Feature

「あの頃」で終わらない、
現在進行形のZINEづくり

HIROYUKI TAKADA

「ZINE」という言葉を聞くと高揚感で胸が高まりつつも、なんだかソワソワして創作意欲を掻き立てられる。しかし、少々ファッション的な要素を感じてしまうことも確かだ。では90年代に耳にした「ファンジン」「ミニコミ」という言葉はどうだろうか。手書きの文字でみっしりと埋められた黒々しいページは、ファッション的な要素ではごまかされない、とてつもない熱量を感じる。こっちの方が私の好みだ。

昨年、近隣エリアで90年代からZINEを制作している人物に出会った。つまり「ファンジン・ミニコミ時代」から活動をしている。その人物がHIROYUKI TAKADAさんだ。そして敬意と憧れを胸に抱き、GO ONでの執筆を依頼した。自身のレーベル『different drum records』からZINE『march to the beat of a different drum』を発行しているHIROYUKI TAKADAさんに、ZINEを制作し続ける理由をじっくりと伺った。
※HIROYUKI TAKADAさんとの出会いについてはこちらのコラムに記載している

渋谷系前夜の足利

1992年、TAKADAさんは『PENSE À MOI』というフランス・ギャルの曲をタイトルにしたファンジンの発行をスタートした。フランス語のタイトル、アンナ・カリーナ、ブリジット・バルドー、ゴダール映画、そしてセルジュ・ゲンスブールの表紙。60年代映画がリバイバルされ、カルチャーとして輝いていた時代=渋谷系を彷彿とさせる。

これらの表紙に飛びつく40代は私だけではないだろう。しかも手書きとワープロ打ちの文字が混在し、何千回とコピーされたと思われる写真と文字の掠れ具合。超絶カッコ良いではないか!

『PENSE À MOI』(1992〜95年)

「当時、栃木県足利市の『オペラコミック』(現bar mood indigoの場所)っていうクラブで定期的にDJイベントをやっていたんです。僕たちはネオアコやフレンチポップを流していたけど、ハウスやテクノが強くてなかなか客が入らなかった。だから他のイベントと差別化を図るために、ファンジンの発行をはじめました。イベントの時に、カセットテープを一緒に付けたりして販売しましたね」。

「当時交際していた彼女(現奥さん)と一緒につくってました。一番参考にしたのは、仲真史さん(ESCALATOR RECORDS)がつくっていた『MARY PALM』。レベルの高いものだったけど、僕たちもできるかも!と思ってつくり始めました。好きな音楽や映画のことを自由に書いてましたね。最初はコピーして切り貼りして、コンビニでつくってた(笑)。今これと同じことをやろうと思ってもできないですよね。パソコンがあるから完璧なものに仕上がってしまう」。

『PENSE À MOI』は1992〜95年まで発行していた。スタート時はイベントの付属としてのZINEだったが、次第にZINEがメインとなっていった。約3年の活動をして、まわりの反響はどうだったのか?

「ネオアコを知らない人が多かったけど、イベントを続けることで認知していったと思います。爆発的なムーブメントにはならなかったけど、ZINEをつくって形に残す、ということができて良かった。イベントには僕と同世代の人より、若い人が多く来てくれたかな。佐野、前橋、高崎から来る人もいましたね。もうちょっと『PENSE À MOI』を続けていたら、多くの人に浸透して広がったかもしれない」。

TAKADAさんは1996年に結婚・子育てのため、『PENSE À MOI』の活動を終了した。そんなおもしろいことをやっていて、まわりから復活を望む声はなかったのか?

「そもそも誰かに頼まれてやっていたわけではないので、僕たちがもう一度やろう、と思うまでは、再開する必要はないと思ってましたね」。

足利市のmahler’s parlorにて取材。自転車で颯爽とあらわれたTAKADAさん

1995年というと『カヒミ・カリィのミュージックパイロット』がスタートし、トラットリア・レーベルから『MY FIRST KARIE』、クルーエル・レコードから『I am a kitten』発表された年だ。つまり当時JKの私が、はじめて渋谷系に足を踏み入れた時代である。僅かな差で私は『PENSE À MOI』に出会うことができなかった。当時出会っていたら、きっと両毛線に乗ってこっそりイベントへ足を運んでいたことだろう。

Wikipediaにならないように、感じたことを伝えたい

子育てに余裕がでてきたTAKADAさんは、自身でブログの開設を始めた。次第にブログを通して人との繋がりができ、新たな活動へと進んでいく。

「b-flowerという好きなバンドがいるんだけど、90年代から今の今まで活動しているってことをもっと世に知らせていきたいと思って、私設応援団を立ち上げたんです。それが『ムクドリの会』。のちにバンドをPRするファンジンをつくり始めました。b-flowerのファンが執筆をしていて5号まで発行しましたね」。

編集長をつとめるTAKADAさんはb-flowerの私設応援団『ムクドリの会』終身名誉会長でもある

その活動をしながら、奥さんとともに「僕たちも、もう一度やってみよう」と思い立ち、20年を経て『PENSE À MOI』の続編6、7、8号を発行した。昔と変わらない内容で制作し、2020年3月発行の最終号まで続けた。

『PENSE À MOI』の続編6、7、8号。90年代のものから進化している

1995年と2020年のZINEの違いについて、TAKADAさんの考えを伺った。

「インターネットがあるから、発信したいことを広い範囲の人たちに伝わるようになったと思います。ただ世の中には物知りがいっぱいいるから、今までみたいに勢いだけではできない。ある程度ちゃんとした情報を伝えなきゃいけないよね。昔は狭い範囲にしか届かなかったから気にしていなかったけど、昔以上に、ちゃんとやらなきゃ!という覚悟ができましたね」。

TAKADAさんは自身と同じような情報を発信している人たちと、どのように差別化を図っているのか?

「あまり難しく考えずに、ファーストインスピレーションを大切にしたいと思っています。情報に関して深掘りする必要はないかな。Wikipediaにならないように、感じたことを伝えたい。それと昔以上に、よりパーソナルなことを書くようになったかもしれない。自分の今の気持ちを伝えることで、共感してくれる人はいると思うから、そういうことを強く意識していますね」。

私自身もTAKADAさんと同様、編集において「Wikipediaにならないように」という考えは大いに共感できる。ここ、重要!

自身のレーベル『different drum records』の立ち上げ

TAKADAさんは今まで奥さんと共にZINEの制作をしていたが、2020年に自身のレーベル『different drum records』を立ち上げソロ活動を開始。そして『march to the beat of a different drum』というZINEを発行した。

フリーZINE『march to the beat of a different drum』

「もちろん、今までの要素は含まれています。『PENSE À MOI』からの執筆者もいるし。変わった箇所は、4回分(2020年秋号〜2021年夏号)を連載として書いてもらったことですね」。

『march to the beat of a different drum』は4号で終了しているが、続編や他の活動をする予定はあるのだろうか?

「そうですね、今年の春から活動を再開していく予定です。やらないとレーベル活動にならないからね(笑)」。

「自己満足のようなものは今まで散々つくってきたから、これからは、色々な想いを抱えて生きている人たちにとって、僕が編集した文章の数々が心の支えになれば良いな。それに、たまたま僕のZINEを手に取って読むことで、新しい音楽と出会うきっかっけになったら嬉しいですね」。

TAKADAさんにとって、Webは情報収集のツール、紙のZINEは手に取り全部読んで理解して欲しいもの、という考えがある。実はこの考え方が音楽の聴き方にもつながる。

TAKADAさんこだわりの音楽紹介のコーナーは50文字で各々の思いを綴っている

「僕はサブスクが好きなので、基本音楽はサブスクで聴くことが多いですね。でもWebと同じで、情報収集というか視聴みたいな感じかな。今は音楽の聴き方に選択肢がたくさんある。そういうことで人生が豊かになるのは良いことだと思うけど、それで終わっちゃうのは、もったないかな」。

「今後、考え方は変わっていくかもしれないけど、今は紙のZINEを続けたいですね」と話すTAKADAさん。

その考え方はアナログ思考ではなく、人生を豊かにするための選択肢のひとつという考え方だ。ZINEづくりのキャリアは長くても、時代と共に進化していくTAKADAさんは、私にとって憧れの先輩。そして何よりも最新号が楽しみだ。

今月からTAKADAさんのコラムがスタートするので、ぜひ読んでいただきたい。
■HIROYUKI TAKADA今月のコラムはこちら

取材協力:mahler’s parlor

Creator

HIROYUKI TAKADA

群馬県太田市出身。90年代よりDJとそれに伴うイベント企画、ZINE発行等で活動。最新作は冊子『march to the beat of a different drum』を自身のレーベル『different drum records』より発行(2020年より)。コロナ禍以降の音楽と生活を繋ぐコミュニケーションのあり方を「手に取れる」紙媒体にて「無料配布」で行った。自らの活動と並行して、90年代より活動しているバンド『b-flower』の私設応援団『ムクドリの会』終身名誉会長でもある。