Column

四月になれば彼は
(April Come He Will)

HIROYUKI TAKADA

ものを書くとか何かを作るとか、いつでも身を削る想いでそれに向かわないと、納得のいくものが出来ないんです。だからといってすべてが納得のいく、ベストなものとは到底思えなかったりするけれど。何かを書いた後、作った後で、そこはこうしておけばよかったとか、後悔やら反省点やらがやたらと多い。

そうなることを恐れて何もしなかったら、何にもならないってのはわかってるので、割と考えずに突き進む…そして反省。もうなんか、こればっかり、これの繰り返し。いつまで経っても進歩がない、というか実感としてそれを感じないから繰り返す。

20数年前、自分の関わるナイトクラブのイベント名を『SOMETHIN’ELSE』と名付けたことがある。「別の何か」になりたくて、ジャズのスタンダードから頂いた名称を冠して代名詞にしたのは、いつでもどこでも、異端でいたい旨を刻み込むこと。

当時自分が1番胸を焦がしたネオアコ・マッドチェスターから距離を置き、渋谷系であることを拒み、ロックでは「ない」ことを強調するために。メインストリームに身を置きながら、サブカルを否定し、あらゆる局面に於いて常にカウンターな存在でいたいと願う想い。

結局ずっとこの繰り返し。後悔はたくさんありすぎて、もう何がなんだかわからないくらいだけど。始めては終わる、そしてまた始める。途中、ちょっとした反省やら後悔やら軌道修正を挟むけど、割と気にしないのは、我ながら良い性格だと思ってる。

もうすぐ春。春を待つ季節。季節は巡る。僕の想いも巡り巡って、また巡る。

四月になれば花が咲き、風がそよぎ、空が青くかがやき、くしゃみをして、眼が霞んで、重いコートを脱いで、自転車を漕いで、河原の土手の上を全速力で走って、グライダーをみに行って、彼女と窓全開でドライブして、青い芝の上に寝転んだり、背伸びして、ジャンプして、コーヒーとサンドウィッチ持ってピクニックに行ったりして、レコード買いに行くとか、新しいシャツを買いに行くとか、美術館の屋上に上がってみるとか、とりあえず最上階まで登ってみるとか、電車に乗って降りたことのない駅で降りてみるとか、山に登って風に吹かれてみるとか、まだ肌寒い海を見に行くとか。

やることをやって、やれることをやってみて、そして後悔するのも人生、しないも人生。
違う自分を模索して、それを目指すのも人生、目指さないのも人生。
人と違う道を歩むのも人生、敷かれたレールの上をゆっくりじっくり進むのも人生。

いずれにせよ、春なんだし。

『四月になれば彼女は』(サイモン&ガーファンクル)。

Creator

HIROYUKI TAKADA

群馬県太田市出身。90年代よりDJとそれに伴うイベント企画、ZINE発行等で活動。最新作は冊子『march to the beat of a different drum』を自身のレーベル『different drum records』より発行(2020年より)。コロナ禍以降の音楽と生活を繋ぐコミュニケーションのあり方を「手に取れる」紙媒体にて「無料配布」で行った。自らの活動と並行して、90年代より活動しているバンド『b-flower』の私設応援団『ムクドリの会』終身名誉会長でもある。