Column

痴で放逸の奇太郎時間

佐藤一花

今回の煩悩は、6つの根本煩悩である痴(ち)の中の放逸(ほういつ)。
痴は、真実がわからない。
放逸は、わがまま放題。

先月のヘンリー・ダーガーのコラム掲載後、酔っ払ってインスタライブをしていた岡本奇太郎氏にコメントをしたところ、「ダーガーについて対談しようや」ということになった。
※以下、岡本奇太郎:、佐藤一花:

「アレみに行きました?ラフォーレの」

「私その展示がきっかけなんですよ!!」

ダーガーの展覧会がラフォーレミュージアムで開催されたのは2011年。相当な作品量で、ダーガーの実態に迫った衝撃的な展示だった。

「今までみてきた展覧会の中でもベスト10には入るかも。あれだけまとまってダーガーをみれる機会って、我々が生きている間はもうないんじゃないかな」

そんなダーガーの話も早々に、お互いのアナログコラージュの制作方法の話になっていく。

私は完成図がある程度頭にある派だが、奇太郎氏はひとつのメインモチーフからそのつど考えてつくり上げるそうだ。しかし、デジタルコラージュには愛着が湧かないという点は2人とも一緒だった。コラージュをやらない人には「知らんがな!」の話であろう。

しかしこの奇太郎氏、初めて話す人とは思えない。取材慣れしている奇太郎的話術レールに乗っているからか?はたまた、アナログコラージュ繋がりだからか?

岡本奇太郎氏の作品

「色んなアートをみてきて思うのは、コンセプト在りきの現代アートってしょうもないなって。作品自体が持つ魅力より、作家のプレゼンの技術や人脈の方が重要で、業界内をどう立ち回るかみたいな」

「私もそう云うの本気でアレルゲンですね。コンセプトで作品霞む系とか、その中にキュレーションがあり、金が動くのも分かるけど、コンセプトコンセプトしいものがアナフィラキシーなので、草の根撲滅運動していきたいとずっと思っています」

「キュレーションやっている人は、勉強もしてるだろうし別になんとも思わないかな。それよりはアートに対して理解を深めるより、インスタにギャラリー巡りしてる自分を投稿すること自体に必死で、毎度『良き展示!』とか言ってる人たちの方がアレやなと思う。アートに限った話じゃないけどブームになると廃れ方もエグいし、そういう人たちが最近やたら目につくのはちょっと気になる」

「奇太郎さんはどういうアートが好きですか?」

「ダーガーもそうですけど、コンセプトどうこうより、みた瞬間にスゴいと感じるアートが好きですね」

「私も本当にそう思う!単純にアガれるかどうか勝負の血が騒ぐ作品」

ダーガーがアウトサイダーアートの代表格とされる所以と共に、互いの共通項がみえてきた。アウトサイダーアートについては、2001年の三鷹であった『アート・イン・パラダイス』というアメリカのアウトサイダーアートを集めた展示以降、好きなジャンルであった。その作者達の集中力やコンセプトでない処の作品の衝撃・強烈さを感じるアートが、互いに尊きものである事は間違いない。

岡本奇太郎氏の作品

「自分が好きな江戸絵画とかもそうで、奇想天外な発想とか狂気的な集中力とかが単純にヤバいなって。王道的なものや確かな技術力よりエキセントリックなものに魅かれるかな。狩野派よりは奇想派。狩野派なら永徳より山雪。狂ってるほどいい」

「私はニキ・ド・サンファルから同じことを教わりました。アートは技術じゃないって処を言っていて、やはり私も直接脳みそに響くものがいいですね」

アウトサイダーを好む奇太郎氏と、自分のニキ・ド・サンファル思想が重なって逝く。

また今回、「対談記事をまとめたことがない」という私に、奇太郎氏から直前に「こんな感じで」と、林文浩氏と都築響一氏の対談記事が送られてきた。奇太郎氏はDUNE編集長の林文浩氏と生前交流があり、私のアート人生にはキーポインターとなった方だったので、その話もいつか聞きたいと思っていた。その記事を要訳すると、裏原全盛期の藤原ヒロシ氏をユーモアありでディスる痛快しかない記事だった。

「林さんもサービス精神で対談ではあれこれ言ってるけど、自分は世代的にも藤原ヒロシさんにはめちゃめちゃ影響受けましたよ。最近、自分がお茶をやってるってのもあるけど、藤原ヒロシさんって千利休みたいな人やなって。利休が朝鮮半島で全く価値がなかった李朝期の茶碗を、日本ではイケてるレア物みたいに価値をつけたり、ただの竹を切ってシブい花入れに仕立てたり、独自の見立てで何でもないものをカッコよく見せるのって完全に藤原ヒロシやなって思う」

それは本気で凄いぞ、ヒロシ。
兎に角、終始奇太郎氏の言葉巧みさに私は言葉を失ってきていた。私は咄嗟に話の方向を変え、奇太郎氏が作品をつくるようになったルーツを聞いてみる。

「作品をつくるようになったのは、雑誌編集者をしてた時に吉永嘉明さんを担当したのがきっかけですね」

90年代を代表するアングラ雑誌『危ない1号』の2代目編集長だった吉永氏は、5年の間に、奥さん、友人で人気漫画家だったねこぢる氏、仕事仲間で天才編集者と謳われた青山正明氏の3人を立て続けに自殺で亡くし、『自殺されちゃった僕』という本を上梓した。

吉永嘉明氏の作品

奇「『自殺されちゃった僕』の続編を書いてもらいたくて会ったんですけど、その頃は吉永さん自体も重度のうつ状態で。『コラージュをつくってる時だけ自殺したい気持ちを忘れられる』ってつくってたコラージュが山のようにあったんですけど、それに完全に喰らいましたね。それまでアートをみて衝撃を受けたこととかほぼなかったけど、希死念慮を振り払うほどの集中力でつくられたものなんで、さすがにこれはスゴいなって。でも切って貼ってるだけなんで自分でもできそうやなって思ったんですよね」

胸糞を紛らわすようにコラージュをつくるのは私も同じと脳みその隅で思い、自分の中で湧く負の要素をプラスに変換できる作業が絵を制作する事で、唯一の方法なんだろうと今では、思っている。

吉永嘉明氏の作品

「ダーガーの話あんまりしてないけど、もう撮れ高充分やろ!」

3本目の缶チューハイを飲み干した映画監督から、突然の大声めのカット!!!がかかり、ハイお開きに。ありがとうございました。また、真実も分からぬままにわがまま放題やりましょう。

佐藤一花、岡本奇太郎

Creator

佐藤一花

1979年群馬県生まれ。文化服装学院卒業後、アパレル生産管理、販売などを経て、現在のオフィスアートレディ活動に至る。イラスト・コラージュ・立体作品を制作。群馬、東京、埼玉など全国各処で展示を開催。