Column

Age of Aquarius

HIROYUKI TAKADA

1月生まれの水瓶座

「誕生月って何か特別なもの」という感覚があるのは、おそらく多くの人が思っているだろう。勿論、僕もそう。「1月生まれの水瓶座」は割と好きな誕生月と星座。だからと言って冬が好きだというわけではなく、「持って生まれたものではないもの」に憧れる(冬より夏の方が好きということ)のは、ある意味自分の性分かと思っている。

水瓶故にため込むことが好き、というのもわかるし、器がいっぱいになったら適度に溢れさせるってのも、ああそれって自分そのものだなって思う。自分は何者でもなく「器(うつわ)」として存在するもの、何で満たすかは器次第であり、溜め込むもの次第で自分も変わるし、変われる。

それこそが自分の持つ特性であり、むしろ喜びでもある。そんな器としての存在は、我ながら悪くない。

The 5th Dimension(フィフス・ディメンション)1969年のシングル『輝く星座/レット・ザ・サンシャイン・イン(Aquarius / Let the Sunshine In)』は、そんな1月生まれの僕にとって自分の星座をモチーフにしたテーマ曲のようなものである。

実際の歌われる内容は、所謂「age of Aquarius(水瓶座の時代)」の到来を告げるといった、どちらかと言えばスピリチュアルな側面の多い歌詞の内容。でも僕にはさほど問題ではなく、単に「Aquarius」が主題となっているだけで自分の気持ちの高揚につながり、充分すぎるくらい自分を代弁してくれる曲と言えるものである。

60年代のコーラスグループは、後に「ソフトロック」としてカテゴライズされていくのだが、The 5th Dimensionはコーラスグループの王道を行きながらもヴォーカルスタイルはソウルフルであったり、サウンドのバリエーションも豊富だったりと、いろいろ聴いていくと実に奥深いグループ。立ち位置がなんとなくセルメン(セルジオ・メンデス)と被るのは、単にメンバー構成からくるものだというのは、個人的な見解であるけれど。

人生を豊かにするために

季節とか生まれた月とか、持って生まれたものとか、自分にとっては割と重要で、それ自体を否定するような生き方はしたくないって思ってる。すべてが良いことばかりでないのは十分承知な上で、それらとどう渡り合っていくのか。捨て去る前にまず受け入れる、そうすることで次に繋がっていける。

冬は好きじゃないってことは、すなわちそれを理解したうえで、夏に憧れを持てるってことに繋がっていく。なんかめんどくさい考え方のようだけれど、これをやらないと次に行けないし、これでいいって思う。

内に秘めるものと、吐き出すもの。器の存在である僕は、つねにその狭間にいるようなもの。音楽との向き合い方もそう。音そのものより、どうパッケージされているかや、どんなフォーマットなのかが重要。サブスクもアナログレコードも、CDもカセットも「何でどう聴くか」が最も大事で、そこからみえるものや感じるものから、常に影響を受けるのが僕という存在。聴こえてくるものは同じでも感じ方が違えば、受け得るものは別物になる。そういった積み重ねが人生を豊かにするのだ。

昨年炎上した小山田の件。僕はあのことに関しては特に何も発信していなかった。彼の音楽に影響を受けたものとして、ああいう炎上の仕方は気分の良いものではない。だからと言って、今まで築き上げてきたものが一夜にして崩れ去るものでもない。わかりあえやしないってことだけをわかり合うって決めてから、胸に仕舞うことにしたからね。だから今でも、これからも、ずっと同じ。支持するとかしないとか、そういう類のものじゃない。大切なものは胸に仕舞うんだよ。器とはそういうものだから。

「小山田圭吾とロディ・フレイムの誕生日に挟まれた僕」っていうのは前からネタにしていて、なかなか悪くないなぁって思ってるけれど、最近になって青葉市子と誕生日が同じってことに気がついて、さらに悪くないなぁと思ってる自分は割と単純で奥が深い。

Creator

HIROYUKI TAKADA

群馬県太田市出身。90年代よりDJとそれに伴うイベント企画、ZINE発行等で活動。最新作は冊子『march to the beat of a different drum』を自身のレーベル『different drum records』より発行(2020年より)。コロナ禍以降の音楽と生活を繋ぐコミュニケーションのあり方を「手に取れる」紙媒体にて「無料配布」で行った。自らの活動と並行して、90年代より活動しているバンド『b-flower』の私設応援団『ムクドリの会』終身名誉会長でもある。