「ジン」という紙媒体の冊子を作っています。所謂「ミニコミ」とかって言われる自費出版物です。この「ジン」というものは結論から言うと、誰でも作れます。そんなに難しくない。作ってみたいって思う人は、具体的に作りたいイメージを持っている人だと思うので、割とやればできるものです。もちろん技術的な事とか考えたらいろいろありますが、ともかく面倒なことは置いて、やってみよう!という気持ちだけで充分です。そういう気持ちだけで何年もジンを作っているのが僕ですから。そんな僕がここ最近取り組んでいるフリージン「march to the beat of a different drum」がどのようにしてできるのか、ちょっとした種明かしを記してみようと思います。
contents
『「フリージン」って何?』
簡単に言えば、無料で貰える冊子。「フリーペーパー」と言う場合もあります。僕は「ペーパー(紙)」ではなく「マガジン(冊子)」を作っています。無料で配布する形をとっているので「フリージン」。定義はいろいろあるかと思われますが、僕の冊子は「フリージン」です。無料で配布するとは言っても、作成するのに当然費用はかかっています。スポンサーはなく(あっても辞退している)、すべて自費にて出版しています。だったらそれに見合った対価をいただく(販売する)のが良いのでは?と思われるでしょうが、「読んでもらう」というのを大前提に考えて作っていますので、販売する選択をしていません。
ここは各自意見が分かれるところだと思います。何が正しいってこともありません。あるとすれば「目的」を持って「主張」するということ。一切の曇りなく、誰かに配慮するということもなく。そういう志を持って臨むのが、僕の考える「ジン」。お金をいただいてもいただかなくても、これは変わらない。今は「無料(正確には0円販売)」というやり方にしているだけです。
「目的」を持って「主張」するために、まず何が必要か。「手に取る」冊子なら「サイズ」「紙質」「フォント」「ページ数」などが挙げられます。ここでは僕が冊子を作るのに拘って譲らないことのみを記述します。
『タブロイド判の持つ意味』
いわゆる「タブロイド判」とは、通常の新聞の半分のサイズです。「different drum」で採用している紙質は中質紙35kg、綴じ方はスクラム製本(中綴じしない)。開いたときのインパクトと、持ったときの質感と重さ、そして新聞ならではのスクラム製本。「different drum」の拘りはほぼこれが全てと言っても過言ではありません。大きさは勿論ですが、紙質から受ける印象、「手に取る」ことを前提としたからこその厚さ、そして「印刷の匂い」。何度も読み返していくと、くたくたになっていく、ダメージを受けやすい紙質。それに意味を持たせるなら「永遠はないからこそ、儚くあるべき姿」。
電車の中で、キッチンテーブルの上で、公園のベンチで、電源なくても、Wi-Fiなくても、広げてみるだけでそこにたどり着ける。ネットで検索、サクッと読めるウェブ展開も良いけど、貰いに行かないと読めない(郵送なら切手を送らないと届けて貰えない)煩わしさこそが、僕の求めるコミュニケーション。面倒くさいものって、いつまでも心に引っ掛かるものですよ。
『フォントの多用をしない』
「different drum」内で使っているフォントは、シリーズ通してほぼ固定しています。種類も多用しないようにしています。フリージンとは「読み物」であって「広告」ではない。故に、冊子を開いた時の印象はガツンとこなくていい。見た目のインパクトは「タブロイド判」というサイズが全てであり、実際の中身は読むことを重視、過剰に飾り立てないようにしています。そういった理由からフォントから受けるインパクトも極力抑える。そうすることで「文章」に入りやすくしたいのです。
『最新を取り入れない』
最新であるということは、最新でないということ。人の感情や感覚は常にアップデートされるもの。トレンドを追うことよりも、一歩引いたところからトレンドを注視する。目指すものは人々の記憶に残るもの。「面白い」と思えるものから一歩引く。多分僕は永遠にエヴァーグリーンを求めていたいのかなって思っています。
『ライターの個性』
執筆や写真などの作品を依頼するにあたって、一番重要視するのは、個性。それがあれば何もいらないって思うくらい。それには足枷になるような形容詞は必要ないのです。何処かに所属するとか、ある種ブランド的な説明も要らない。必要なのは「写真が好き」とか「音楽が好き」ってこと、何かに夢中になるということ。そしてまずはみんな「個人」であるということ。「手に取る冊子」は「個人」から「個人」へ手向けられる極最小最短のコミュニケーション。僕の意向が若干あったりはするけれど、信頼して依頼している以上、ダメ出しはしないし、やったことがない。つまり僕の冊子とは「君と僕と、まだ見あえぬ人たちへのもの」なのです。
『計算機を使う』
すべてのデザインは計算して配置する。フリーハンドで置くことはしません。まずは整然と並べる。すべてはそこに書かれた文字を丁寧に読ませる、そのための配置。すべてに於いて僕のデザインの基本。
結論『ジンは「読み物」であり「読み手」あってのジン』
いろいろな手法・技法・テクニック・デザイン等ありますが、僕の考えるジンとは「読み物」であるということが最重要な要素。そのためにすべてがある。表紙もフォントの大きさも。書いてあることを伝えるために、読みやすさを重視する。伝えたいことがあるなら、尚更です。そして、その伝えたいことを伝えるために、読んで貰うための努力を惜しまない。未だ見ぬその先に届かせるために。それが僕の考え目指す、フリージンである事の定義であり意義。そして、作ることに一切の妥協はしない。作りたいものがまずあって、それを実現させるために考える。そして、行きつくところは遥か彼方、ずっと先にある、そこに思考を巡らすのです。
あとは、諦めず続ける事です。