Column

リハビリのための文章
空白の半年を振り返る

サイトウナオミ

GO ONの連載をしばらくお休みしてしまった。申し訳ない。振り返ると4月末に三陸鉄道の旅についての文章を書いて以来、何も書いていなかった。地図のような文章〈神楽坂編〉とか村上春樹の『風の歌を聴け』についてとかいろいろとアイデアは頭の片隅にあったのだが、なかなかまとまった時間がとれなかった(という言い訳)。日々の雑務に追われ、上毛新聞は5月後半から積まれ続け(ようやく最近7月分くらいまで山を崩したが)、本もほとんど読めず、ギターは埃をかぶり、文章を書くというところまでたどりつけなかったのだ。

ということでこの半年の間、何をしていたのかメモのような日記を振り返りながら、リハビリ的に文章を綴りたいと思う。本格的な復帰はまた来月ということで。

【5月】
15日、桐生市本町1丁目のDive INN Kiryuにて日下慶太さんを招いての写真の撮り方のワークショップを行う。6月からの『隙ある風景』写真展の関連イベントとして開催する。終わってから手伝ってくれたスタッフ何人かで万里で夕食を食べる。翌日、写真展の会場の有鄰館酒蔵を見学。

新日本プロレスワールドに加入し、家で新日本プロレスの試合を観はじめる。耳の中がかゆくなり耳鼻科に通い始める。

6月
6日から準備をはじめ日下慶太さんの『隙ある風景』写真展を有鄰館の酒蔵で開催する。観に来てくれた人たちは、みんな笑って元気になって帰っていった。「面白かったよ」と帰り際に言ってもらえて、やってよかったなと思う。

13日頃から喉が痛くなりはじめる。16日に日下さん来桐、ロジウラジオに出演してもらう。17日に梅田にてUFOを呼ぶ会を行う。梅田湖の側でUFOを呼ぶ。いくつかのUFOを目撃。それが本当に宇宙人の乗り物なのかどうかはわからないが、空を真剣にそれを探して眺めていると様々な発光現象を見ることができるものだ。その発光現象がいったい何なのかは、専門家でもわからないものがあるのではないだろうか。調子はあまりよくないままで声があまり出ない中、UFOを呼ぶために声を出していたので、ノドが潰れる。17日、声はより出なくなり(宇宙人に声帯を持っていかれたと言われた)、目も腫れる。そんな状態で日下さんのトークイベントを行う。写真展も最終日で、撤収作業後にDive INN Kiryuで日下さんが大阪から持ってきたたこ焼き粉でたこ焼きパーティを行う。もう声はほぼ出ない。1週間くらいは声が出ない状態が続いた。

29日、8月の児玉浩宜さんの写真展の打合せをZOOMで行う。

日下慶太写真展『隙ある風景』の様子

【7月】
桐生祇園祭の行事がはじまる。

10日からItoya coffee factoryの2階でふやふや堂のブックフェアがはじまる。Itoyaのエアコンが壊れていて、かなり暑い中でのブックフェアとなる(15日まで)。

22日からは笠懸の石原工房ショールームでブックフェアがはじまる。初日に会場に行くが、調子が悪く家に帰ると高熱が出ていた。2日間、高熱が出て寝ていた。外の気温も暑かったが、自分が発熱していたためそれほど暑さを感じない。25日に医者に行き検査をするとコロナと判定される。前日から熱の出ていた妻もコロナに罹患していた。数日して熱は下がったが喉の激痛がしばらく続く。

新日本プロレスのヘビー級のG1クライマックスの試合が続き、寝不足になる。

8月
3日〜6日まで、桐生祇園祭。本町一丁目世話方〈北斗会〉として神輿を担いだり、宴会が続く。酷暑の中での4年ぶりの神輿は、想像以上に身体にダメージがある。

11日の山の日には、赤城山に登山に行く。赤城山は、さすがに街よりも涼しい。下りてきて大沼湖畔の青木食堂でワカサギ定食を食す。

17日・18日はマキタさん企画の児玉浩宜さんの写真展『Song to the siren』の準備。児玉さんも来て、大判の写真を有鄰館の煉瓦蔵に展示していく。そして19日から写真展がはじまる。20日は、児玉さんと惣田紗希さんの対談がある。

8日間の日程を今回は体調も崩さず無事に乗り切る。26日に児玉さんのトークイベントもあり、27日に全日程終了。有鄰館の煉瓦蔵と写真の雰囲気がピタッとはまり、とてもよい写真展となったと思う。観る人にとってわかりやすい写真展ではなかったが、来場してくれた人たちは、1枚1枚写真と向き合って、何かを感じてくれていたようだった。開催してよかったと思える写真展だった。27日に撤収後に児玉さんたちと25年ぶりくらいにグランシェフに行く。パスタもピザも25年前と変わらず美味しかった。

児玉浩宜写真展『Song to the siren』の様子

【9月
8日・9日、中之条の六合赤岩に行く。9日に開催の六合赤岩のふれあい感謝祭に、桐生の買場紗綾市として焼きまんじゅうの前沢屋さんと出店する。のんびりとしたイベントで半日楽しんだ。六合赤岩の人たちが、焼肉やそばなどの食べ物を次から次へと持ってきてくれる。

経営難のカイバテラスをどうしたらよいか7月くらいからずっと考えていたが、年内で閉店することを7日に決める。

会社の経理をまとめる。1週間くらい、数字と格闘しながらまとめて、税理士さんにパスをする。

16日には、桐生の黒保根の奥の奥にある花見ヶ原キャンプ場に、出張ふやふや堂。とても気持ちのよい場所で、経理のまとめの疲れを癒やす。

17日から妻と2人で北アルプス登山合宿。17日の夜に桐生を出発して、沢渡の駐車場で車中泊。18日の朝、上高地より横尾経由で涸沢へ。テント泊。久しぶりのアルプス登山は身体に応える。19日は、涸沢よりザイテングラート経由で奥穂高岳に登頂する。僕は小学生の時から何度も登っていて、10回目くらいであったが、高所が苦手な妻は、死ぬような思いをして登頂する。涸沢まで戻って、ヒュッテのテラスでおでんとビールで乾杯。20日の朝、雨の中テントを撤収して下山。駐車場に戻り、途中温泉に入ってから帰宅。20年ぶりくらいの北アルプスは感慨深いものがあった。やはり、北アルプス(涸沢)まで行かないと味わえないものがあるのだと再確認する。20年もの間行かなかったのかが悔やまれる。

涸沢で見るモルゲンロート(朝焼け)

22日、旧友のシンガーで絵描きの扇谷一穂さんが娘さんを連れて来桐。23日はカイバテラスでポートレートドローイングを行う。24日は、みんなでItoya coffee factoryの唐澤龍彦さんの展示を観に行ったり、梅田のカフェレストラン ニルスに行ったり、オマドーンで唐澤さんのライブを観たり、桐生が岡遊園地に行ったりと桐生を満喫する。

【10月
21日、評議委員をやっているふやふや堂近くの北小の運動会に行く。新日本プロレスのジュニアヘビー級のタッグリーグが始まる。キングオブコントの決勝をテレビで観る。

22日、北斗会の旅行。旅行と行っても東京に行ってひたすら飲んだり食べたりする。浅草のホッピー横丁で昼食・飲み、歩いて途中の中華で飲み、ホテルにチェックインして少し休んで、水道橋に向かって闘魂ショップでお買い物、串カツ屋で軽く飲んでから、新日本プロレスの現役レスラーである矢野通さんのお店で宴会。上野に戻り、長浜ラーメンを食べてからホテルに戻る。23日、喜多方ラーメンで朝食・ビール。銀座から勝鬨橋経由で歩いて月島へ。もんじゃ屋で昼食、もちろん飲む。浅草に戻り神谷バーで電気ブランなどを飲んでから、背脂ラーメンを食べてから桐生に戻る。

31日、きりゅうシネクラブの上映会に行く。『なまいきシャルロット』を鑑賞。久しぶりにフランス映画を観る。なんでこんなにもうまく思春期の女の子の瑞々しさを描くことができるのだろうかと感動する。やはりスクリーンで観る映画はよい。もっと映画館に足を運ばなくてはと思う。

というわけで、企画した写真展を開催したり、体調を崩したり、コロナに罹患したり、北アルプス登山をしたりと割とバラエティに富んだ半年であった。日々のリズム(新聞を読む、本を読む、日記を書く、腹筋など)が完全に崩れてしまったが、9月後半くらいからだんだんとリズムも取り戻しはじめた。2020年春からはじめたカイバテラスを年内でやめることを決断した。やめることは無念であるのだが、それによって、今まで見えなかったものも見えてきているような気もする。まだあと2ヶ月あるが、2023年はなかなか大変な一年だった。来年は心機一転、地道にこつこつとやっていきたいと思う。

これからもどうぞよろしくお願いします。

Creator

サイトウナオミ

地図描き/ふやふや堂店主。群馬県桐生市出身。東京・京都を経て2012年秋より再び桐生市に住む。マップデザイン研究室として雑誌や書籍の地図のデザインをしながら、2014年末より「ちいさな本や ふやふや堂」をはじめる。桐生市本町1・2丁目周辺のまちづくりにも関わり始める。流れに身をまかせている。