Column

痴で覆の気になる口跡

佐藤一花

今回の煩悩は、6つの根本煩悩である痴(ち)の中の覆。
痴は、真実がわからない。
覆は、都合の悪い事、負い目を隠そうとする。

川久保玲の言葉から考えること

先日、コム デ ギャルソンでパタンナーをしていたソウルメイトな友からの連絡で、TVを録画。そのニュースでは、川久保玲が普段なら絶対受けないショー後(コム デ ギャルソン2021S/Sコレクション)のインタビューを受けていた。
その中で
「今は前を向くしかない、皆がそれを其々で持てば、大きな希望になるのでは」
「悪い状況に慣れることの方が危険、今の状況を反動に、強く前に行くパワーが必要。反骨精神」
とシンプルな回答をしていて、重篤にグサッと刺され、盛大なる勇気元気いわきを頂いた。

そこからが今回の始まり。
実際本人の真実か知らないけど、その言葉のパワーは無限で、ここ最近の他人を気にしてやらないといけない環境や、覆い尽くされた感じを吹っ飛ばしてくれた。
心の負い目どころか隠そうともせず、真っすぐで、キリッと後味良好。
そんな言葉って、最&高。
文化人枠パンクな人達の強さに、切々と心を救われているのよね。
過去現在未来も同じで。
自分が強いとか弱いとかよく分からないけど、ひとつ隠すことをしない方がいいんだと思っている。ここ数年と半年位。それで互いにズレ込んで、一瞬で無くなる関係性も学んだし、嘘をつかれていることに気づかないふりすることも学び。だけれど胸熱な先人たちのパンクな言葉により、多方面から勝手に勇気つけられて、うれしさ満点に立ち戻る。
ふと、それをきっかけに思い立ち直せば、川久保さんからはファッションという一面だけでなく、多分に今のオフィスアートレディに至るまで、遠巻きながら影響は受けていたと思っている。
就活でギャルソンも受けましたしね、モチ不合格。(余談中の余談)

芋中学生の頃、古着やヒステリックグラマーMILKでパヤパヤしていた自分に、ビシッと色々な芸術、モノの見方、美しいとは何か、既存に対する疑問など、それはそれは、自分なりの考えを与えてくれたことには間違いない。
タダの気の強さだけでない、パンクな心も。
昔のコム デ ギャルソンは、コレクションのまんまの服を売っていまして、本当にワイヤーやクッションが入った服をみて、買えて、袖を通せる時代。文化服装学院の地下資料室兼ビデオ部屋で、コレクション映像をみて、買い物に行ける楽しみ。コム デ ギャルソン青山店には、フェリックス・ゴンザレス=トレスや中川幸雄の作品が置いてあり、隠すことなく余すことなく全員に対し鎮座して、迎えてくれる。ど真ん中真正面に受け止めるしかない、楽しむしかない自分を変に隠そうなんてしないじゃないですか。

表面的な言葉と真実

今は、SNSで自分の個性や切り取り跡をご披露できるけれど、それは全体では無いことが多く。
何かを隠そうとしたり、都合のいい部分だけで、私100%でもないし、他人と本当の意味で繋がれるなんて思ってない。
辛うじて、最近違う方向で気にかかる言葉もいくつかあり、たまに母と話すのです。
寄り添うやサスティナブル、絆、丁寧な暮らし等、どこか摩訶不思議な言葉。
フィルターが掛かって、何か霞かけている様で、くっきりしてこない。わからない。
具体的行動やしぐさがみえないけど、ぐっと距離近めなやーつ。
身も蓋もないことを言えば、家族ですら絆があるか不明だし、丁寧な暮らしで環境破壊しようが、パトロンつくって店を東京に出そうとしようが、覆うことなくそれが真実であることも多いかと。

でも、それを出さないでしょう?
ど正面で魅せない。
「美しく、かわいいって言われたいし~共感されたいの!」って、それが煩悩で人なのだけど。
そこを行ったり来たりの人達。
表面の美しさに媚びへつらうことなく、幸せの強要もせず、大人だし~色んな考えの人が居るからね~で済まされる肩すかし戦法より、隠さずでもいいのかなと思ったりしたのです。
「反骨精神」のように。
折角言葉を書く機会を頂いた訳ですし、押忍。
負い目すら隠さず、これからも書いて晒して行きましょう。イッタランカイ。
なんだか真面目な話です。うっかり。
そして、もう少し川久保玲の様に鎮座したい、すっとした感じでね。グサッと行きたい。
自分の中に在る美しきモノと共に、覆わず隠さず、己の真実すらわかるまい。佐藤一花

Creator

佐藤一花

1979年群馬県生まれ。文化服装学院卒業後、アパレル生産管理、販売などを経て、現在のオフィスアートレディ活動に至る。イラスト・コラージュ・立体作品を制作。群馬、東京、埼玉など全国各処で展示を開催。