Column

北の国へ Part2

kobayashi pottery studio

北欧ブーム

私のつくるうつわは、「北欧っぽいね」と言われることが多い。それもそのはず、私は北欧デザインが好きだ。

企業で勤め始めて数年後、世の中はまさにデザインブーム。〇〇デザインやデザイン〇〇など、ありとあらゆるモノやコトに「デザイン」という言葉がついた時代。私も一応デザイナーという職種についていたのでその影響を受け、陶磁器以外に家電や家具、建築などのデザインに興味を持つようになった。そして当たり前のように海外のデザインにも目を向けるようになった。

勤めていた会社が、所在する市内企業数社とドイツ・フランクフルトで毎年2月(当時は2月と8月の2回)開催される国際消費材見本市『フランクフルトメッセ・アンビエンテ』に出展した。私はそこで初めて、ドイツ・フランス・イタリア・アメリカ・イギリスなど、海外のデザインに直接触れた。そこでフィンランドをはじめとする北欧のデザインを目にした。当時日本では北欧ブームが始まった頃で、池袋西武にイルムスがオープンして話題になった。

2003年、はじめてのフィンランド

素朴でどこか愛らしく、主張しない。そんなフィンランドデザインに惹かれ、いつかフィンランドへ訪れたいと思っていた。そんな夢を抱いていたが、意外と簡単に叶ってしまった。

2003年、『フランクフルトメッセ・アンビエンテ』に出展の際、若手社員に勉強のためと搬入搬出要員も兼ねて現地へ行くことになった。展示会期間は5日間。期間中ずっと会場にいても役に立たないということで、別の箇所へ研修という名目で行くことになった。私の他、他企業の社員4名でどこへ行くかは決めていいということで、全員一致でフィンランドへ行くことが決まった。

当時岐阜県では、県内の企業と海外のデザイナーとのマッチングする事業を行なっていて、フィンランドとも交流があった。フィンランドの陶磁器メーカーであるARABIA。本社の敷地内にはヘルシンキ工業芸術大学(現・ヘルシンキ芸術デザイン大学)があり、岐阜県はこの大学とも交流があった。フィンランド研修旅行は1泊2日と短かったが、この大学の教授のおかげでとても有意義な旅行となった。ARABIAの工場内やショールームの見学。ヘルシンキ工業芸術大学見学。トンフィスク工房訪問。(※トンフィスクとは、当時日本国内のインテリアショップでも取り扱いがあった陶磁器デザインブランド)とても有意義な旅行ではあったが、残念なことに街を見学する時間がなく、少し心残りがあった。

ARABIA本社
ARABIAのショールーム

『かもめ食堂』とフィンランド

その後フィンランド熱は冷めかけたが、2006年、フィンランドへの想いが再燃する。映画『かもめ食堂』が公開。フィンランド・ヘルシンキを舞台にした映画だ。この映画を見た私は再びフィンランドへ行きたい想いに駆られる。とはいえそう簡単に行けるものでもない。

がしかし、今回も意外と簡単に叶ってしまう。陶磁器デザイン協会という団体があって、何周年だったか忘れたが、記念特別事業で「北欧旅行」が企画されていた。私は協会員ではなかったが、知り合いを通じてこの旅行に誘って頂いた。この旅行は、スウェーデン・ストックホルムとフィンランド・ヘルシンキの2都市へ行くというプラン。

しかしこの旅行で私は大失態をしてしまった。旅行初日の夜、腹痛にみまわれ、ストックホルム観光は移動のバス内で寝込んでいた。その後2日半、ヘルシンキへの移動も含めほぼ寝込んでいた。旅行3日目でようやく腹痛もおさまり、旅行に復帰できた。

この旅行では自由行動時間取られていて、ヘルシンキ市内を見て回る機会があった。もちろん行き先は『かもめ食堂』の撮影で使われたカフェ『カハヴェラ・スオミ』へ。入り口には『かもめ食堂』の名前が撮影当初のまま残っていた。カフェの入り口にカメラを向けていたら、店内にいた現地の人が物珍しそうに私たちにカメラを向けていた。他にも映画の撮影場所となった『ハカニエミ・マーケット』などにも行った。ちょっとした聖地巡礼。

『かもめ食堂』の撮影で使われたカフェ『カハヴェラ・スオミ』

この旅行ではもう1つ大きな出来事があった。ヘルシンキ初日の夕食はラップランド料理が食べられるレストランだった。そこへサプライズで元マリメッコのデザイナーである石本藤雄氏が合流した。当時ARABIAのアート部門に所属し、陶芸家として活動していた。

食事会で、友人の女の子が石本氏に「マリメッコに行きたい」となかば強引にお願いをしたら、「明日の午前中なら時間が空いてるからいいよ」とまさかの快諾。翌日希望者5名と石本氏とマリメッコ本社へ訪問した。全くのアポ無しなのにマリメッコ本社へ入るなり石本氏のおかげでVIP待遇。ショールームと工場内見学をさせて頂いた(※さすがの石本氏の力でも、工場内の撮影は許されなかった)。デザイン室や過去のデザインのシルクスクリーン保管庫。実際の印刷工程を見せてもらった。とても貴重な体験だった。

3度目のフィンランド

もうこれで当分フィンランドへ行くことはないだろうと思っていた。が、2011年3度目のフィンラド旅行へ行くことになる。

1回目のフィンランド訪問の際、当時ヘルシンキ工業芸術大学の学生だった日本人の女性・加藤さんが通訳として同行してくれた。その加藤さんが2回目の旅行の時は日本に帰国していて、旅行の企画を手伝ってくれていた。私にとっては思いがけない再会だった。彼女はヘルシンキ滞在時に知り合った方と結婚していて、旦那さんも日本で暮らしていた。しかし彼女たちは数年後、フィンランドへ移住してしまった。

加藤さんたちが日本滞在時、交流があった私の友人夫婦。その友人夫婦の誘いで3度目のフィンランドへ行くことになった。

この旅行では、ヘルシンキ市街に住む加藤さん宅で滞在させてもらった。また旦那さんの弟やお母さんの家も見せてもらった。海外に住む人の家を訪れる機会はなかなか無い。お母さんの家に行った時、部屋の至る所に照明があった。冬、日の短いヘルシンキでは、照明にこだわるという。机の上の丸い照明は、太陽を感じたいという思いで置いているそうだ。フィンランドではポピュラーな照明だといっていた。

旅行は4月末から5月初めだった。5月1日はメーデーで、ヘルシンキではこの日は町中で春の訪れを祝うお祭りとなる。詳しい由来は忘れたが、とにかく街中がお祭り騒ぎになる。至る所で人は集い・踊って・呑んでと大騒ぎ。私たちが訪れた公園では、大音量で音楽が流れ、皆踊っていた。

友人もその輪に入り、見知らぬフィンランドの若者と踊っていた。確かお酒はまだ呑んでいなかったはず。フィンランド人は恥ずかしがり屋でおとなしいイメージだったが、それはどうやら違ったようだ。

現地の若者とはしゃぐ友人

帰国前日加藤さんは仕事の為、旦那さんが一日街を案内してくれた。日も暮れる頃、郊外にある小さな島へ連れて行ってくれた。島といっても橋が掛けられ、徒歩で渡ることができる。その島はセウラサーリ野外博物館といって、島の中に古い建物が点在していて、フィンランド木造建築物の博物館。しかし、島へついた頃にはあたりは暗く、照明はあったが建物はほとんど見ることができなかった。

セウラサーリ野外博物館

フィンランドを初め北欧デザインに惹かれて、憧れたフィンランド旅行。三度訪れたヘルシンキだが、自らの意思とは別にその時の流れで旅行したような気がする。首都とはいえ1日で回れるくらいの街ヘルシンキ。ゆっくりと散歩しながら気になる店に立ち寄ったりして、街の空気を感じながら街ブラしてみたい。そして今度はヘルシンキ以外の街にも行ってみたい。

Creator

kobayashi pottery studio 小林俊介

群馬県太田市出身。美濃焼の産地である岐阜県多治見市で陶芸を学び、陶磁器メーカーでデザイナーとして従事。2018年、地元太田市にてkobayashi pottery studioを設立。「暮らしに寄り添ううつわ」をコンセプトにうつわの製作をしている。