Column

『Water Color』(大滝詠一)

HIROYUKI TAKADA

雨の多い時期は、年間通して何度かあるけれど、初夏に絡む梅雨空は割と好き。ジメジメしていて鬱陶しいけれど、時折覗かせる晴れ間に、季節の片鱗を感じる事が出来るから。日頃、自転車通勤をしている僕には、何かと動き辛い時期ではあるけれど、それでも外に出たくなってしまう。そして、気温の緩みと風の心地よさを肌で感じられる季節の中、僕は毎年「街を走り抜けるともうじき夏さ」という歌詞のあの曲を思い出してしまうのです。

Rain 雨が Rain 好きさ
Rain 濡れた Rain 髪も 詩う
野球帰りの少年たちが
街を走り抜けるともうじき夏さ
<Water Color>作詞:松本隆/作曲:大滝詠一

大滝詠一の歌う『Water Color』を収録したアルバム『ナイアガラ・トライアングルvol.2』は、1982年3月に発売され、すでに40年の時が流れた。僕が15歳の時に初めて聴いた曲である。ずっと聴き続けているせいか、ノスタルジックの欠片も感じない、永遠不滅の曲。あの若さでこの楽曲に出逢えたのは、自分にとっては奇跡以外なにものでもなく、これを超える影響力は今後無いと断言出来るものである。

所謂「ナイアガラ・サウンド」とは、「ウォール・オブ・サウンド」と称されるフィル・スペクターが考案した「音の壁」の事を言うのが常である。しかしながらこの「音の壁」とは、壁と言う割には隙間が多い。確かにそうなのだと思う。一つひとつの音を重ねるというより、同時に合奏することで生まれる「音の壁」には「残響音」の入り込む隙間が必要なのだ。

そうやって構成される「壁」には、割とベーシックでシンプルな演奏が最も合う。何故なら、そうすることで「壁」を構築しやすくし「残響音」が入り込む隙間が生まれるからだ。これこそが「ナイアガラ・サウンド」の真骨頂。シンプルであるが故の壮大さ、だから圧倒的なのだ。思想をシンプルにすること。自然に逆らわず、秘密を持たない。「聴いたまま」「聴こえたまま」がすべてと信じる。僕はこういうものに惹かれるのだ。

「隙間」の重要さは、音楽だけではない。隙間があるから妄想を自由に飛躍させることが出来る。文章表現に置ける言葉の持つ「隙間」。抑揚を抑えながら起伏に富んだ文章には「隙間」が不可欠。読者の感情が入り込む隙間があるからこそ、そこに没入し、共感を感じ、想いを巡らすことが出来る。逆に言えば、隙間のない文章は、終始与え過ぎの印象に陥りがちで、そのイメージに支配させてしまう故、想いを巡らすという所に到達し難くなる。勿論、表現の方法は様々だと思うので、何が正しいという訳ではないのだが、説明が多過ぎるのは、胃酸過多に陥る原因と思われるので、僕の好みではないということになる。

美しい隙間。それは、被写体のないところに存在し、描かれた人物像の背景色の中に潜み、フォーカスされていないピンボケ部分に映りこみ、Wikipediaに書かれていない事柄に忍び込む。印刷物の字間に語らせるということ、会話の途切れた時間に流れ込むということ。

『Water Color』に於ける松本隆の描く世界は、終始シンプルな情景描写である。過剰に特定されたイメージで聴くものの想像を抑制しない。けれど、ここに登場する人物がどのような心理状態なのかは察しがつく。必要な情報を与えているだけで、後は聴き手(読み手)に委ねる。そうすることで聴き手の数だけ物語が生まれ、隙間に風を送り、匂いを運ぶことが出来るのだ。

ゲリラ豪雨は圧倒的で、息する間を与えない。
けれど五月雨には、僕らの入り込む隙間がある。

隙間で息をする、そういう生活を送りたい。

もうじき夏さ。

Creator

HIROYUKI TAKADA

群馬県太田市出身。90年代よりDJとそれに伴うイベント企画、ZINE発行等で活動。最新作は冊子『march to the beat of a different drum』を自身のレーベル『different drum records』より発行(2020年より)。コロナ禍以降の音楽と生活を繋ぐコミュニケーションのあり方を「手に取れる」紙媒体にて「無料配布」で行った。自らの活動と並行して、90年代より活動しているバンド『b-flower』の私設応援団『ムクドリの会』終身名誉会長でもある。