不思議な光景である。光に満ち、気持ちの良い風が通り抜け、動植物が生き生きとしている。
私は、北関東のとある地にたどり着いた。大きな山の裾野にある小さな集落で、地図を見ても地名はなく、スマートフォンで検索をしても、その場所の情報はなかった。片側1車線の道路の脇に砂利が敷かれた小さなくぼみを見つけたので、車を止めて少しだけ歩いてみようと思う。車のエンジンを切り運転席から降りて、あたりを見渡してみる。周囲の町々と地続きであるにもかかわらず、何かが違っているようだ。特段変わった建造物が建つわけでもなく、いたってどこにでもあるような風景のようであったが、時折吹く山からの風が清々しく、感じたことのない心地良さを感じた。
車を止めた場所は、下に農地を見下ろす土手になっていたため見晴らしが利き、少し遠くまで見通すことができた。その場所からは、いくつかの建物が建っているのと、森と農地と小さな牧場のようなものが、少し遠くに確認できる。その他は畑や田んぼで、よくある田舎の風景である。田んぼ脇には、東西に延びる1本の線路が敷かれていて、踏切のカンカンという音とともに、電車が数十分に1本の間隔でガタンゴトンと、走り抜けていく音がした。車を止めた場所から少し離れたところに、どうやら駅があるようだ。
駅の周りには、小さなお店や食堂のようなものがあるのだろうと想像し、好奇心に駆られて、踏切の音がする方向へ歩き出す。道を歩いている人は全く見かけられない。舗装がされていない細い砂利道や、農作業用の畦道がいくつも分岐しながら集落内を巡っているようだったが、時折、白い軽トラックが通り過ぎるだけで、人の姿はほとんどなかった。普通であれば、その静けさを不気味に感じてもおかしくはないが、不思議と寒々しさや寂しさのような哀愁や気味悪さを感じることはなく、むしろ、吹き渡る風が、道路脇の草花を揺らし、ざわざわとなびく木々が騒がしく、活気に満ちているようにさえ感じた。
よく見ると、あまり見たことのない草花が道の両脇に自生している。アフロヘア―のようにもにょもにょとしてかわいらしい小さな葉っぱが集まって、土手の斜面や畦道の脇を覆っていたり、大きな葉っぱの草はガムのようないい香りを発していた。自然植生の雑草とは明らかに異なる植物たちに、私の好奇心はさらに掻き立てられる。道のカーブの内側や分岐のコーナーには、石やブロックで囲われた小さな花壇が作られていて、「季節の花」と手書きで書かれた白い看板がお辞儀をするように傾いて立っている。花壇には、チューリップやゼラニウム、マリーゴールドといった、見慣れた花が植えられていた。どこにでもありそうな田舎っぽい光景がところどころにちりばめられ、私の緊張感をほぐしてくれた。
草花に導かれるように道を歩いていると、背の高い木々が集まった林のような場所が現れた。まっすぐ伸びる木々は凛々しく、直径30~40cmほどの幹が、建物の柱のように2mほどの間隔をあけて規則的に植えられている。歩いてきた道からY字に分かれた脇道が、林の中へ向かって真っすぐ伸びている。2mの木の間を、車1台の幅の轍ができていた。轍をたどって、林の中に歩みを進める。おそらく杉か桧であるが、覆い茂った葉が上空に広がり、風によってゆらゆらと揺れている。規則正しく並んだ木々が同じ方向に揺れている姿は、まるで揺れながら歌う合唱団のようで、ほほえましい。葉の隙間から漏れた光が、林の中に無数の筋を作り、まるで光の雨が降っているようだった。地面に落ちた光は、葉っぱの動きにあわせて小刻みに揺れている。なかなかに美しい。数百メートルの轍を歩き、林を通り抜けるのにどのくらいの時間を費やしただろうか。山登りの経験は多く、これまで様々な森を歩いて見てきた。自然の魅力はよく分かっているつもりであったが、人工的に作られた小さな林に魅了されたのは初めてであった。林の中を半分くらい来たところで、ほどけた靴紐に気が付き、ふと現実に引き戻されたかのように時計を見る。靴紐を結び直して、時間を取り戻そうと思い、急ぎ足で林を抜けた。
林の切れ目に立つと、パッと目の前が明るくなり、目が開けられないくらいに光が眩しい。ゆっくりと目蓋を上げると、足元から広がる一面緑色の光景だった。目の前には広々とした草原が広がっていて、歩いてきた轍が緩やかなにカーブをしながら続いている。緑色で覆われた地面には、ぽつぽつと白い花が咲いている。三つに割れた葉っぱでシロツメクサの原っぱだとわかった。
一本道なので、戻る選択肢はない。相変わらず踏切と電車が走る音が聞こえてくる。その音に紛れて「ンメ~ンメ~」という動物らしい鳴き声が微かに聞こえてきたが、あまり気に留めず、この先にあるのかもしれない駅を目指し、一歩一歩足を前に進めた。