすることになるのは当然の結果でした。
高校卒業後、美大受験の予備校へ通うことになるのですが、そこで同じように美術大学を目指す同年代の仲間達と出会いました。その仲間たちは皆個性的で、小中高校時代に接してきた同年代の友人とは全く違っていて、ただただ圧倒される日々。
ロン毛にライダース姿の人。自転車好きで、夏に三国峠を超えて日本海を目指そうとした人。小さなイタズラをする手先が器用な人。公園の落ち葉を集め焼き芋を始める人達。真っ赤なパンツや真っ赤なコートを着こなす人、、、。
普段の何気ない会話のやり取りにもそれぞれの個性がぶつかり合うような感じで、まるで演劇の舞台やスポーツの試合を観覧するよう。自分はというと、なかなかその輪に入れず観客としてそこにいて、目の前で繰り広げられる掛け合いを見て笑っていただけでした。
デッサンなどの課題でもそれぞれ個性があり、鉛筆のタッチや構図、それぞれの課題に対し彼ら彼女なりに表現。またそれぞれ将来への目標を持ち、その目標に向かうためにどのようなことをすべきか、何を今吸収すべきかなど、立ち居振る舞いや見かけ以外にもそれぞれの個性がありました。
この頃から同年代の友人の中で、自分と他の人達の違いや個性というものを意識するようになり、服装や行動のみならず予備校の課題や将来への目標など、自分らしさが無いことにコンプレックスを持ち始めていました。
陶芸の道に進み始めてもそのコンプレックスは無くなることはありません。作品をつくる時も特に何がつくりたいか、何を表現したいかというものはなく、暗中模索状態。まわりは、各々が陶芸と向き合い表現しているのを見ていると、ただ焦りもがいていました。
デザインをするということ
岐阜県瑞浪市にある陶磁器メーカーへデザイナーとして就職。デザインの勉強はしていませんが、会社の上司や多くの方の力を借りながらなんとか手掛けた商品は、それなりに売れていました。デザインをするということは、作品づくりと違いメーカーの扱う素材や製造ラインの影響を受ける。それ以上に使い手の好みなどが大きく影響する。そうなると、自分自身の個性とは全く違うところで物づくりをすることになると考えていました。
ある時、私の手掛けた商品を見た他メーカーのデザイナーに「小林君らしいね」と言われました。ただ使い手のこと、会社のことを考えてデザインし、如何に自分を押し殺してデザインするかを意識して仕事に取り組んでいたので、この一言は思いもよらない言葉でした。
個人作家の作品制作は、作家の内なる想いを表現することで、作品の姿・形ができており、デザインは、使い手や企業の意向や判断に左右されます。就職してからは、まず使い手の生活を想像し所属する企業の方針を考慮していたので、今まで悩まされていた個性というものを意識する必要がありませんでした。
私自身の考える「個性」を見つける
多治見市陶磁器意匠研究所をいうところで陶芸を学びましたが、その研究所のロクロ課題で“切立湯飲みを100個つくる”というものがありました。同じ形・サイズ、同じ道具・土を使って、各々が100個湯飲みをつくる課題です。これは「同じものつくる」という技術的な課題なのです。ある時、研究生それぞれがつくった湯飲みが棚に置いてあるのを見ると、誰がつくったものかが分かるようになりました。皆同じ図面をもとに同じ湯飲みをつくっているはずなのに、それぞれにつくり手の個性が見て取れるのです。この経験は、個性について悩んでいた私自身にとってとても印象的なことでした。
世の中には多くのうつわがあり、作家がいます。つくり手はつい他に無いものをつくりたくなるところがあります。そのことを決して否定することはありません。ただ私自身がうつわをつくる際、使い手の暮らしなどを想像し、できる限り余計なものを省くようにしています。それはデザイナーとしてうつわづくりに携わった頃のつくり方と変わりません。私自身のフィルター、私自身の手からつくるものには、どのような物にも私個人の個性があると思っています。特にある程度年齢を重ね色々と経験し、多くの方達と接し価値観に触れてきたことで、私自身のフィルターもグレードアップというか進化、変化してきています。
そうして私自身から生まれるモノには、必ず私らしさが現れるということです。ということで、私がうつわをつくる時は、常に自分自身と向き合うようにしています。私自身が納得して決めたモノやコトが、私自身を映し出していると思っています。