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2020年の「FOR INDEPENDENT GIRLS」
編集長からこの「GO ON」をつくりたいと聞いた時は、あまり驚かなかった。以前よりカルチャー誌そのものや制作について好意的な反応を示していたので、ついに本人がつくる側になったのかと当然のような気もした。ただ周囲の知人たちは、それを仕事にするということを本気にしている人が全くいなかったらしく、私はそれを聞いて少し絶望的な気分になった。
個人がフリーペーパー的な冊子をつくり(Webマガジン等も)、それを店頭などに置き、手にとって読んでもらう。つくった人は、媒体に掲載した広告で収入を得て、自身も利益を得る。この一連のサイクルをまさか「仕事」として成すわけではありませんよね?的な気持ちを感じてしまったのだ。
2020年は、おそらく誰にとっても忘れられない年になった。暮らし・仕事・人生に概念があるとすれば、いとも簡単に覆された。今まで当然とされてきた物事は、無くなり、形を変えた。仕事で言えば、どこかに属することがこんなにも不安定な状態なのだと知ってしまった。そして彼女は、自分自身が経済を作り出すことを選んだ。己の得意なことや属性を生かし、自身が「おもしろいと感じること・好きなこと・やりたいこと」を発信し、それを売り、生業とするスタイルである。発展と創造性をもって、自分が経済のサイクルそのものとなるのだ。
1990年代、宝島社より創刊されていたCUTIEという雑誌があった。毎号表紙のタイトル下に、キャッチコピー「FOR INDEPENDENT GIRLS」とあり、これが当時学生だった私にはたまらなく格好良く感じた。編集長も当然の如く熱心な読者であったようで、好きだった連載のことや、STREET KIDS COLLECTIONに掲載されたくて表参道を無駄に歩き回ったという「あるある」で盛り上がったことがある。こうして30年の時を経て2020年、当時の熱心な読者であった1人の「INDEPENDENT GIRL」が誕生したというわけである。格好良いと思った。
すでに私たちはもう既製品、量販物、フォーマットに当てはめた物事に見慣れ、経験し、とっくに飽きながら暮らしている。「ニッチな層」というワードも今は随分浸透しているが、ニッチとは、西洋建築用語で「小物や絵などの飾り棚として利用するために、壁の一部をへこませた部分のこと」をいうのだそう。そんな小さな飾り棚に、なんとなく置いてあるのが似合うような媒体ではないだろうか。
映画鑑賞は人それぞれ、私と彼女の事情
そんな編集長とは、たまに映画を一緒にみに行くのだが、同じ作品をみていても彼女は爆笑しているのに私は号泣していたり、あるワンシーンの反応が真逆なことが多々ある。しかし2人ともけっこう笑ったシーンがたくさんあってよく覚えている印象深い1本がある。数年前に彼女に誘われ、シネマヴェーラ渋谷でのロマンポルノ映画監督の「神代辰巳の世界」へ行った時のことだった。『赫い髪の女』を鑑賞するためチケット窓口へ並んでいたのだが、客のほとんどが50~70代の男性であった。めずらしいもの見たさのような気分で席についたが、女優のイカれた言動がおかしくて、私たちは笑いながらみていた。おじさんたちに至っては既に何度もみているかのようなリラックスした様子で、ゲラゲラ笑っていた。エロ映画をみながら皆楽しそうに笑っている。こんな平和で幸せな空間が、他にあるだろうか?
こうなると他の上映作品も、いかにもおもしろそうに感じられた。
『赤線玉の井 ぬけられます』『死骸を呼ぶ女』『棒の哀しみ』…
もう1本みたがる彼女に「1日にポルノ映画を4本もみるなんてどうかしている!」と言って台湾料理店へ引きずり込んだ。平和で幸せな空間は、他にももっとあるからだ。
思えば彼女と過ごしている時は、自分が笑っていることが多い。数年前同じ職場にいた頃「なに食べてるんですかぁー」と言いながら、私の食べていたお弁当を横からぬっとのぞき込んできた。その当時は、特に親しいわけでもなかった。大変に驚いたが、同時にとてもおもしろかった。大概の人は、親しくない人がつくったであろうお弁当をぬっとのぞき込んだりはしないからだ。
「インプットは雑なのにアウトプットまじめすぎ」
最近聞いた、某作家の「インプットは雑なのにアウトプットまじめすぎ」という発言がとても気になっていた。そんな時に編集長からこのコラムの依頼を頂いた。大勢の方に読んでもらえる文章を書くなんて、不安、無理かも…と編集長に相談をしたところ「大衆に向けるものをつくりたいわけではない」とのことだった。誰か1人に話しかけるような気持ちで良いのならと思うと、なぜか書けそうな気がしてきた。大勢の飲み会も楽しいが、2人で飲む方が好きなのだ。
適当にパラパラ読んだ雑誌や部屋に積んである本で「インプットをしたような気になっていただけ」のような人生であり、アウトプットをまじめに考えすぎていた人達の中の1人だ。
見守ってくれる読者の方々がいれば、どんなアウトプットでもいいのかもしれない。
なぜ私にこのコラムの依頼をしてくれたのかは謎だが「GO ON」の創刊、おめでとうございます。