Column

「俺がオンラインサロンを始めたら殺してくれ」
(霜降り明星 粗品)

ボンジュール古本

前口上
「俺より人気のある後輩芸人に、自分のグッズを宣伝させているのを見たら俺を殺してくれ」
「俺が作家の書いたネタをやりだしたら殺してくれ」
「じじいになってもずっと同じネタをやりだして、ライブで全くウケなかったら殺してくれ」

大好きな芸人の、単独ライブのネタ中にあった言葉だ。

彼の中でこういった行動は、芸人としての死に値するという考えが垣間見える。
芸人が死んだ方がいい時とは、すべったときではない。
舞台の上にいない時に、かっこいい振る舞いができない時である。

純粋orおたく

やりたくてやっているお笑い、なりたくてなった芸人なのに、ネタ作りがツラく、泥水をすするような生活がしんどくてストレスになり、脱毛症とか鬱病になる芸人もいる。朝の情報番組で、MCの博多大吉氏がこんな話をしており驚いた。

冒頭の彼はどうだろうか?
高校在学中からピンでお笑い芸人を始め大学を中退し、熱望して組んだ相方の事を、周りからは「あんなおもしろくない奴と組んでお前がもったいない」と揶揄されながら活動を続け、M-1グランプリで優勝を果たし、翌年のR-1(ピン芸人のネタ大会)でも優勝を決めて、ドラマやCMにも出演中の大活躍の芸人である。

ギャンブルが大好きで、昨年の出来事だが、3日間賭け事をし続け700万円負けていた。それをSNSで晒した翌日、競艇で大穴を狙い100万円を当てて、その配当金をそっくりそのまま財団に寄付した記録をSNSにアップしていた。
こういう思い切りの良さが、ツッコミのスタイルに反映している気がして、いつ見ても痛快なのだ。

深夜のラジオでも、笑えないタイプの下ネタには「キモいなあ」とはっきり言ったり、関わりのないであろうタレントを敬称略するあたり、迎合しなさを感じる。
今まさに活躍中であり漫才師のツッコミ側としては無双している様子であるが、お笑い以外のこととなると相方もどん引きする程世間知らずな部分があるところも、返って魅力的に見えたりする。
例えば、下北沢の『本多劇場』を知らなかった。
ある種の「擦れてない感」は、無垢ゆえの汚れを寄せ付けないというか、はね返すほどの強い意思を感じとても眩しい。

先日読んでいた本によれば、笑いやユーモアは、脳内にアンフェタミン(覚醒剤)やコカインなどの薬物をキメた時と同じ領域を活性化するらしい。
そういえば芸人の千原ジュニアが「ライブでウケると、脳内に快感物質が溢れてめちゃくちゃ気持ちいい。薬物やったことないけど、そんなものいらない」と言っていた。
劇作家の中島らも氏も自身のエッセイの中で『笑いは中毒』と書いていた。彼は別の物にも中毒だったようだが…。

そもそもハッピーエンドとは

新宿駅で降り劇場へ向かっている時、ホストらしき男性とその同伴をしている女性が一緒に歩いている姿をよく見かけた。
なぜ『同伴』だとわかるのか。
普通のアベックかも知れないではないかと思うなかれ、想像してみて欲しい。

とても相容れているように見えない2人が、間に微妙な距離を保ちながら、おそらく彼の職場である歌舞伎町のホストクラブへ向かって歩いているのだ。
男性は無表情のまま道の先をながめ早足で歩き、女性は一方的に夢中で話しかけている。全く似合っていない派手なワンピースに、ヒールがすり減ったボロボロのパステルピンクのパンプス、手にはルイヴィトンのボストンバッグを引っかけ、20代に見えるわりにハリのない荒れた肌に、てかてかと輝くリップグロス。

全てちぐはぐな歌舞伎町を歩く狂ったお姫様を見て、勝手な想像をしながら劇場まで歩いた。
今は行くことができないお笑いライブのことを考えると、こんな光景ばかり真っ先に浮かぶ。ライブ以外の何気ないことも、自分の中ではなにかしらの刺激になっていたように思えた。
あのお姫様はハッピーエンドを迎えただろうか?現実はその後も続くのだ。

現在2021年4月29日昭和の日、4都道府県に緊急事態宣言発令中

世界中を脅かしているこのような状況も、おそらく数年後には、そんな年もあったという位で、きっと細かなことはどんどん忘れていく。
インターネットを見ていると、コンビを解散する芸人が毎日出てくる。
山ほどいる、知らないネタの見たこともない芸人のことなのに、少し悲しくなる。
人を笑わせたいという共通の理由で意気投合し何かを目指し、苦楽を共にした2人が、どこからか考え方や夢が別々のものになった相方という関係性が終わることに、さみしさを感じたりする。
自分の知っているような芸人は、全体のほんのひとつまみだけと思い知らされる。

だから、いいネタをやり2人のバランスがとれていて、相性の良さのような何かを感じる奇跡みたいなコンビを見ると「この2人が出会ってくれて本当にありがとう」と、何かの巡り合わせのようなものに感謝したくなる。

2人が漫才をしていた証として、解散していった無数のコンビを忘れずにいたいと思う。
しかしながら、私たちは全てのことを、日々忘れていく。