Column

サマータイム・サマータイム

HIROYUKI TAKADA

2022年の夏。

7月からいきなり酷暑になるのは耐え難い修行のようだ。残暑時期にそうなるのは我慢出来るけれど(いや、それも嫌だけど)、心の準備が整う前のこの暑さ、いやいやもう、言葉も出ない。「暑いですね」「寒いですね」と、気候を生活の話題にするのは、「おはよう」と「こんにちは」と同じくらい、僕らの生活の中に浸透している。毎日必ず何らかの天候具合を気にしていなければ、まるで1日が始まらないかのようだ。

季節の移ろいを肌で感じながら生活するのは嫌いではない。だが時間に追われるように、空模様を気にしてしまうのは、出来ればやりたくない。もっと気ままに生活出来たら、気持ちの持ちようも楽になるのに。

例年なら、梅雨空の下、ああ早く夏が来ないかなと、指折り数えて、夏休みの予定とか考えたりしていたけれど、いきなり「はい、今日から夏です!」と来たものだから、逆にたまったものじゃない。本来あるべき季節の変わり目を完全無視。少しずつ変わりゆくから、それが風情ってものになるはずなのに、いきなり変わってしまうのは反則の大逆転。まあでも、すでに変わってしまったものは仕方ない。強制的に心を入れ替えよう。

照り返しの強い完全無欠の夏が来た。仕事に追われ、くたくたになってしまっていても、やりたいことは沢山ある。山に行こうか、海に行こうか、キャンプもしたいし、波乗りもしたい。もしくは何もしないで部屋に篭り、エアコン効かせて、うたた寝するもよし、フェスではしゃいで酒飲んで肉食べて、魂を謳歌するもよし。ひと夏の経験、夏服を着た思い出たち、夏の思い出、夏をあきらめない、ああ夏休み、2人で聴いたあの日のユーミン、達郎のハーモニーを聴かせておくれ、サマータイム・サマータイム。

ところで僕は、いまこの原稿を電車の中で書いている。金曜日の午後から休みを取って、友達に逢いに行くのだ。荷物を抱え、一番安い行き方で電車を乗り継ぐ。時間をかけて、ゆっくり進む。楽しいことをやろうとする時に、時間をかけて車窓からの風景を楽しむのは、実に贅沢だ。遠回りすればするほど、時間をかければかけるほど、かけがえのないものになる。若い頃ならまだしも、ある程度歳を重ねてからそれが出来るのは幸せな事だと思う。やれそうなことはなるべくやってみる。いつだって時間には限界があるのだから。

2022年の夏。

地元付近は最高気温40℃超え。参議院選挙。元アイドルの薬物使用による逮捕。あの国の侵略は未だに収束の目処が無い。止まらない円安、そして生活を圧迫する値上げの嵐。生きる上で良い事はあまりなく、少年の頃夢見た未来世界は、夢も希望も消え失せた、欲望と絶望が渦巻く、無惨なる21世紀。

季節はまためぐりくるの こころはただ移りゆく 憶えている あの日々を
いまはもう失くした何か あふれる光の中で わたしはあなたを愛した ある夏の日に
(『サマータイム・サマータイム』 作詞作曲・小西康晴)

1987年の夏。

少しだけ思い出してみようか。雨上がりの街と、焼けたアスファルトに降り落ちた雨粒が蒸発する匂い。真夜中に、海まで車を走らせた僕らふたりの行先。壊れたエアコンから発する甘ったるい匂い。安ワインの味を覚えて大人になった気がした事。高層ビルが見渡せる星が瞬くあの丘の上。そして、時が過ぎて大人になって、会わなくなった友達と、永遠に会えなくなった友達の事。

夏はいつでも、僕を包み込んでくれる。おそらくそれは、あと5年過ぎ、10年過ぎても、変わらない。

電車に揺られて、友達に逢いにきた。海が見えた。

Creator

HIROYUKI TAKADA

群馬県太田市出身。90年代よりDJとそれに伴うイベント企画、ZINE発行等で活動。最新作は冊子『march to the beat of a different drum』を自身のレーベル『different drum records』より発行(2020年より)。コロナ禍以降の音楽と生活を繋ぐコミュニケーションのあり方を「手に取れる」紙媒体にて「無料配布」で行った。自らの活動と並行して、90年代より活動しているバンド『b-flower』の私設応援団『ムクドリの会』終身名誉会長でもある。