Column

「コント、お笑い芸人」

ボンジュール古本

明転したステージに現れたのはお笑いコントトリオ『マクベス』。
売れない芸人による取り留めのないコントの「前フリ」部分が始まる…。
2021年4〜6月にかけて放送していたドラマ『コントが始まる』の冒頭、主演の菅田将暉の「コント、〇〇」が聞きたくて何となくいつもみていた。芸人として売れないまま10年、解散にまつわる群像劇という内容だったので、毎週終わると何となく悲しい気持ちになっていた。「芸人ファースト」でやってるもので。

今年もキングオブコントの時期がやってくる。
2008年より始まったM-1グランプリに並ぶ大きな賞レース大会で、毎年10月頃に放送される。漫才ではなくコントに力を注ぐ芸人達が優勝を目指し、この大会で頂点に立つことは皆が認めるコント師となる。今年は大会始まって以来ルールが改変され、いつにも増して注目度の高い大会となりそうだ。

大会が始まって14年経つが、この間ずっと盛り上がりをみせていた訳でもなく、審査員や審査方法が変わったり少々探りながら継続してきたという印象だった。優勝しても売れるどころか全く跳ねない芸人も多く、この賞レースは数年で終わってしまうのではないかと半ば諦めかけな気分でこの大会をみつめてきた。

しかしここ数年は、実力を兼ね備えた芸人が次々に優勝し、その後の活躍をみると大会自体の信頼度も高まり、安心して毎年楽しみになっている。つまり「おもしろ芸人がコントをしに集まって優勝を決める大会」なんだけど、…私は何をこんな真面目に説明的な文字を打っているのだろう。

新しいツールや情報が入ってくる時代になってコントの全てに可視感があり、新しい知見も変化も特になく、未だにそんなことをしているのかと思われても仕方ないくらい、コントというスタイルは何も変わっていない。14年前と決定的に違うことは、言っていいことが極端に減ったことだ。

お笑いをみに劇場に来ている観客自身も、誰かが傷つく可能性に敏感になっていることはひしひしと感じる。ネタをみるには想像力が必要だし、何よりもイメージすることは自分を守る。私はネタをみる時くらい、都合よく現実と直結しない。
だって舞台上で起きてるだけの、ただのネタなんだから。

1分ほどで分かるネタが主流になり、短い時間で笑えるようにつくられたものが増えた。M-1やキングオブコントでは1本のネタは4分が最長となっている。この2大会の1・2回戦の予選では、芸人が舞台に出てきて15秒以内にひと笑い起きないと、それだけで落とされてしまうそうだ。

不自由になったと感じる部分もあるが、この2大会がネタに点数を付け、おもしろさ、うまさを競い、優劣を付け数値化することで、お笑い業界や芸人の水準の底上げになったことも事実である。

私もかつては「漫才に点数なんて…」とか「賞金が目的のコントなんて…」等と思った時もあったような気がするが、今は自分に「そんなどうでもいいことを思っていたなんて…」と呆れる。

コントを演じる人がいて、それをみて笑う観客がいる、それだけのことだ。私の敬愛する劇作家もこう言っていたので、あまり御託を並べるのはよそう。

小林賢太郎「詳しくて否定的なことは、何も生み出していない」。

無数にいるコント師の中で、今までもそうだったようにこれからも、ラーメンズが大好きだ。